2023年05月22日10時00分 / 提供:ウーマンエキサイト
SNSを使っていると、こんな場面に遭遇することがある。
この流れ、SNSではよく見る光景だと思う。
ぽろっと吐いた弱音や愚痴、独り言にかぶせてくる「私の方がもっと大変」持論。
それは「いやー!私も大変だった!私の悲惨な体験談で笑ってちょんまげ!」というものではなく、
「見たところあなたの大変度は耐えられるレベルのものだと思います。あなたより過酷な状況の私はそれに耐えました。そんな私の存在を知った後もあなたは自分のことを大変と申されますか?」
というトーンのちょっと怖いもの。
それまで「分かる~!」と同調していた私の肝がヒュッと冷えたので、元の投稿した本人はどんな気持ちなんだろう…と顔も知らない画面の向こうの投稿主を想うと心が苦しくなる。
それにしたって、どうしてこんな流れになってしまうのだろうか…と思ふ。
SNSで投稿されたもの、つまり「見えているもの」がその人の全てと思いがちだが、誰しもSNS上で公開していないことは絶対にある。
その投稿の画面の向こう側にちゃんと人がいるのだという認識が薄れがちになってはいないだろうか。
それをしっかりと意識できていれば、「自分の方が大変!」なんて気持ちは段々小さくしぼんでいく気がするのだが…。
それでも、「そんなことない!私の方が頑張ってる!大変だもん」と思うときは…。
私はこのくらいのパッションを胸に抱くようにしている。
きれいごとかもしれないが、SNSではそこに書かれていることのみが全ての情報。
それ以外の真実がどうかなんて分からないのだから、本当のところ誰が1等なんて決めようがない。
比べてみたところでSNSに公開されている範囲でのみの判定である。
というか、人と比べてしまうときは大体自分も「誰かにほめられたい」「認められたい」欲求が高まっているときなので、とりあえずは自分で自分をほめておく。“セルフよしよし”は大事。
…なんて、さらなるきれいごとを塗り重ねてしまったけれど、そもそも“セルフよしよし”ができる状態なら「私の方が頑張ってる!あんたより私の方が大変!!」なんてメンタルにはならんのである。
「そなたも我もえらい!」パッションが保てない程辛い時は…、そっと画面を閉じませう。
休むしか勝たん。
SNSのいいところは「見なきゃ起きなかったのと同じ」ことにある。
現実世界じゃそうはいかないけど、SNS上では自分が見なかったらその出来事は起きてすらいないのである。
私自身「自分の方が…」と、“俺が俺が俺が!”な気持ちになってしまっていたときは本当に疲れているときなので、ちょっと人様の生活を見るのをお休みして、SNSをとじるようにしている。
今の時代、自分の家にいても誰かの生活とともに生きているような気持ちになる世の中。
あくまで誰かの生活は誰かの生活、自分の生活と混ざり合ってしまわないようにうまく距離をとることを大切にして、細く長くSNSを楽しみたいな、と思う。