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日本史の名場面「関ヶ原の戦い」の隠れた真実

2022年11月04日18時00分 / 提供:新刊JPニュース

慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いにおいて、石田三成率いる西軍は徳川家康率いる東軍に敗れ、西軍は各部隊が敗走することになる。西軍が敗走するなか、島津義弘率いるわずかな軍勢は故国を目指し、敵中突破を敢行する。その決死の軍事行動は「島津の退き口」と呼ばれ、今も語り継がれている。
■知られざる「島津の退き口」の真実
『関ヶ原 島津の退き口 義弘と家康–知られざる秘史』(桐野作人著、ワニブックス刊)では、歴史作家の桐野作人氏が、残された兵士の手記をはじめ、数多の史料をひもとき、下級兵卒の低い視線と島津義弘の政治行動という二重構造の構成をとり、なぜ、かくも少数の将兵のみで関ヶ原に参戦していたのかという疑問、義弘と家康のじつは密接な関係、退き口を彩った人物などに触れ、世界史でも前代未聞の前進退却戦の全貌を解説する。

平安時代後期から明治時代はじめまで、島津家史料を中心に膨大な薩摩藩内関係史料を編年順や家ごとに集成した『旧記雑録』という史料がある。これは江戸後期から幕末維新期に薩摩藩の記録奉行をつとめた伊地知季安・季通父子によって、収集・編纂された一大史料集であり、『鹿児島県史料』という形で相次いで刊行されている。近年、『島津家文書』は国宝に指定されたが、『旧記雑録』も重要文化財に指定されている。

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