2025年08月08日18時00分 / 提供:ニコニコニュース
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※【ネタバレ注意】本記事では『都市伝説解体センター』に登場する怪異の一部がネタバレされています。
「ベッドの下の斧男」、「ドッペルゲンガー」、「コトリバコ」など誰もが一度は聞いたことがある「都市伝説」の真実に、プレイヤーが調査員となって迫るアドベンチャーゲーム『都市伝説解体センター』。
その魅力は多くのプレイヤーの心を掴むと共に大きな話題を呼び、インディーズゲームとしては異例の累計販売本数30万本を突破しました。
本作で特に評価されている点の1つが、「SNSを使った調査」で真実に迫っていくゲームシステムです。
「SNS」と「都市伝説」を組み合わせた構造は、プレイした人の日常をも浸食し、自分が事件の一部になってしまったような没入感を与えてくれます。
そんな『都市伝説解体センター』の大きな要素である「SNS」と「都市伝説」。この2つの関係を理解するための副読本として、ファンたちの間でその名を挙げられているのが『ネット怪談の民俗学』です。
本記事では『ネット怪談の民俗学』の著者であり、ネット怪談研究の第一人者である廣田龍平さんに『都市伝説解体センター』を遊んでいただき、感想を伺いました。
民俗学的な視点から『都市伝説解体センター』を見てみると、「なぜ人が都市伝説に惹きつけられるのか」「なぜ人は都市伝説を生み出すのか」という、人間の暗部が描写されてることに気が付きます。
「適当な悪者をでっち上げてしまう心理」や「世界を理解できるものだと思いたい欲望」。そういった誰の心にもある暗い部分が、都市伝説と深く関係している……『都市伝説解体センター』と「現実」との共通点、相違点を民俗学で解きほぐすインタビューです。
取材・文/船山電脳
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『ネット怪談の民俗学』著者 民俗学者 廣田龍平さん■『ネット怪談の民俗学』の著者に『都市伝説解体センター』を遊んでもらった
――今回のインタビューの前に『都市伝説解体センター』遊んでいただいたわけですが、遊んでみての率直な感想はいかがでしたか?
廣田:
アドベンチャーとかノベルゲームをあまりしないので、クリックするのに疲れましたね(笑)。
――ボリュームのあるゲームですからね(笑)。
廣田:
結構ボリュームがありましたね。でも結局、最後まで遊びました(笑)。
まじめな話をすると、ゲームをやる前に漫画版『都市伝説解体センター異聞』を読んだんです。
なので『都市伝説解体センター』は、都市伝説を実在する恐怖として描くのではなく、あくまで説明できるものとして解決していく作品なんだなとは思ってました。
都市伝説解体センター 異聞:くねくね 引用元:ジャンプ+
――ゲームを遊んでみて、印象に残ったところはどこですか?
廣田:
SNS上の反応や、SNSで情報を検索するところがリアルでしたね。
人の陰の部分が大変リアルに再現されていまして、あそこは本当に感心しました。
特に面白かったのは、検索で出た投稿のリポスト数が、どんどん増えて拡散されていく演出です。
現代が舞台で都市伝説をテーマにしたゲームなら、SNSでの拡散は外せない要素ですね。
――登場した都市伝説についてはどう思いましたか?
廣田:
意外と古典的というか、有名なものがピックアップされてるなという印象を受けました。
各話ごとに、どんな都市伝説に関わる事件かを見極める「特定」と、事件の真相を明らかにする「解体」の2段階で謎解きが行われる構成になっています。
「特定」については、もちろん僕が専門家というのもあるんですが「これ、あれだな」というのはすぐに想像できる感じでした。
『都市伝説解体センター』では事件を「特定」「解体」の2段階で解決していく
――『都市伝説解体センター』の中で、民俗学の研究に似てる部分はありましたか?
廣田:
噂の広がり方や、噂が生まれた背景に漠然とした不安があるところは似ているかも知れません。
都市伝説を調べるとき、「もしかしたらこういうことじゃないか」ということを漠然とした不安から誰かが言い始めて、少しずつ変化しながら広まっていくというふうに想定するんですよ。
――『都市伝説解体センター』に登場する都市伝説にも、人の不安や暗い感情が関係していると
廣田:
それはそうでしょうね。
コロナ禍以降だと思うんですけれども、都市伝説やネット怪談に対する関心が日本では高まってるとすごく感じるんですよね。
――オカルトブームと言われてますね。
廣田:
実話怪談を話す人もコロナ禍以降、増えたっていう話がありますし、ネット怪談がどんどん映画化されたりもしていますよね。
そういった流れに乗りながらも、『都市伝説解体センター』は都市伝説を怖がるだけじゃなく、謎解きと言う形で都市伝説に一定の説明を与えていて、なおかつ自分たちが使うネットやSNSが含まれている。
ゲームの中だけの話でなく「お前は、まさに火中にいるんだぞ」と感じさせるところが、多分、伝えたかったところだと思うんです。
――『ネット怪談の民俗学』は『都市伝説解体センター』の副読本としても楽しまれてますが、どういったところが注目されていると思いますか?
廣田:
一つは「コトリバコ」や「きさらぎ駅」といったネット怪談の元ネタが一部扱われていて、分かりやすく説明してあるところが読みやすいのかなと思います。
もう一つは、『ネット怪談の民俗学』はネット怪談が拡散する様子をかなり丁寧に紐解いた本なんです。
オリジナルの根拠不明な投稿が拡散し、みんなの間で定着して一つの文化となっていく過程を描いている。
『都市伝説解体センター』ではネットによる情報拡散が大きなテーマになっている
そこが『都市伝説解体センター』に描かれている、噂が事実であるかのように広まっていく流れとシンクロしている。
だから現実でも、自分たちが何となく聞いたことがあるネット怪談なり都市伝説が、ゲームの中と同じように広まっていったんだということを追体験できるところが楽しまれているのかなと思います。
あとは最近出た本だから、手に入れやすいのもあるでしょうね(笑)。
■『都市伝説解体センター』と民俗学の違い……「解体」は“しない”
――ゲーム内ではネットで情報が拡散する描写がありますが、現実との違いはありますか?
廣田:
ゲームではたくさんのアカウントが同じような話題をポストしていたんですけど、現実では噂を拡散するのはごく少数のアカウントだと研究で明らかになってるんです。
10人とか20人程度の人が何万リポストもされて噂が広がるんですよ。
そして、拡散はリポストが重要なんです。ネガティブな反応であってもリポストされたら拡散されてしまう。
――現実から一番遠そうな要素だと思うんですが、「解体」についてはどう感じましたか?
都市伝説になぞらえた事件の真相を明らかにする「解体」
廣田:
「解体」までいくと僕としてはある意味でファンタジーというか、新鮮な感覚になりました。
『都市伝説解体センター』では都市伝説が先にあって、それになぞらえる形ですよね。
実際の民俗学や都市伝説研究では、逆に、なんらかの出来事があって、それに尾ひれがたくさんついて都市伝説になるというパターンで考えることがあります。
例えば「ベッドの下の男」も「口裂け女」も、一部分には元ネタになった実際の出来事があったかもしれないと仮定して調査していくこともあります。
ただし、その事件が具体的にどの事件か、誰が犯人かを特定するのは仕事ではないんです。
民俗学者というのは、真相究明はしないんです。
――民俗学の研究では、実際に誰がどんな事件起こしたという話にはならないんですか?
廣田:
そうですね。『都市伝説解体センター』では都市伝説の定義を「口伝えで伝わる噂話」みたいに説明していて、あくまで「噂」ですよね。
これは90年代ぐらいまでの定義で、厳密は噂と都市伝説も微妙に違う概念なんですけど。
どちらにせよ、研究者はあくまで噂や都市伝説を研究する立場なので、実態が何であるかという「解体」までは踏み込まないです。
真相究明は、ジャーナリストとか警察とか、それこそ「解体センター」の仕事になりますね。
――都市伝説の研究では、どういったことを調べるんですか?
廣田:
噂が広まる時代背景や、噂によって人の行動がどう変わっていったのかを調べていきます。
たとえば、人間は、不安を抱えていると適当な悪者をでっち上げて騒ぐことがあります。
これを「モラルパニック」といって、民俗学だけでなく社会心理学とかでも取り扱われる行動です。
社会のぼんやりとした不安や、不穏な雰囲気が物語として結晶化・具体化したものが都市伝説だという仮説は、研究の中でも代表的なものです。
――都市伝説には、当時の流行や価値観も影響しますか?
廣田:
これは難しいところで、例えば「ブティックの試着室で誘拐される」という内容の都市伝説があるんです。
有名なのは、フランスで「オルレアンの噂」として1カ月の間に一気に広まって、数週間で一気に収まったということがありました。
オルレアンの噂では「ユダヤ人が経営するブティックが人身売買している」という噂が広まり、そのあと「オルレアンの噂はユダヤ人差別のために流されたデマだ」という、これまた出所の分からない噂が広まって、その後、噂が終息したんです。
――ユダヤ人への差別は世界的な問題ですが、日本では身近に感じない人が多そうですね。
廣田:
こういった「都市伝説を否定するために流された噂」を「対抗神話」というのですが、ユダヤ人差別に紐づけられたのは時代や地域によるものですよね。
しかし、こういった都市伝説が当時の風潮によるものだけのせいかと言うとそうではないんです。
実はその数年前にもフランスの他の地方で似た噂があったし、さらに日本でも、海外旅行でそういう目に遭うという噂が広まったことがあります。
海外旅行に出かけた夫婦のうち妻が誘拐され両手両足を切断されて見世物小屋に入れられる……という「だるま女」という都市伝説も、試着室で誘拐される都市伝説です。
フランスの地方都市と日本って、社会背景とか時代背景とか全く違いますよね。
でも、同じようなパターンの話が広まるんですよ。
――時代や地域に関係なく、似た噂があるんですね。
廣田:
ここが都市伝説の面白いところで、社会背景とか、時代とか、場所とか、文化とかも、宗教とかも関係なく、同じものが広がってしまうことがあるんですよ。
具体的に「これが怖い」という話ではないですが、近代化した都市社会に共通した不安があるんですよね。
――噂と言えば「くねくねは熱中症の症状じゃないか」という噂が流れましたよね。
廣田:
『くねくね』は、双眼鏡で遊んでいた兄が田んぼにいた「白くてくねくねした何か」を見て、おかしくなってしまったというネット怪談ですね。
「くねくね熱中症説」は、この怪談が最初に話題になった2003年くらいからある話ではあるんですけれど、最近X(旧:Twitter)でまた話題になっていましたね。
――そんな昔から、熱中症説はあるんですね。
廣田:
20年以上前からあります。
ですけれども「くねくね」っていう話の肝は「正体がわかった瞬間に狂う」、「理解したら狂う」という部分であって、ただ単に狂うっていう話ではなんです。
――熱で頭がやられる、という切り取り方はしないんですね。
廣田:
不可解な部分をばっさり切り落としてしまって、説明できる部分だけ残して「熱中症」とすれば、それこそ「解体」できます。
しかし、民俗学や都市伝説研究では話の全体が大事なわけですよね。
そこから肝心の「正体を理解したら狂う」を削ってしまうと、結局何を説明したことになるのか分からなくなってしまいます。
それどころか、それで理解した気になってしまうと、その都市伝説の怖さも面白さも削ぎ落としてしまうと僕は思うんですよね。
ただし、賛否両論ありながらですが話題になったことからも、科学的・合理的に思える説明に楽しみを感じる人も結構いるだろうなとも思います。
――こういった「解体」を求めるのは、都市伝説への恐怖や不安があるからでしょうか?
廣田:
そうですね。
不安というか、「この世界を自分が理解できるものにしたい」という欲望ですね。
人間が理解できる範囲なんて、本当、知れたもののはずなんだけれども、すべてをとりあえず説明しておきたいって思ってしまうんですよね。
――理解できる範囲の外側に、異界とか不思議なものがあるっていうイメージは人間にずっとある心理なのかも知れないですね。
廣田:
それは昔からそうですね。
ただ、今は目に入ってくる情報の規模がもう全く桁違いなので、逆説的に自分がいちいち考えなくてもいいようなものを増やしておきたい、だから自分が既に知ってるもので全部説明しておきたくなってしまう。
陰謀論とかもそうなんですけどもね。くねくねを熱中症で説明するとかも同じ心理ですよね。
――ドッペルゲンガーも「脳腫瘍で幻覚を見ただけ」というような話もありましたね。
廣田:
そうです、いろいろあります。
「座敷わらし」も認知症の一種と説明したり、かまいたちは真空のせいだと説明したり。
――人間はいつの時代も変わらないってことでですね。だからこそ、いつの時代でも民俗学を見ると親近感を持つし、面白いと感じるのかも。
廣田:
それはそうですね。
ただし、今はロマンチックなものがどんどん、解体されちゃっているように感じることもありますね。
――曖昧なものを、曖昧なまま楽しむのがなかなか難しい時代なのかもしんないですね。
■『都市伝説解体センター』でも描かれた噂の魔力……「ネットの闇」と「モラルパニック」
――何かを悪者にしてしまう「モラルパニック」ですが、もっと身近な……例えば、血液型でも起こりますか? 例えば「大きな事件の犯人は全員AB型」みたいなデマが広まったら、差別が起きたり、学者や警察などが公的に否定することはあり得ますか?
廣田:
あり得ますね。今だと、性格診断とかもあり得そうです。
――例えばMBTI診断などですか。最近の「サイコパス」という言葉もレッテルのような使われ方をしていると感じます。
廣田:
最近の話題で言うと、いわゆる「発達障がい」に関して、とある本が炎上したじゃないですか。
本当はちゃんとした専門医が診断しないといけないはずなのに、自前の基準で判断しちゃって特別扱いしよう、みたいな書き方で批判されました。
発達障がいという言葉への誤解は、専門家が鎮静化しようと学会で声明出したりしてるんですけど、きちんとした知識を広めるのが大事ですね。
――インターネットが便利に使えて情報が増えた結果、みんな考えるのめんどくさくなってるのかなと個人的に思ってます。
廣田:
それはあるでしょうね。
情報があふれてると何を選べばいいか、正しいものとして選べばいいかわかんなくなるから、どんどん流れてくるものを受け止めちゃうんですよね。
――『都市伝説解体センター』でも描かれている部分がありましたが、レッテルとモラルパニックが組み合わさると恐ろしいことになりそうですね。
廣田:
よくわからないもの、自分と違いそうなものにラベルを貼ってしまう。
それによって攻撃性が誘発されたり、パニックが誘発されたり、問題を起こしがちですね。
――モラルパニックは現代特有のものなのでしょうか?
廣田:
いえ、昔からあることです。
「モラル・パニック」を取り扱っている本はたくさんあります。去年出版された『Social Panics & Phantom Attackers』なんかがまさにそれですね。
日本でいう「口裂け女」みたいな存在が、19世紀から21世紀にかけてたくさん現れていたと論じた本です。
この本には載っていませんが、近年で有名なものとして、アメリカで「キラークラウン」っていう子供を狙うピエロが話題になったんです。
近い時期にはそういった事件はなかったはずだけどハロウィンでピエロの仮装が禁止されたり、警察が注意喚起するような騒ぎがありました。
――ピエロの仮装をした写真が印象的だったことで「キラークラウン」と呼ばれた、ジョン・ウェイン・ゲイシーという連続殺人犯がいますが、50年近く前なので直接的な関係はなさそうですね。
廣田:
『Social Panics & Phantom Attackers』では子供を狙う存在にまつわる都市伝説の特徴が挙げられていて、一つは、被害を証言しているのは子供しかいないという点。大人がそれを聞いてパニックになったってことですね。
『Social Panics & Phantom Attackers』を開く廣田さん
――子供が被害にあったとなると、パニックになる人は多そうですね。
廣田:
他にも「スレンダーマン」という例があります。
「スレンダーマン」は創作された怪異で、Wikipediaにも元ネタへのリンクがあって創作だとはっきり記載されているんです。
でも、2014年に、それを本気で信じてしまった少女が、友達を殺そうとしたという事件【※】を起こしてしまった。
※スレンダーマン刺傷事件
2014年5月31日、ウィスコンシン州で12歳の少女2人が友人を森の中におびき寄せて包丁で19回刺した事件。被害者は一命を取り留め、加害者2名は心神喪失とみなされ長期間の入院となった。
で、それは「スレンダーマンを信じたせいだ」となったけども、あの当時、他の事件も全部スレンダーマンに結びつける報道があったらしいんです。
一部の事件と関連づけて、無関係な事件も「スレンダーマンが悪い」、「インターネットが悪い」と結びつけて「子供がインターネット使うときは、保護者が監視しろ」って論調が高まったんです。
スレンダーマンのイメージイラスト(画像はAIを用いてニコニコニュース編集部が作成)
子供もスマホを持っている時代に「もう、インターネットを封鎖しろ」みたいな話にまでなってしまった。
――完全にパニック状態ですね。
廣田:
そう、パニックなんですよ。さすがにすぐに沈静化してましたけれども。
最終的には、みんな創作として楽しんでいたはずなのに、「全部フィクションです」と、でかでかと書かざるを得なくなっちゃったんですね。
――事情が事情とはいえ、ちょっと無粋ですよね。
廣田:
そうなんです。野暮なんですけれども、そうせざるを得なくなるだけの力を持っちゃうんですよね。
他にも「Momoチャレンジ」っていうの、ご存じですかね。
――相蘇敬介さんの『姑獲鳥(うぶめ)』という像の画像に「Momo」と名前を勝手につけて使った都市伝説ですよね。
廣田:
そのMomoが「自殺をしろ」と迫ってきて本当に自殺してしまった子供がいた、みたいな話ですね。
実際には誰も自殺してないにも関わらず、アメリカとか世界各国で大騒ぎになったんです。
実態がないのにみんな何かあったと信じて騒いで、沈静化するために、いちいち言わなきゃいけなくなるっていう。
――ピエロならジョン・ウェイン・ゲイシー、Momoチャレンジなら「Blue Whale Challenge【※】」のように、実際の事件があったからパニックに繋がったんでしょうか?
※Blue Whale Challenge(青い鯨ゲーム)
管理者からの命令を50日間達成し続けるというゲーム。命令は徐々にエスカレートし、最終的に自殺を指示される。2016年に首謀者の一人が自殺教唆などの罪で逮捕された。
廣田:
原因とまで言えるかは、かなり難しいところがあります。
でも、パニックを加速させる要因としては大きいでしょうね。
子供を攻撃する不審者というのはどの時代にもいて、民俗学者の伊藤龍平さんは、そういう存在を「怪人」という言葉でまとめてます。
妖怪でもなければ、普通の人でもない。中間の存在である怪人には、「口裂け女」、「赤マント」なども含まれます。
日本でも怪人によるパニックが起きていて、たとえば1939年の「赤マント」だと、警察が繰り返しラジオで「そんな事件は起きていない」と声明を出したり、警察署に子供を呼んで説明したり、その様子を新聞に報じてもらったりして、沈静化させた例があります。
――デマが広まったときに止める方法についての研究もあるんですか?
廣田:
たとえばSNSだと、大元の一番拡散された投稿を消す、あるいはアカウント削除ぐらいしか効果がないと言われてますね。
対抗神話を流してもあんまり役に立たないようです。
あとは、別のバズるものを出すしかないんですよね。
あと、強いて言うならば、いまだにテレビとかのメディアの力は強いので、地上波で特集を組むとかでしょうか。
日本だと多分それぐらいしかないと思います。
――公的な組織とか新聞とかが動かないと止まらないくらい、噂には力があるんですね。
■『都市伝説解体センター』から語る「境界」の民俗学
―― 『都市伝説解体センター』のように、都市伝説を扱ったゲームが逆に文化に影響を与えることもありますか?
廣田:
十分にあり得るでしょうね。
例えば『SIREN』は、いわゆる「因習村」の一つの原型になったという話もあります。
ゲーム自体が怪談を生み出すわけではないですが、似たような怪談を楽しむときにイメージしやすくなるわけですよ。
「あ、こんな風景のゲームで見たな」と。
『SIREN』山中の村を訪れた主人公を中心に多数の操作キャラクターたちが奇怪な現象に巻き込まれていくホラーゲーム 画像引用元:PlayStationStore
あと『8番出口』は、見覚えがあるのに無機質で不気味に見える空間、いわゆる「リミナルスペース」の怖さを世間に広めたという点で良いなと思っています。僕、ああいうの好みです。
『零(ゼロ)』や『都市伝説解体センター』など、民俗学の知識が織り込まれていると「この怪談や都市伝説は、実は民俗学で説明できるんじゃないか」みたいに楽しむことができるでしょうね。
まぁ、あくまで演出として登場する形なので、実際の民俗学とは違う描かれ方をしていますが。
他にも、都市伝説を扱っていないゲームでも、そのゲーム自体が都市伝説を生むことがあります。
子供のころに遊んでいたゲームが、大人になってから改めて考えると「ヤバい描写だったんじゃないか?」と、深読みされて都市伝説が作られることが結構あるんですよ。
――広まった都市伝説がゲームになり、ゲームがまた噂を呼んで……お互いに影響し合って新しいものが生まれてるんですね。
廣田:
ゲームに限らずメディアと都市伝説、怪談との関係っていうのは本当に相互に密接に影響しているといえますね。
代表的な例ですけど『リング』が映画化されて貞子の印象的なビジュアルが広まったら、貞子型の幽霊を目撃する人が多くなったっていう話があります。
もっと古典的な「シーツをかぶったような姿の幽霊」だって、戦前のアメリカのコメディとかでよく出るようになってイメージが完全に定着したという話もあります。
―― 『都市伝説解体センター』で特に語りたい都市伝説や人物はいますか?
廣田:
一つ一つ全部語れるんですけども(笑)。
個人的な関心から言ったら「異界」が興味深かったんですよね。
他のやつと違って「特定」のところで何が出るかわかんなかったんですよ。
そうしたら「異界」って出てきて、「異界は都市伝説じゃないだろう」って。
どの都市伝説か特定したというか、異界って1つの「ジャンル」じゃないですか。
――確かに他の回の特定と少し違いますね。
廣田:
それで、興味深かったのが「境界」を取り上げていたところなんです。
「きさらぎ駅」や「異世界エレベーター」、他にも地下施設に関する都市伝説が組み合わされていたんですが、「きさらぎ駅」に関して言うと元の話には境界を通過したとはっきり分かるタイミングが明示されてないんです。
その路線に存在しないはずのトンネルを通過したというのが境界とされることはありますが、はっきりしない。
トンネルのイメージイラスト(画像はAIを用いてニコニコニュース編集部が作成)
けれども、このゲームの中だと「エレベーターで異世界に行く」という展開で境界を越えているんです。
――境界というのが重要なんですか?
廣田:
そうですね。境を越える、例えば「敷居を越える」のもその一種ですよね。
廊下から、部屋というプライベートな空間という別の世界に入ることになります。
時間的に境を越えるっていうのもあって、これが「式」と呼ばれる行為です。
成人式とか入社式とか卒業式とか、すべて境界を超える行為なんですよね。
人間ってある状態から別の状態に変わるときには「式」をするんです。
――どの文化圏でもそうなんですか?
廣田:
必ずと言っていいほど、どこでも見られますね。
子供から大人になるとか、独身から既婚になるとか、「ある状態から別の状態になる」というタイミングで、どの民族でも「式」を行うんです。
そして、式のやり方・作法は細かく決まっているし、式が上手くできないと境界を越えられない。
葬式ができないと、そのまま幽霊になってしまう、というように。
――境界という概念は色々な文化で見られるんですね。他にも身近な境界というものはありますか?
廣田:
身近なところだと「夕方」は昼から夜への境界です。魔に逢うとき、と書いて「逢魔が時」とも言いますね。
あと「鏡」も境界です。鏡の向こうは「反転した異界」という捉え方をされることが多いですね。
鏡を初めてみた民族の人たちは「そこに写ってるのは自分ではあるんだけど、自分の体ではない」と解釈して「魂である」と捉えたりするんです。
――鏡を魂を映すものと考えるんですね。
廣田:
この感覚って、ドッペルゲンガーとつながってくるんですよ。
自分そっくりな何者かという存在を、自分の魂が体から抜けて歩いていると解釈するんです。
「ドッペルゲンガーと出会うと死ぬ」というように死が紐づけられるのも、魂が不安定で体から出ていくような状態だから死が近い、という解釈ですね。
鏡とドッペルゲンガーのイメージイラスト(画像はAIを用いてニコニコニュース編集部が作成)
時代が進んで鏡が一般的になっていくと鏡を見て魂だと思う人はいなくなりますが、それでも「自分の姿」を魂だとする解釈は残っていて、ドッペルゲンガーにも反映されているのかもしれません。
――「写真を撮られると魂を抜かれる」という話に似てますね。
廣田:
近いですね。写真の話は日本以外にも、世界各地の先住民にもそういう信仰があります。
写真も一般的になっていくと「さすがに写真に写っただけじゃ死なないだろうとな」ということなのか「3人で写ると真ん中の人が死ぬ」に弱体化されました。
写真に写ることへの不安がどこかに残っていて「とりあえず、誰かは死ぬだろう」みたいに弱まることで、ある意味では広がりやすく改変されたとも言えますね。
「真ん中じゃなければ大丈夫」とか「4人で写ればいい」という防御策が生まれたとも言えます。
――「境界」というと耳馴染みのない言葉ですが、身近にいろいろあるんですね。
廣田:
身近なところからどんどん離れていって、遠くにある境界になると「きさらぎ駅」みたいに、全く別の世界が舞台になるんです。
――境界を跨ぐときに儀式のような手順を取る話と、いつの間にか別の世界にいた話とでは、民俗学的には全く別の扱いになるんですか?
廣田:
なるでしょうね。伝統的な物語でいつの間にか迷い込んでしまった異界というと、「隠れ里」とか『おむすびころりん』のネズミの浄土があります。
――『おむすびころりん』は異界の話なんですか!?
廣田:
『おむすびころりん』で行ったのは地下の異界、「浄土」つまり「あの世」で、たまたま行ってしまったパターンです。
「異世界エレベーター」のように儀礼的な手順で異世界に行くというのは、民俗学とか文化人類学とかでは「儀礼」の一種と解釈できますね。
特殊な薬を摂取するとかで神に出会うような儀式の一種で、異界に行こうとするパターンということです。
ただし、伝統的な儀礼にはちゃんと戻る手順があります。
異世界エレベーターの場合は戻ってくる方法が書かれてないので、その点で、いわゆる儀礼ともちょっと違いますね。
■ネット怪談の特徴、都市伝説や伝承との違いは?
――ネット怪談と従来の伝承にはどういった違いがあるんですか?
廣田:
まず拡散速度が桁違いで速いですね。例えば日本発の都市伝説でも、すぐに英語や中国語に訳されて広まったりします。
もう一つが、画像や音声も含めたマルチメディア形式で展開するところですね。
従来だと写真や映像はマスメディアを経由して拡散するしかなかったけど、今ならスマホでもう一瞬です。
そういった情報が加わって「リアルなものを記録したんだ」という説得力が、付け加えられたのもネット怪談の特徴ですね。
あとは、比較的元ネタをたどりやすいのも特徴ですね。それまでの都市伝説は口伝えだから、録音でもしていない限り何も残らないんです。
例えば「口裂け女」くらい有名なものでも、当時の子供や保護者がどうしていたかは週刊誌の記事などに、ごく一部が残っているくらいです。
口裂け女のイメージイラスト(画像はAIを用いてニコニコニュース編集部が作成)
でも、ネット怪談の場合は書き込んだログが残るんですよ。運がよければ今でも全部見られる。
拡散の過程だったり、誰が言い出したことなのかまで分かる場合があります。ある意味、それこそ「解体」できるわけです。
――「このツイートがバズって広がった」みたいなログがあるから出所が追いやすいんですね。
廣田:
そうです。だから『都市伝説解体センター』のSNS調査は現代ならではですね。
90年代とかだったら、地道に聞き込みしていくしかありません。
僕もぶっちゃけ、ゲームを始めて最初に「調査してみよう」と言われたときに聞き込みをするのかと思ったんですよ。
――『都市伝説解体センター』はネットで調べるシーンが多いですね。
廣田:
始めはSNSでだけ調べる方式に違和感があったんですよね。
ただ、現代ならそれもアリなのかな、と意外ではあったけども納得できるところではありましたね。
直接聞き込みするところもありますが、ほとんど当事者だけって感じで。
そこは面白いというか、独特だなと思いました。
――現代のネット社会ならではの切り込み方ですね。
廣田:
そうですね。情報収集も含めて「ネット社会」は『都市伝説解体センター』の大きな構成要素になっている部分ですよね。
――現実の都市伝説研究では、フィールドワーク的な聞き込み調査が多いんですか?
廣田:
都市伝説研究も、あまりフィールドワークはしないんですよ。
なぜかというと、聞けることは聞けるんですけれども、労力の割に得られる情報が少ないです。
だから文献や本、雑誌、新聞などを、図書館や古本屋とかで集めて調べることがメインなんですよ。
文字を見るという点ではSNS調査も同じなわけで、近いところはあるのかも知れないですね。
――昔の伝承に地域の文化が色濃く残っている印象があるんですが、ネット怪談でも地域性はあるんですか。
廣田:
変化していく前の、最初に書き込まれた段階では結構ありますね。
ですけれども、似たような別の話が書き込まれるにつれて、地域性は薄まっていきます。
例えば「くねくね」は秋田県ですが、怪談の授業をしていたときに「栃木県でくねくねを見ました」っていう学生がいました。
――その学生さんが無事でよかったです。
一同:
(笑)
廣田:
元は土地に根づいた怪談だったとしても、噂として、都市伝説として変化していくと場所が曖昧になり「とある地方であった話」という感覚で話せる。
地域性がありつつも、それをないものとして語れるのは都市説の一つの特徴ですね。
それがもっと進化すると「試着室で誘拐される噂」のように、世界のどこにでも同じパターンが現れるわけです。
――他にも地域が分かってる都市伝説はあります?
廣田:
「コトリバコ」が島根だったかな。
元の話の中に「隠岐騒動」が入っていて地域とかが何となく分かるし、考察サイトとか考察動画とかでも「これはあのあたりの話だ」みたいに紹介されるから、地域性が薄れるような変化が起きづらい話ですね。
最初のころは「うちにもあった」みたいな報告があったみたいですが、元の話が強烈だったのもあってすぐに語られなくなったようです。
都市伝説はどんどん変化するのが特徴なんですが、「コトリバコ」の場合は色々なバリエーションが生まれても、元のデータが残っている。
コトリバコのイメージイラスト(画像はAIを用いてニコニコニュース編集部が作成)
これも90年代まではなかったネット怪談の特徴だと思います。
――ネット怪談の有名な怪異は、古典の妖怪に比べて理不尽さと化け物感が強い印象があるんですが、そういう特徴もあるんでしょうか?
廣田:
ネットに投稿される怪談話の多くは、そこまで悲惨な話ではないんですよ。
ただ、そういうのって話題にならないので、例えば『姦姦蛇螺(かんかんだら)』とか『八尺様』とか、そういったキャラが立っているものは残る傾向があるんですよ。
――残った話というは、その時代の風潮をうまく掴んでいるものなんでしょうか?
廣田:
流行りはあると思います。
2000年代を「ネット怪談黄金期」と呼ぶんですが、その時期は因習系のものがヒットする傾向があったと思いますね。
都会から離れた田舎に「ヤバいもの」があって、それをたまたま見てしまう、あるいは封印していたものを開けてしまうという話です。
「コトリバコ」、「八尺様」、「姦姦蛇螺(かんかんだら)」、「リゾートバイト」も当てはまりますね。
自分たちがいる場所じゃない別のところに「ヤバいもの」があるという構図は色々な話に見られます。
それをインターネットを通じて覗くことができる感覚が好まれて、古典的なネット怪談として残っていったのかなと思います。
――それも「境界」の話みたいに「自分がいる場所の外側」を怖がる感覚が、多くの人に共通してあるのかもしれないですね。
今年話題になった新作ゲームを通して、何十年も前の別の国の人々にも自分と似た感覚があったと想像させられるお話でした。
触れるものや恐れるものが時代と共に変わっても、人の心は大きく変わったりはしないのかも知れません。
民俗学を通して都市伝説を見ることで、目の前にいないはずの過去の人々の営みを「幻視」したような気持ちになりました。
■Information
・『都市伝説解体センター』
・『ネット怪談の民俗学』
記事の要約
■『ネット怪談の民俗学』の著者に『都市伝説解体センター』を遊んでもらった
・『都市伝説解体センター』は、累計30万本以上を売り上げた人気アドベンチャーゲームです。
・SNSを使った調査システムが特徴で、都市伝説の真実に迫る高い没入感が魅力です。
・民俗学者、廣田龍平さんはゲーム内のSNS描写のリアルさや、都市伝説が不安から生まれる背景を評価しました。
■『都市伝説解体センター』と民俗学の違い……「解体」は“しない”
・ゲームのSNS拡散と現実は異なり、現実ではごく少数のアカウントがリポストで噂を広めます。
・民俗学者は真相究明や「解体」はせず、噂の時代背景や人々の行動変化を調査します。
・都市伝説は、社会の漠然とした不安が具体的な物語として形になったものだとも言え、「モラルパニック」と関連しています。
■『都市伝説解体センター』でも描かれた噂の魔力……「ネットの闇」と「モラルパニック」
・「モラルパニック」は特定の集団や架空の存在を悪者にして起こる現象で、現代に限らず昔から存在します。
・「スレンダーマン」を信じた少女が起こした事件のように、創作が現実の事件を引き起こす例もあります。
・デマを止めるには、大元の投稿を削除したり、テレビなどの強力なメディアが特集を組んだりするしかないとされています。
■『都市伝説解体センター』から語る「境界」の民俗学
・廣田さんは『都市伝説解体センター』の「異界」のストーリーでの、「境界」という概念の描写に注目しました。
・「境界」とは、昼から夜へ、子供から大人へといった「ある状態から別の状態へ変わる際の境目」という普遍的な概念です。
・「きさらぎ駅」や「ドッペルゲンガー」などの都市伝説も、この「境界」の概念が反映されているとも解釈できます。
■ネット怪談の特徴、都市伝説や伝承との違いは?
・ネット怪談は拡散速度が速く、画像や音声を含むマルチメディア形式で展開されるのが特徴です。
・従来の都市伝説と異なり、元ネタをたどりやすいため、ある意味では真相の究明が可能です。
・2000年代には、「都会から離れた田舎にヤバいものがある」といった因習系の物語が流行し、これも「境界」の概念と紐づけられます。