2023年02月28日10時07分 / 提供:マイナビニュース
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三菱ケミカルグループ(三菱ケミカル)、慶應義塾大学(慶大)、日本IBMの3者は2月9日、慶大量子コンピューティングセンター内にある「IBM Quantum Network Hub」にて、光機能性物質のエネルギーを従来にない正確さで求めるための量子コンピュータを用いた新たな計算手法「制約条件自動調整変分量子固有値法(VQE/AC法)」を開発したことを発表した。
同成果は、三菱ケミカルの高玘氏、同・小林高雄氏、同・菅野志優氏、慶大 理工学部化学科の後町慈生大学院生、同・畑中美穂准教授、同・稲垣泰一助教、IBM Research-Tokyoの中村肇氏らの共同研究チームによるもの。詳細は、新材料の設計と既存材料の理解を深めるための計算アプローチを扱う学術誌「npj Computational Materials」に掲載された。
光機能性物質のさらなる理解と合理的設計を実現するため、光吸収・発光の波長や強度、発光せずに熱失活してしまう確率などを高精度に求めることが必要とされている。これらの量を求めるには、「フランク=コンドン(FC)構造」や「円錐交差(CI)構造」など、各現象が最も起こりやすくなる分子構造における基底状態と励起状態のエネルギーの定量的な計算が不可欠だ。
現在、励起状態の計算には「時間依存密度汎関数(TDDFT)法」が最も広く用いられている。しかし、CI構造のように基底状態と励起状態のエネルギー差がない、または小さい場合、TDDFT法ではエネルギーを正しく求めることができず、その代わりとなる多参照計算方法では、膨大な計算コストがかかるという問題があった。そこで、この問題を解決できる可能性があるとして、現在、量子コンピュータが期待されている。
ただし、量子コンピュータを使って励起状態を計算するにあたっては、配慮すべき部分がある。まず、基底状態と励起状態を表現できる量子回路と励起状態計算を行うためのコスト関数を、適切に設計する必要がある。量子コンピュータによる計算には必ず誤差が含まれるため、それを最小化する量子回路の設計が重要なのだ。また、励起状態計算に適切なコスト関数が分子構造によって異なるため、すべての分子構造に共通して適用可能な計算方法も開発する必要があった。
そこで研究チームは今回、光機能性物質のエネルギーを高い精度で求めるために、(1)スピン多重度を保存する量子回路(スピン保存量子回路)の設計指針と、(2)コスト関数を用いない新しい計算方法を開発することにしたという。
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今回の研究は、基底状態と励起状態のスピン多重度を保存するという条件が課された上で量子回路が設計された。たとえば、2つの分子軌道(HOMOとLUMO)に2つの電子を含む一重項状態は、3つの電子配置の重ね合わせで表される。この3つの電子配置を過不足なく表現する回路を設計することで、誤差の原因の1つである電子数やスピン多重度の異なる成分の混入が防がれているという。実際に、スピン保存量子回路は、ほかの設計指針に基づいた回路よりも小さい計算誤差でエネルギーを計算できることが明らかにされた。
従来の励起状態計算(VQD)法では、2つのパラメータを事前に調整した上で、コスト関数からエネルギーが求められていた。事前調整が必要なパラメータに対する適切な値は分子構造に依存するため、VQD法を用いてポテンシャルエネルギー局面を記述するのは困難だったとする。しかし、スピン保存量子回路を用いることにより、パラメータの片方の値をゼロに固定することが可能だ。
さらに、|〈ψ(θ)|ψ0〉|2をゼロに近い値にするという制約条件を課した最適化手法を用いることで、もう片方のパラメータも事前調整を回避することができたという。このように、励起状態が満たすべき条件を制約とする最適化計算によって励起状態を計算することから、VQE/AC法と命名された。
実際にスピン保存量子回路とVQE/AC法を組み合わせた多参照計算の一種であるCASSCF法を用いて、フェノールブルー色素の基底状態・励起状態が、IBM Quantum System One上で計算された。すると、FC構造、CI構造いずれの場合も、計算誤差をわずか2kcal/molに抑えてエネルギーを求めることに成功したという。
励起状態計算のために開発されたVQE/AC法だが、制約条件を変えることで、励起状態に限らず、さまざまな状態の計算に応用することが可能になるとする。また同計算法を用いることで、任意の分子構造の基底状態・励起状態のエネルギーを同一の計算条件で求められるようになった。そのことから研究チームは、将来的には安定構造や状態間の交差点の構造最適化への応用が期待できるとした。