2023年02月21日12時00分 / 提供:マイナビニュース
●『エルピス』の企画書にあった「“価値なき者”たちの逆襲」
『さよならテレビ』(東海テレビ)と『エルピス-希望、あるいは災い-』(カンテレ)。ドキュメンタリーとドラマでジャンルは異なるものの、“テレビ報道”の裏側を描くというタブーに切り込んだ自己批判の姿勢に、業界内外で大きな反響があがったが、それぞれのプロデューサーを務めた阿武野勝彦氏(東海テレビ)と佐野亜裕美氏(カンテレ)は、互いの作品に強く励まされていたという。
今回、そんな2人の初対談が実現。全4回シリーズの最終回は、阿武野氏がプロデュースし、現在公開中の東海テレビドキュメンタリー劇場最新作『チョコレートな人々』の話題から。「思い出しただけでも涙ぐんでくる」という佐野氏は、この作品をどう受け止めたのか。そして、阿武野氏が込めた思いとは――。
○■『ヤクザと憲法』でも覚えた感覚「これ、映してもいいんだ」
――東海テレビドキュメンタリー劇場の最新作『チョコレートな人々』ですが、佐野さんはご覧になっていかがでしたか?
佐野:映画として「正しいもの」を提示しているわけじゃないということは理解しつつも、最近自分が考えている「人間の価値」っていうこととか、渡辺あやさん(『エルピス』脚本)とも散々話してきた「システムが人を殺す」っていう問題に関して、1つのすごく強い答えをもらったなというのが正直なところです。いつも「やりたいことは何ですか?」とか「伝えたいテーマは何ですか?」と聞かれるたびに、「私自身は伝えたいことややりたいテーマがあるわけではないのですが、作家さんがやりたいことを視聴者に届けるための架け橋としてプロデューサーという存在があります」って言ってたんですね。でも、果たして本当にそうなんだろうか、自分が作ってきたものの中に共通したテーマとか根底に流れるものはないだろうかということを『エルピス』を終えてから改めて考えてたんです。そのときに、人間の価値を問うというか、すべての人に価値があると信じられるドラマを作りたいと思い続けてきたことに気づきました。『エルピス』の最初の企画書には「“価値なき者”たちの逆襲」と書いたんですけど、テレビ局の中で低く見られがちな場所にいる人たちの価値を問うということをやりたかったんです。
その「人間の価値」というところで、『チョコレートな人々』の夏目さんは、(障害などを抱えている人に)配慮したいのではなく、そこでみんなでやるっていうことが大事なんだと。「システムが人を殺す」と言いましたけど、「人のためにシステムを作る」ということを、絵空事ではなく、実際にやっている人の姿っていうのが、こんなにも強くて、そんな言葉は使われたくないんだと思うんですけど、本当に美しいなと思ったんです。その答えを提示してもらったという気持ちでいっぱいで、最初から最後まで素晴らしいとしか言いようがなくて。ちょっと思い出しただけでも涙ぐんでくるのですが、びっくりしました。
――特に印象に残ったのは、どんな場面でしょうか?
佐野:一番すごいなと思ったのは、若い頃の夏目さんが、ある方を雇えなくなってしまったときに、その方のお母さんに「もっと大人になってください」と言われたシーンで、「これ、映してもいいんだ」とびっくりしました。私、『ヤクザと憲法』(※)が大好きなんですけど、あのときの衝撃とわりと似たような感じがあって、私から見たら、「この素晴らしい活動をしている本当にすごい人が、ああいう言葉を言われてしまう。どっちが正しいとか、悪いとかそういうことではなくて、その現実がやっぱりドキュメンタリーなんだな」と思いました。つまり、そのままの形で映し出されて、本当に見る者に委ねられたなと。そこから改めて、阿武野さんが今までやってこられているドキュメンタリーは、とにかく観客に信頼を置いているんだということを思いました。
『エルピス』でも、渡辺あやさんは、例えば村井(岡部たかし)という人のセクハラ・パワハラを肯定するわけでも否定するわけでもなく、「こういう人なんだということをやりたい」と言われて、私は最初、いまいち分からなかったんです。でも、『チョコレートな人々』を見て、渡辺さんがずっと言っていた、人間について、社会についての言葉が「こういうことだったんだ!」と、それが答え合わせになったような気持ちで拝見したんです。もう「本当に全員見て!」って思いました(笑)
(※)…大阪の指定暴力団「二代目東組二代目清勇会」に密着取材した東海テレビドキュメンタリー劇場第8弾作品。
阿武野:ドキュメンタリーは、映した時点ですべて過去になるけど、過去になった映像を作品化すると、未来を見据えようというものになると思ってるんです。佐野さんがおっしゃった雇えなくなった方というのは、夏目さんがパン屋を経営していた時代に途中で辞めたのは美香さんという人なんですが、彼女のその後を取材しているのを夏目さんが知って、「どうしてコソコソ取材を…」と。マイナスの過去をほじくり返されることに憤ったんだと思います。しかし、すぐに夏目さんは、ありのままの姿を映してほしいと言うんです。「自分を見つめ直すために、いい機会になった」と言ってくれた。過去を大切にしながら、未来を見据える、そういう人だなと思いましたよね。
○■“障害者モノ”ではなく、社会のありようを照射したい
阿武野:『チョコレートな人々』は、上映も中盤を越えたんですけど、映画の興行としては苦戦しています。これは今の社会を表してるなと思ってるんです。いわゆる“障害者モノ”というふうにくくられちゃうんですよ。テレビドキュメンタリーがずっと“障害者モノ”とくくられるようなものを拡大再生産してきたからなんでしょうね。登場人物は違うけど何だかステレオタイプで、番組の最後に感動的な音楽がかかって、いい人しか出てこないみたいな。『チョコレートな人々』はそうじゃないんだけど、やっぱり“障害者”ってワードが出た途端、今の日本の社会ではそういうふうにレッテルが貼られてしまう、当事者意識のない人は見なくていいみたいな感じで、入り口が狭められてしまった。僕は、夏目浩次という人の生き方を通じてこの社会のありようを照射したい。もう一つは、「働き方改革」じゃなくて、経営者がちゃんと「働かせ方改革」を考えるときなんじゃないかという思っているんです。
今「SDGs」っていろんなとろでやってますけど、僕の感覚で言うと、テレビ局は、大量生産・大量消費の権化なわけです。そこは自覚して、何かの活動するとき恥じらいを持たなきゃダメだと。だから、「SDGsのために作った番組です」みたいに前に出されるのはイヤなんです。テレビの中にも、こういう表現活動をする人たちがいる、と思ってもらえれば、巡り巡って信頼につながると思うんです。
佐野:例えば『ヤクザと憲法』って、すごくキャッチーなタイトルじゃないですか。でも、『チョコレートな人々』っておととしの民放連賞のグランプリだったので名前は知ってたんですけど、そのタイトルから作品のイメージができなくて、自分の中でもそのままになっちゃってたんですよ。映画として苦戦してるということを今お伺いして、情報が多くなりすぎた今、そこで引っ掛からないと自分の中を通り過ぎてしまっていたことに、反省しました。
●「教えてやる」というテレビマンの悪しき習性
佐野:観客を信頼するという点で、どこまで音楽を敷いて、どこまでテロップを入れて、どこまで説明をするというところの判断基準は、どう決めているのですか?
阿武野:本当は、ナレーションもテロップも全くないほうがいいと思ってます。実際、ナレーションを使わなかった作品もあります。本来ナレーションは、映像のインタビューで撮れていないものなどを説明するものですが、そこから離脱して独立した“呪文”のようにしたいと考えてきました。「温めれば、何度だって、やり直せる――」(『チョコレートな人々』より)、「風が吹けば枯れ葉が落ちる、枯れ葉が落ちれば土が肥える、土が肥えれば果実が実る――」(『人生フルーツ』より)とか、よく分かんないけど、また呪文が出てきちゃった、という感じ。
もともと、自分よりよっぽど感度のいい人たちが見ていると思っているので、まず「教えてやる」みたいな啓蒙的な気持ちはありません。「とにかく、みんなに見てほしい」ということだけです。例えば、山に登って誰も見られない風景を写真に撮れたら、一刻も早くみんなに見せたいじゃないですか。そういうのがテレビマンだと思うんです。で、映画をやるようになって、見終わった後にお客さんが感想を言ってくれんですが、「そういうことに気づいてくれるんだ」という発見があるんです。テレビマンの一番悪しき習性は「教えてやる」という上から目線ではないかと。それは的外れの卑しい気持ちだと思っていて、僕は視聴者、観客を信用しています。
佐野:それは、先ほどの「“やるべき”こと」じゃなくて「“やりたい”こと」をやるっていう話にもつながりますね。「やるべき」っていう言葉には、私がこのことをきちんと伝えなければいけない、ってどこかちょっと上から目線が入る気がします。
阿武野:「なんでそれやってるの?」って聞かれて、「だって好きなんだもん」って言うのが一番良いような気がしますよね。表現欲っていう喜びですから。
佐野:そうですよね。
○■「人間には頭の中に置いておく能力がある」
佐野:いやあ、今日は壮大な答え合わせだなあ。先日島根で打ち合わせをして、言われたことがきちんと理解できない部分があってモヤモヤっとしたまま帰ってきて、今日で1週間になるんですけど、それくらい経つとなんとなくモヤが晴れてきた部分もありながら、まだ自分ではつかめていない部分もあったんですが、こうやってお話をすると、「なるほど」ってなります。
阿武野:すごくよく分かります。その場では分からないことがいっぱいありますよね。
佐野:今日のことは今日のことで、また私の宿題になっていることもいくつかあって、実はちょっとモヤモヤっとしてるんです。それがきっと1週間なのか1カ月後なのか、何かのときに答えが分かって、「阿武野さんが言ってたことはこれだったのか!」ってなるかもしれないですね。
阿武野:スタジオジブリの鈴木(敏夫)さんとお話ししていて、「すぐに分からなくていいよ。人間って頭の中に置いておく能力があるから」って。
佐野:なるほど!
阿武野:ずいぶん前の事柄だったけど、「あれはそういう意味だったのか」と突然気づく経験が鈴木さんにもあって、そこを信じた方がいいよって言ってくれたんです。だから、『エルピス』の最後のカレーのシーンですが、それまでしばらく出てこなくても玉ねぎを切ってるだけで「あっ、カレーだ」って分かるし、8話で松尾スズキさんが出てきて、後ろに「さよなら、戦国時代」って書いてあるだけで、1話の「さよなら、江戸幕府!」と叫んだシーンを思い出して、クスッと笑っちゃうわけなんですよ。
佐野:8話まで置いてきたんですよね(笑)。「何ですぐにあのとき反応できなかったんだろう」って反省してばかりいたんですけど、この反省はもうしないようにします(笑)
●阿武野勝彦1959年生まれ。静岡県伊東市出身、岐阜県東白川村在住。同志社大学文学部卒業後、81年東海テレビ放送に入社。アナウンサーを経てドキュメンタリー制作。ディレクター作品に『村と戦争』(95・放送文化基金賞)、『約束~日本一のダムが奪うもの~』(07・地方の時代映像祭グランプリ)など。プロデュース作品に『とうちゃんはエジソン』(03・ギャラクシー大賞)、『裁判長のお弁当』(07・同大賞)、『光と影~光市母子殺害事件 弁護団の300日~』(08・日本民間放送連盟賞最優秀賞)など。劇場公開作は『平成ジレンマ』(10)、『死刑弁護人』(12)、『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』(12)、『ホームレス理事長 退学球児再生計画』(13)、『神宮希林』(14)、『ヤクザと憲法』(15)、『人生フルーツ』(16)、『眠る村』(18)、『さよならテレビ』(19)、『おかえり ただいま』(20)、『チョコレートな人々』(23)でプロデューサー、『青空どろぼう』(10)、『長良川ド根性』(12)で共同監督。鹿児島テレビの『テレビで会えない芸人』(21)では局を越えてプロデュース。個人賞に日本記者クラブ賞(09)、芸術選奨文部科学大臣賞(12)、放送文化基金賞(16)など。「東海テレビドキュメンタリー劇場」として菊池寛賞(18)を受賞。著書に『さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ』(21・平凡社新書)。
●佐野亜裕美1982年生まれ、静岡県富士市出身。東京大学卒業後、06年にTBSテレビ入社。『王様のブランチ』を経て09年にドラマ制作に異動し、『渡る世間は鬼ばかり』のADに。『潜入探偵トカゲ』『刑事のまなざし』『ウロボロス~この愛こそ、正義。』『おかしの家』『99.9~刑事専門弁護士~』『カルテット』『この世界の片隅に』などをプロデュース。20年6月にカンテレへ移籍し、『大豆田とわ子と三人の元夫』『エルピス-希望、あるいは災い-』、さらにNHKで『17才の帝国』をプロデュース。23年1月に映像コンテンツのプロデュースや脚本作り、キャスティングなどの支援を行う「CANSOKSHA」を設立。『カルテット』でエランドール賞・プロデューサー賞、『大豆田とわ子と三人の元夫』で大山勝美賞を受賞。