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『さよならテレビ』が起こした波紋の先にあったもの… 阿武野勝彦×佐野亜裕美<2>「番組の物議と系列局の懐」

2023年02月19日12時00分 / 提供:マイナビニュース

●怒りが込められ、苦しさに後押しされた『エルピス』
『さよならテレビ』(東海テレビ)と『エルピス-希望、あるいは災い-』(カンテレ)。ドキュメンタリーとドラマでジャンルは異なるものの、“テレビ報道”の裏側を描くというタブーに切り込んだ自己批判の姿勢に、業界内外で大きな反響があがったが、それぞれのプロデューサーを務めた阿武野勝彦氏(東海テレビ)と佐野亜裕美氏(カンテレ)は、互いの作品に強く励まされていたという。

今回、そんな2人の初対談が実現。全4回シリーズの第2回は、テレビの現場で何が起きているのかを探るため、自社の報道部にカメラを入れて取材した前代未聞の作品『さよならテレビ』がもたらした波紋を阿武野氏が明かすほか、系列局だからこその懐の深さなどについて語り合った――。

○■佐野氏「まるで自分を見ているかのようだった」

阿武野:僕は『エルピス』を見て、“怒り”を感じたんですね。「ジャーナリズムどうしたの? テレビどうしたの? 今のままでいいの?」という。その怒りに激しく僕は反応してしまうんですね。つまり、四六時中思っているけれど、どうすることもできない、この徒労感というか無力感というか、そういう気持ちを逆なでされるような、あるいはギリギリ締め付けられるような…。それは、僕自身の怒りとドラマのメッセージが共振しているんだと思うんです。佐野さんの中に、そういう“怒り”はありましたか?

佐野:それこそ、脚本を作っていた2017年、18年は本当にいろんなことに怒っていました。その当時は、“システムが人を殺す”ということが脚本家の渡辺あやさんとの間の大きなトピックでした。何かがヒットするとそれに倣えとなって、そこからはみ出るものは許容されにくくなってしまうこととか、人間の価値とか、観客を信じていないところとか、声が大きい人の言うことにみんなが倣えになってしまう。そういったこととの戦いに疲れ果て、怒って、またいろんなことをしては怒られ……その頃に渡辺さんのところに行ってその怒りをいっぱい話していました。一方で渡辺さんは、当時の政治のありようにとても怒ってたんですよ。そういった当時の我々の怒りとやり場のない気持ちが込められた台本になったと思います。

 脚本を作っていた当時、「『さよならテレビ』ってすごいドキュメンタリーがあるらしいよ」とウワサが流れてきて、当時は見る方法がなくて、フジテレビに在籍していた友人に頼んでDVDを焼いてもらって見て、それを島根に送って…みたいなことやってたんです(笑)

阿武野:そのことを大島新さん(『なぜ君は総理大臣になれないのか』など監督)が「裏ビデオのように出回っている」と週刊誌に書いたんで、僕は「裏ビデオ」は上品じゃないから「密造酒」にしてほしいとお願いしました(笑)

佐野:でも、本当に密造酒みたいにこっそり回って、いろんな人に「見たほうがいいよ」って勧めたり、見た後にいろんな人から「見る? 貸すよ?」と言われたりして。それこそ、『エルピス』を報道の皆さんが見たときの「見た? 見た?」っていう感じですよね(笑)

阿武野:ちょっと小声で(笑)

佐野:自分の姿って、私にとっては醜悪なんですよ。できるだけ自分を客観的に見て、相変わらずダメな人間だ、と反省して苦しんでばかりいるのですが、『さよならテレビ』は、そこにいるのが自分じゃないのに、まるで自分を見ているかのようで、本当に苦しかったですね。

阿武野:やっぱり苦しいですよね。

佐野:いやあ、苦しいですね。でも、その苦しさからしか始まらないということもよく分かるので、ちょうどその頃『エルピス』の脚本を作っていて、「これは絶対にやらなきゃ」とすごく励まされました。
○■阿武野氏「いまだに会社の中はすごく居心地が悪い」

阿武野:同じ2017年に、永井愛さんが『ザ・空気』(※)という演劇を作っているんですよね。『エルピス』が6年温められたという話を聞いたとき、同じ時期に、日本のどこかで、メディアのあり方とか、表現の自由とか、民主主義についてとか、根本から考え直さないとダメだと叫びたい人たちがいたんだなと思ったんですよ。それを、演劇作品にして表現した永井さんもいれば、ドキュメンタリーにした僕たちもいて、そして、時を経て全国ネットのドラマで佐野さんたちが展開したというのは、変な言い方ですけど、「答え合わせしてみてごらんよ。『さよならテレビ』は時代感覚として“◯”だったじゃん…」って、『エルピス』に励まされましたね。

 『さよならテレビ』を放送した2018年に僕たちは社内でボコボコにされて、2019年も冷たい視線を浴び続けて、2020年にどさくさ紛れて映画にして、これで突っ切ったつもりでしたが、いまだに会社の中はすごく居心地が悪いですね。

(※)…人気報道番組の放送数時間前、ある特集の内容について局の上層部から突然の内容変更を命じられ、編集長やキャスターは抵抗するが、局内の“空気"は徐々に変わっていき――という舞台作品。

佐野:今もですか?

阿武野:今でも、です。ただ図々しくて、鈍感力みたいなものがありますので。それに、僕が辞めたら他のスタッフが責任を強く感じちゃうだろうから、辞めるわけにはいかない。

佐野:そうか、それはそういう状況になりますよね…。『エルピス』は、フィクションなので逃げられる部分はあって。モデルというか、キャラクターの参考にした方もいるので、たぶん本人は「自分のことだな」って分かると思うんですよ。でも「フィクションだし」って逃げ道がある。ドキュメンタリーだとその人そのものが映っているからこそ強いけど、逃げ道がないっていうことなんですよね。東海テレビさんでそうなっているとは、全然知らなかったです。どんな人が怒ってるんですか?

阿武野:当時の報道部長はすごく怒ってましたね。「許さない」という気持ちが長くあったと思います。で、『さよならテレビ』が、一つの引き金になったかもしれませんが、彼は東海テレビを辞めて大学教授になりました。この前、その彼が『さよならテレビ』を学生たちに見せたと言うんですね。「え、見せたの? 君、あんまりいい感じに映ってないよね」って言ったら、「そんなことは、いいんですよ」と。「それで学生の反応は?」って聞いたら、今の3回生は入学式もなかったし、講義もオンラインで、サークル活動もなく、友達ができないまま就活に突入なんです。しかも、授業料は満額とられるから、学生が「こんなもん『さよなら大学』ですよ」って。教授は即座に「それドキュメンタリーにしようよ」と。それで今、彼のゼミで『さよなら大学』を制作中です。

佐野:それは面白そうですね!

阿武野:それをちょっと手伝ってほしいと言うんです。つまり、プロの編集マンに見てもらったり、音効さんにサウンドの処理を教えてもらったり、学生の実地研修ですね。

佐野:そんな協力までされるんですね! そうなると、その活動そのものを撮りたくなりますよね。

阿武野:そうですね。粗編(集)を見て、「これは放送できるかもしれないね」っていう話をしてます。教授になった報道部長を『さよならテレビ』は、深く傷つけたかもしれないけど、人生の中でプラスに変える力を見せてくれていますよね。他にも、「撮るな!」って怒ってた編集長が報道部長になって、最近になって「僕、系列で挨拶するとき名刺いらないんですよ」とかニコニコして言ってたり(笑)。「東海テレビのイメージを著しく損ねた毀損した。これから東海テレビに入ってくる学生なんかいない」って散々非難されたけど、今500人入社希望者がいると、半分は「『さよならテレビ』を作った局だから」と言ってくれるそうです。そういう意味で、この“さよならテレビ騒動”っていうのは、仕掛けた側が最終的には負けなかったと思うんだけど……中島さん、合ってるかな?

――はい、合っていると思います。

阿武野:『さよならテレビ』は、時間とともに社会的には大きく価値が転換したのに、やっぱり会社の中は変われないんですね。

佐野:そうですよね。一枚岩ではないけれど、意外と強固なんですよね。

阿武野:「熱しやすく冷めやすい」と日本の悪い国民性のような中で、ジクジク自説を曲げない頑固な人間がいるというのを、プラスに考えてみてもいいかなと思うこともあります。だって、みんなが一斉に手のひらを返したように「よかったよかった」って急に言い出したら気持ち悪いですもん。それって、戦争するとき、国民がそっちの方向に一気に盛り上がっちゃうみたいなことになりかねないんで。本気で会社のイメージを傷つけたと思っているなら、それを言い続けてほしいと思いますね。

佐野:よく渡辺さんが、「そもそもなぜ人はそんなに傷ついちゃいけないのか?」と言っているんです。例えば、ドラマで「更年期」という言葉を使わないほうがいいと言われたこともあったんですけど、その理由は「更年期」という言葉が出てくるだけで嫌がる視聴者がいるからと。でも、「更年期という言葉が出てくるだけで仮に見た人が傷ついたとして、それは何がいけないんですか?」と言っていて、それは確かにその通りだなと思ったんです。今のお話を聞きながらそのことを思い出しました。

●心配を全部捨てる「決定的におかしいことは一つもない」

佐野:『さよならテレビ』の東海テレビ社内の反発を聞いて、じゃあカンテレ社内は『エルピス』でどうだったのか?と考えると、私が知らないだけかもしれないんですけど、逆にいうと私が知らないまま終わらせてくれる会社ということでもあり、むしろ他社の方から「あれやって大丈夫だったんですか?」ってよく聞かれました。で、大丈夫かどうかそもそも深く考えてなかったなと、聞かれて初めて思うことがありまして。たぶん、自分の鈍感さで突っ込んでいったら、カンテレが懐の深い会社だったことに救われたんだと思います。東京のキー局だったらいろいろ厄介だっただろうとは思うのですが、ありがたいことにそういうことがなかったので、みんなが守ってくれて放送できたんだなと思って。だから、『さよならテレビ』の後の東海テレビさんのお話を聞いて、結構びっくりしてしまいました。

阿武野:佐野さんは、放送前にあんまり大丈夫かどうかを深く考えなかったと言いましたが、僕はむしろグジュグジュいろいろ考えます。これも問題になるだろうな、あれも問題になるだろうな、それは誰が言ってくるかな、どんな言い方をしてるかな…と考えて考えて考え続けた挙げ句、全部捨てちゃうんですね。

佐野:(笑)

阿武野:決定的におかしいことがあるか、してはいけないことをしているか、と自分に問うと、そんなことは一つもない。でも、『さよならテレビ』は、放送後に全社ティーチ・インを開いたんですよ。

佐野:全社でですか!?

阿武野:そう。僕らスタッフが前の“被告席”に並んで、アルバイトから役員まで参加したい人はみんな来て、ティーチ・インをやりました。そこで、「身内をさらした」とか「切り取った」と激しく罵(ののし)られました。でも、ちゃんと反論しましたね。「いつもこうやって取材にしてるじゃないか」「いつも、みんな切り取ってるんじゃないか」って。

佐野:おっしゃる通りですね。

阿武野:「いつも映してる側が映される側になると、なんで急にそんなこと言い出すのか?」ということに激しい怒りを持ちましたね。僕は、取材対象者との間でトラブったら必ず自分が行って、相手がどういうことに疑問を感じ、どんな気持ちでどういるのかを知ろうとしてきました。そうして、人間関係を切り結んでいくことを、放送し終わった後も含めて続けてきたんで、ティーチ・インで罵る側に立った人たちよりも、取材対象の心持ちについては知っていると思っているんです。

○■「赤いじゅうたん」を歩くテレビマン人生よりも…

佐野:阿武野さんのような立場の方が怒ってくれることの価値は、下の人間にとって本当に大きいですよ。だんだんみんな怒ってくれなくなるので、「いやいや、そこは怒って戦ってよ」って思うこともたくさんあります。私自身はたぶんこのままひたすら現場をやり続けるとは思うんですけど。

阿武野:テレビがダメになる理由は、やっぱり作り手が管理職になったりして、作り手を全うできないということがあると思います。モノを作る人を軽んじるこの国の悪しき姿ですね。この人はテレビの職人として秀でていると思ったら、そういうふうに組織が処遇すればいいのに、出世のあり方がダサい。本気で番組を作らなければ、テレビ局は終わるのに、みんな作ってるふり、やってるふりでしょ(笑)

佐野:現場から離れて偉くなる人が、何で偉くなりたいのか本当に分からなくて、何人かに聞いてみたんですよ。そしたら、自分の部屋が欲しいとか、車が付くとか、秘書が付くとか、そういったことに野心を持っていかないとやっていけないって言うんです。それが自分にはどうしてもピンとこなくて。

阿武野:でも、僕はすごくよく分かりますね。

佐野:本当ですか!?

阿武野:40歳前に、番組を巡って報道局長と“冷たい戦争”をして、営業に飛ばされたんですね。その後、10年先輩から営業局を統括する部長のバトンを渡されたんです。でも、毎日夜中の2~3時まで仕事して、翌朝9時に出勤するみたいなことをやってたら、足腰が弱くなりました。もう撮影機材の三脚持って取材ができなくなると思ったので、3年後に「戻してください」って頼みました。当時の常務と副会長から、「おまえの前に赤いじゅうたんが敷かれてるのが分からんのか」とか言われちゃって、「ああ、そうなのか…」って一瞬グラグラしましたけど、「でも、お二方は僕がその年齢になるときに会社にいるとは限らないですよね」って返して、現場に戻してもらいました。ただ、会社でいいお給金をもらって過ごすあっちの道を選んでおけば良かったかな…と、ずっとグジュクジュ考えちゃいましたね。

佐野:今のお話を聞いて、テレビ局の上の人って同じ表現を使うんだなって思いました(笑)。私も「お前のために赤いじゅうたんを敷いておいたのに、そこから勝手にいなくなった」って言われたことがありました。いわゆる大型企画のプロデューサー、みたいなことだったのですが、「勝手に敷かないで」ってやっぱりそのときも怒ってたんですけど(笑)、予算規模の大きなドラマとかを見ると、そういう道もあったんだなと思ったりはしますね。『エルピス』は大変ありがたいことにいろいろ話題にしていただいて、そのこと自体には深く感謝しているのですが、「私は赤いじゅうたんのほうじゃなくて、こっちの隙間で、大ヒットしたりはしないけどこういうものがあってもいいよねっていうところをできるだけ細く長く歩いていきたいと思っているので…」という気持ちではいます。

阿武野:この先、自分の人生を振り返るときが来たら、「2022年に何をやってたか?」という自問に『テレビで会えない芸人』って答えられるんです。「2023年は?」って言ったら『チョコレートな人々』というふうに、1本ずつ言える作品を作り続けられる、こんな幸せはないだろうなあって思います。自分の人生をドキュメンタリー作品で振り返られる。そこに関連するスタッフ、取材対象を思い出せる。個室に籠もる人々にはできないことです。

佐野:確かにすごく幸せなことですよね。同年代の友人と「2006年何してた?」みたいな話になると、大体みんなそのとき流行ってたものとか、「あの曲聴いてたよね」とか「あんな服着てたよね」という話になるんですけど、自分だと「あの番組のADやってて、こんな生活してたな」という思考になってやっぱり作品と共に振り返るのが癖になってるんですよね。自分の記憶が全部ドラマにひも付いちゃって、それって人生損してるなと思うこともあるんですけど、ある意味ではとても幸せなことですよね。

●『エルピス』が6年の時を経て結実した理由
阿武野:出会いってすごく大事ですよね。カメラマン、編集マン、タイムキーパー、ナレーター、作曲家、音楽プロデューサー、それに取材対象者…。人に出会って、きちんと作品を手作りしていくことが、何よりも尊いはずです、佐野さんのお話を聞いていると、やっぱり渡辺あやさんと、6年という時間を経ても『エルピス』を世の中に出せる出会い方をしてるんだなって感じました。よく諦めなかったなと思いますよ。

佐野:ドラマは良くも悪くもですけど、あんまり“固定されたチーム”がないんですよ。連ドラは4カ月の撮影が終わったらみんな散り散りに次の仕事をして、新しい企画が立ち上がったらまたそこから人を集めて出会っていくということなので、何かと引き換えに自分が守らなきゃいけないものというのが、特にないんです。だからできている部分もあります。『エルピス』はなかなか企画が通らなかったんですが、TBSを辞めることを決めてからいろいろな会社の方に台本を読んでいただいたら、カンテレの方が一番最初に「これはやったほうがいいですよ」って言ってくれたんです。その方は当時企画を決める立場にはなかったんですけども、そういうふうに言ってくれる人がいるだけでも、これは希望だなと思ってカンテレに行くことを決めて。そこからその方を含めてすごく情熱を持って一緒にやってくださった方々が何人かいて、企画が無事通ったんです。

 他にも『エルピス』をやってくれそうな会社はなくはなかったんですけど、そこの人には「これをやるなら、ここはこうしなきゃダメだ」みたいなことをいくつか言われたんです。せっかく可能性があるのにどうしようと悩んだのですが、渡辺あやさんはきちんと納得しないと絶対に直さないだろうし、渡辺さんを納得させられる自信がないというのもあって引き下げたりして。これはもう勘ですね。

阿武野:勘ですか。

佐野:はい。出会って話を始めて、10分、15分くらい話すと、何か心が通じ合えないなと感じることがあります。ドラマを作るために取材するときも、「この人にこのまま話を聞いても、きっとこれより深くはいけないだろうな…」って判断してしまう。取材はすごく好きなんですけど、脚本を作ったり、キャスティングしたりみたいな他の業務がある中で、どうしても取材に十分な時間が取れなくて、本当は自分の想像しなかったお話がもっと聞けたりするんだろうなと思いつつ、時間の取捨選択をしていかざるを得ないので、そのときの判断基準として勘に頼っているところがあります。だから、阿武野さんが作られる作品に憧れるんですよ。そういう取捨選択の中で作ってないと勝手に思ってるので、そこが本当にカッコいいなと思うんです。

阿武野:今の、絶対書いといてね(笑)

――承知しました(笑)

○■ドキュメンタリーの神様が「いい気になるな」と言ってる

佐野:もちろんドラマとドキュメンタリーで戦場は違うにせよ、どうやったらあんなにカッコいいものを作れるんだろうなって。だから、阿武野さんが作った『さよならテレビ』がそんな目に遭っているということに、驚きを隠せないんです。

阿武野:僕はドキュメンタリーの神様がいると思っているんですよ。いつもはすごく苦労しているとスタッフの目の前にひゅっと降りてきて、現場や編集中に事象が変わる何かを起こすんです。そのドキュメンタリーの神様が「いい気になるな」と言ってるんだろうな。僕らも取材が命なので、ディレクターがどういう人間かにかかってるんですけど、その人によく話すことの1つは、「取材拒否をされたら喜びなさい」と。相手に見せたくないお宝があるから隠すんです。自分の経験上、最初に冷たかったり、コワモテでぶつかってくる人は、逆に懐の中に入ったら、「こんな人だったんだ」って感動することがよくあります。

 あと、東海テレビは素敵な会社で、僕は「大きい財布」と「小さい財布」って言い方をしてるんですけども、報道局にはニュースの「大きい財布」があって、ドキュメンタリーって「小さい財布」があって、上手にお財布を使うんですよ。そういう形を採るから、たくさんのお金を投入してドキュメンタリーを作っていけます。それを認めているわけですから、その懐の深さというのは、東海テレビならではのものだと思いますね。カンテレさんにもそういうことはあるんじゃないですか?

佐野:そうですね。たぶん、人を信じているところが根本にあると思います。システムのために人がこうしなきゃいけないみたいなことも、もちろんあるんですけども、それに対して疑義を唱えると、1回ちゃんと一緒に戦ってくれるんです。「なんでこういうふうになってるんですか?」って聞くと、「確かにそうだな、ちょっと聞いてみるか」みたいなある種の軽さがあるんですよね。私も正式に入社してまだ1年半ぐらいなので、そんなに会社のことを語れるほど分かってないんですけど、カンテレに入ると思ってなかったときにたまたま見ていたカンテレ制作のドキュメンタリーもいくつかあったりして、やっぱり土地に根付いてそこで起こってることを撮っていくというのは、ローカル局にしかできないことだし、とても大事なことだなと思います。

次回予告…「“やるべき”ことと“やりたい”こと」

●阿武野勝彦1959年生まれ。静岡県伊東市出身、岐阜県東白川村在住。同志社大学文学部卒業後、81年東海テレビ放送に入社。アナウンサーを経てドキュメンタリー制作。ディレクター作品に『村と戦争』(95・放送文化基金賞)、『約束~日本一のダムが奪うもの~』(07・地方の時代映像祭グランプリ)など。プロデュース作品に『とうちゃんはエジソン』(03・ギャラクシー大賞)、『裁判長のお弁当』(07・同大賞)、『光と影~光市母子殺害事件 弁護団の300日~』(08・日本民間放送連盟賞最優秀賞)など。劇場公開作は『平成ジレンマ』(10)、『死刑弁護人』(12)、『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』(12)、『ホームレス理事長 退学球児再生計画』(13)、『神宮希林』(14)、『ヤクザと憲法』(15)、『人生フルーツ』(16)、『眠る村』(18)、『さよならテレビ』(19)、『おかえり ただいま』(20)、『チョコレートな人々』(23)でプロデューサー、『青空どろぼう』(10)、『長良川ド根性』(12)で共同監督。鹿児島テレビの『テレビで会えない芸人』(21)では局を越えてプロデュース。個人賞に日本記者クラブ賞(09)、芸術選奨文部科学大臣賞(12)、放送文化基金賞(16)など。「東海テレビドキュメンタリー劇場」として菊池寛賞(18)を受賞。著書に『さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ』(21・平凡社新書)。

●佐野亜裕美1982年生まれ、静岡県富士市出身。東京大学卒業後、06年にTBSテレビ入社。『王様のブランチ』を経て09年にドラマ制作に異動し、『渡る世間は鬼ばかり』のADに。『潜入探偵トカゲ』『刑事のまなざし』『ウロボロス~この愛こそ、正義。』『おかしの家』『99.9~刑事専門弁護士~』『カルテット』『この世界の片隅に』などをプロデュース。20年6月にカンテレへ移籍し、『大豆田とわ子と三人の元夫』『エルピス-希望、あるいは災い-』、さらにNHKで『17才の帝国』をプロデュース。23年1月に映像コンテンツのプロデュースや脚本作り、キャスティングなどの支援を行う「CANSOKSHA」を設立。『カルテット』でエランドール賞・プロデューサー賞、『大豆田とわ子と三人の元夫』で大山勝美賞を受賞。

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