2023年01月31日16時44分 / 提供:マイナビニュース
●正確さや利用のハードルに課題があった登記所備付地図
2023年1月23日正午、法務省の地図作成事業として整備され、全国の法務局に備え付けられていた「登記所備付地図」のXML形式の電子データがオンラインで公開された。地番情報と土地の位置・区画が明確な高精度地図が広くオープンなデータとなったことで、GIS(地理情報システム)コミュニティから歓迎の声が上がり、公開直後には配布元であるG空間情報センターのサイトがつながりにくくなったほどだ。
ただし、事前の知識がないと「高精度地図」という性質と見た目のギャップで戸惑うかもしれない。見た目は非常にシンプルな、土地の区画に番号がついた図面だからだ。いったいなぜ、GISコミュニティはこの地図のオープンデータ化に強く反応したのか? 不動産業界だけのものではないのだろうか? 土地利用の意識を大きく変革する可能性を秘めた、登記所備付地図データの意味を解きほぐしてみよう。
登記所備付地図とは?
不動産登記には、地目(土地の用途)、地積(面積)といった不動産の物理的状況と、土地の位置や区画(筆界)を明確にするため、登記所である法務局に精度の高い地図が整備されている。不動産登記法第14条第1項の定めによる「地籍調査」というこの整備事業は、まだ全国で進行中。これまで使用されていた地図(公図)と現況が大きく食い違っている地区について、順次正確な地図に更新する作業が毎年実施されている。
「公図」とはつまり、土地登記の資料となる「地図に準ずる図面」だが、課税の土台になる土地台帳の付属図面という大切な図面が、なぜ正確でないということがあるのだろうか。事情は明治初期にさかのぼる。
明治6年から始まった地租改正事業では、測量を行って土地の位置を表す図面の「公図」を作成した。しかし、このころの測量は現代よりも精度の劣る縄を伸ばして行う方法で、「縄延び」と呼ばれる誤差や、実際は複雑な土地の形を四角形とみなして計算しやすくして面積を求めたときの誤差などが発生していた。土地登記の原点となる「和紙公図」には、こうした事情から実情とのズレが多く含まれている。
現在の公図は電子化されていて、一見すると近代化が進んだようだが、その中には多数の和紙公図をポリエステルフィルムに写した「マイラー公図」と、マイラー公図の電子化データが含まれている。つまり、データ化されたとはいっても大元は明治時代の公図であって、測量技術が未熟だった時代の不正確さがまだ多く残っているのだ。形状が正確でなかったり、地図の接合関係が不明確で正確な位置を特定することができないといった問題が残されている。
地籍調査で公図をより正確な地図に更新すると、土地の利用に変化があったときにさまざまなメリットがある。まずはなんといっても災害後の復旧だ。土地の境界点は公共座標値(世界測地系)で特定でき、災害復旧の際に土地の区画をきちんと復元することが可能になる。これは再開発の際にも有効だ。また隣同士と境界紛争がおきたような場合でも、公的な記録を参照して解決でき、土地を譲渡する場合にも測量をやり直す必要がなくなる。
公共性の高い登記所備付地図だが、これまで利用する場合には法務局に出向いて地図の写しを書面で交付してもらう、または登記情報提供サービスを利用して、表示された情報をPDFファイルでダウンロードするといった手順が必要だった。窓口以外にもオンライン請求が可能ではあったものの、土地の区画ごとに細かく申請する必要があり、データを加工できる形での配布にはなっていなかった。かなりのマンパワーを要する作業だったのだ。
●5年の歳月を経てオープンソースデータが公開
電子データ配布までのいろいろ
土地利用の基盤情報のひとつだが利用しにくかった登記所備付地図が変わるきっかけは、2018年2月の未来投資会議 構造改革徹底推進会合「地域経済・インフラ」会合(農林水産業)だ。この場では、農業事業者などから「まとまった区域の登記所備付地図の電子データを相応の対価で入手したい」という要望が出された。
なぜ農業なのか。その背景には、農林水産省が推進していた「eMAFF地図(農林水産省地理情報共通管理システム)」がある。農業は土地の管理が基本にあるため、農地台帳、水田台帳といったデータベースと農地の現場情報をデジタル地図上で統合し、農業に関わるさまざまな事務作業の効率化を進めている。このデジタル地図整備の上では、土地の区画、位置、面積といった情報が必須だが、自治体がこの情報を取りまとめるのにこれまで大変な手間がかかっていたのだという。
農業や地域の課題解決を目指す岐阜大学発のベンチャー企業「サグリ」の代表を務める坪井俊輔さんによると、「農地のデータも大元は登記簿です。各市区町村の農業委員会はこれまで、登記簿の区画情報を取り寄せて地番図というものを作り、これを農地区画台帳と突合してデジタルの農地情報『農地ポリゴン』を整備していました。ですが、地籍調査をきちんと行った地図ばかりではなく、農地では日本の3割、宅地では5割が不正確な公図のまま残っています。緯度経度もついていないので、区画どうしが合っていないことも多かったのです」という。きちんとした調査の上に地図が整備されなければ農地情報のデジタル化も進まず、またデータの入手方法にも大きな課題があったわけだ。
登記所備付地図の電子データについては、農業以外の分野でも活用が期待されることから、当初は2021年度までに公開という方針が示された。結果的には2022年度になったわけだが、「本当に公開されるぞ」という情報が流れたのは2023年1月17日ごろ。新聞各紙が公開について報道し、1月20日に法務省から急遽「来週月曜日に公開する」と発表があった。GIS勢の期待は一気に高まった。
そして1月23日の正午、社会基盤情報流通推進協議会が運用するG空間情報センターで、公開が開始された。当初はアクセス集中のためかサーバダウンもあったが、現在は復旧している。
ここでは、たとえば東京都では62件のデータが公開されている。データはXML形式で、そのままではGISツールに読み込めないため、デジタル庁からGISデータとして利用しやすいGeoJSON形式に変換するツールが提供されている(農林水産省が開発したコンバータを改良したもの)。データの中には任意座標系しか含まれておらず、表示させて見るとアフリカ沖に表示されたりするトラブルがおきた例も報告されているものの、5年かけた新たなオープンデータの登場はおおむね好評のようだ。
●登記所備付地図をWebで閲覧できるアプリも登場
Webアプリで簡単閲覧 サグリ「地番検索くん」
サグリはデータ公開に合わせ、1月23日午後に登記所備付地図をWeb上で閲覧できるアプリ「地番検索くん」α版を急遽リリースした。これまでの登記所での申請に比べてはるかに手間が軽減されたとはいえ、XML形式のデータやGeoJSON変換ツールの利用は、GISに慣れた人以外には敷居が高いこともある。まずは「見るだけ」のWebアプリが地図利用のきっかけになりそうだ。
「耕作放棄地がひと目でわかる私たちの農地パトロールアプリ「アクタバ」での事例ですが、太陽光発電の業者さんから『太陽光発電を設置できる耕作放棄地を探している』と問い合わせを受けたことがあります。それまでは、Googleマップで可能性のある土地を探し出し、法務局へ出向いて地番情報を取り寄せていたそうです。『そんな大変なことをしていたのか』と思いますし、同じようにこれまで地番を有償で、そして法務局へ足を運んで調べていた人はたくさんいるはずです。登記所備付地図がオープンデータになったことは大きな変革のきっかけになると思います」(坪井さん)
「農業分野でいえば、権利関係が見えやすくなり、所有者どうしで相談して法人に売却するなど、農地の集約化もできるようになると思います。また、農水省の地域計画も進めやすくなるでしょう。ほかにも空き家の確認といった利用も考えられます。東京都もこれまで地番図と現地確認を照らし合わせていましたし、行政で有償地図を買っていたところも多いですから、大きなコストがかかっていました。日本全国の地番を調べられるアプリがあったら、利用したい人はたくさんいるはずです」(坪井さん)
このアプリでは、東京都渋谷区から順次データを公開している。見慣れた場所も、地番という新たな視点と地図(Mapbox)を重ね合わせて見ると、「この区画はこんなふうに所有者が分かれているのか」というだけでも驚きがある。データは今後公開数を増やす予定で、ヘビーユーザー向けでシェープファイルでのダウンロードなどが可能な有償版と、閲覧のみの無償版というようにサービスを更新していくことを考えているという。
「登記所備付地図」というそっけない名称からは想像しにくかったが、高精度地図のオープン化を深掘りしてみると、そこには実に楽しい世界が広がっていた。まずは身の回りの再開発地区などを「どんな状態になっているんだろう」と見てみたくなる。公共の地図のオープンデータ化をきっかけに、新たなビジネスが生まれ拡大していくことが期待できる。
秋山文野 あきやまあやの フリーランスライター/翻訳者(宇宙開発) 1990年代からパソコン雑誌の編集・ライターを経て宇宙開発中心のフリーランスライターへ。ロケット/人工衛星プロジェクトから宇宙探査、宇宙政策、宇宙ビジネス、NewSpace事情、宇宙開発史まで。著書に電子書籍『「はやぶさ」7年60億kmのミッション完全解説』、訳書に『ロケットガールの誕生 コンピューターになった女性たち』ほか。 この著者の記事一覧はこちら