2023年01月29日07時00分 / 提供:マイナビニュース
●一生懸命見てもらえる場所は映画館だった
東海テレビが製作・配給するドキュメンタリー映画の第14弾『チョコレートな人々』が公開中だ。東海エリアで放送を終えたテレビ番組に映画という形で再び命が吹き込まれ、全国の人たちに作品が届けられるようになったこの取り組みは、2018年に菊池寛賞を受賞し、「独自の視点から地方発のドキュメンタリー作品を制作。作品は映画としても公開され、他のローカル局がドキュメンタリー映画を発信することに大きな影響を与えた」と評価された。
第1作からこの陣頭指揮を執るのは、阿武野勝彦プロデューサー。「東海テレビのDNA」というドキュメンタリー制作と、その作品を広げることへ執念や思いに加え、“テレビの暗部に切り込む”テーマに感化されたというあのドラマへの見解も聞いてみた――。
○■採用面接で半数がドキュメンタリーを見て志望
アナウンサーとして東海テレビに入社した阿武野氏だったが、ちょうど背中合わせにあったのがドキュメンタリーを作る部署だった。そのためアナウンサー時代から、ドキュメンタリー制作で人が足りないときは、ディレクターとして駆り出されることがあったそうだが、「ある時、大きい番組を作るときにディレクターが足りなくて、『こいつがいる』という話になって、そのまま隣の部署に移るというお手軽な人事異動でした(笑)。自分としては志望する世界だったので、すんなり移籍できて良かったですね」(阿武野氏、以下同)と、正式にドキュメンタリー制作へ配属されることになる。
「ドキュメンタリーは専従班を作ってくれて、ニュースや行政の広報番組をなるべくやらず、専念できたんです。カメラマンも音声マンも専従で指定してもらえるので、カチッと決められたクルーで取材に出ていける。東海テレビは、ドキュメンタリーについて非常に熱い放送局だったので、その仲間に入れて、すごく誇らしかったですね」
異動した1988年当時はバブル真っただ中で、テレビ局の業績も絶好調だった時代。それゆえ、ドキュメンタリーは“売り物にならない番組”と位置付けられ、放送枠は深夜に追いやられていた。
その後、一時期営業局に異動してからドキュメンタリーに復帰すると、「300人しかいない地方局で、その仲間が作ってる番組を、深夜の25時や26時なんて今日か明日かわからないような時間に放送するのは間違ってる」と編成に掛け合い、土日祝日の昼~夕方帯、さらには時折ゴールデンタイムでも放送されるという現在のスタイルに。「他の局が深夜でしか放送しないという中で、視聴率が悪いと言っても、編成も営業もみんなで歯を食いしばって昼間の時間でやれているんです」と胸を張る。
これが実現できる理由は、「ドキュメンタリーは我々のDNAだから、これをやらずに東海テレビは語れないんだよ、と。そして、あくまで自社スタッフでコツコツ手作りするということを意識してきました」と、会社全体がドキュメンタリーは局の大きな柱と位置付けていることが1つ。
それに加え、「入社試験で、500人面接を受けたら250人くらいが『ドキュメンタリーを見て東海テレビを志望しました』と言うそうなんです。放送関係の志望者が減っている中で、我々の局はドキュメンタリーで全国に知られているということは会社の共通認識です」といい、大きなブランドになっていることを裏付けている。
○■テレビドキュメンタリーは見下されていた
放送したドキュメンタリーを映画化して公開する取り組みが始まったのは、戸塚ヨットスクールを30年以上にわたり密着取材した記録をまとめた『平成ジレンマ』(2010年5月29日放送、11年2月5日公開)という作品。それから「東海テレビドキュメンタリー劇場」と称し、最新作の『チョコレートな人々』でその数は14作品を数えるが、なぜ映画に進出することになったのか。
「一生懸命ドキュメンタリーを作っても、愛知・岐阜・三重の東海3県で1回放送し、もしかすると再放送できるくらい。さらにもしかして賞を獲るともう一度何らかの形で蘇らせることができるくらいで、結果、アーカイブという映像資料となって“映像の墓場”に入るともう二度と出てこられません。でも、これだけ手間暇をかけて、取材対象の方にも相当な時間とプライバシーと労力を収奪しながら作っているわけですから、今この時代にこのドキュメンタリーを広く見てもらう方法はないだろうかという、ある種の“表現欲”ですね。そんなことを2009年くらいから思い始めて、一生懸命見てもらえる場所はどこだろうと考えた先が、映画館だったんです」
映画にすることで、「“2023年作品”というクレジットが付いて、10年後も20年後も30年後も、映画館にも出せるし、自主上映のような形でも上映できる」と期待を膨らませたが、テレビドキュメンタリーに対する映画界の反応は冷ややかだった。
「『映画館でやりたい』と言ったら、『テレビ屋が何を寝ぼけた言ってんだ』という感じでしたね。映画は“映画芸術”という雑誌がありますが、芸術世界なんです。しかし、放送は一生懸命自分たちのことを“放送文化”と言っているじゃないですか。要するに、映画人のプライドが高く、テレビは見下されていたということですね」
それでも、『平成ジレンマ』で参入し、第2弾、第3弾と続けていくうちに、「テレビと映画がもっと融合して、ドキュメンタリーという世界を、もっとこの日本の社会の中で一生懸命みんなに見てもらえるようになりたい」という思いを強くした阿武野氏。全国の映画館に持ちかけると同時に、劇場公開の実績を引っさげて「日本映画専門チャンネル」にも売り込みをかけ、CS放送で日本全国見られるという状況を作り、最後は地上波の東海テレビに戻ってくるというループを作った。
こうして、単館系ながら1本、2本とヒット作が出ていくうちに、「うちでも上映したい」という映画館が増えてきた。また、1作目から上映し続けている横川シネマ(広島市)のように「うちは東海テレビのドキュメンタリーを全部やってるよ!」と誇る劇場もあり、阿武野氏は「そういうふうに言ってくれるとすごくうれしいですね」と顔をほころばせる。
●配信・ソフト化しない理由「同じことをしていたら埋没する」
地元・名古屋では、名古屋シネマテークという座席数50人ほどの小さな映画館でいつも上映しているが、「ヒットさせたいと欲が出て、1回浮気して、もう少し大きな劇場に変えたことがあるんです」という過去も。
その結果、「シネマテークには手渡した作品をきちんとかわいがってくれる関係性があったのが、変えた映画館では全く違っていたんです。作品がただの“物”として扱われたと感じたので、またシネマテークに戻らせてもらいました。映画館にもそれぞれの気持ちがあって、そこに呼応するようにしていかないと、やっぱり関係は長続きしないんだなと思いました」と、1つの教訓になった。
最新作『チョコレートな人々』で密着し、心や体に障害がある人、シングルペアレントや不登校経験者、セクシュアルマイノリティなど多様な人たちが働く「久遠チョコレート」は、東京や都会の駅前の一等地に店を構えず、儲かるかどうかよりも、その地域でどんな店づくりや人づくりを目指すのかに情熱を燃やす人がいないと出店しない方針を採っているが、この考えに通じるところがあるようだ。
また近年は、NetflixやAmazonプライム・ビデオ、さらには系列キー局のフジテレビが運営するFODなど、サブスクの映像配信が発達しているが、そうしたサービスに一切作品を出していない。DVDやBlu-ray化もされていないが、その狙いは何か。
「そういうお話も頂くのですが、僕らを育ててくれたのは、小さな映画館なんです。テレビか、単館でしか見られないという作品でいいんじゃないかと思うんです。ジブリ映画と同じようなイメージです。みんなが配信系に行っても、私たちはやらない。それほどの威力があるわけではありませんが、他と同じことをしていたら埋没するので、“東海テレビのドキュメンタリーは、ここでしか見られない”というほうがいいと思っています」
○■視聴者を信じた番組作り「一生懸命見てくれる人を対象にすべき」
東海テレビのドキュメンタリーの特徴の1つが、ナレーションの少なさだ。テレビは視聴者にいかに分かりやすい番組を作るかというのがセオリーだが、「見る人を信じているんです。視聴者は僕らよりもよっぽど想像力があって、見る力のある人たちだと思っているので、何か啓蒙的な気持ちで放送したり、映画化して上映するなんて気持ちはサラサラない。僕らは見つけてきたものを、今の世の中にリリースするというくらいの気持ちで出していて、あえて余分な説明をしなくても感じ取ってもらえると思っているので、ナレーションはどんどん減っています」と、その狙いを明かす。
ながら見の視聴者がいることも承知の上で、「テレビも映画も、一生懸命見てくれる人を対象にすべきだと思うんです。一生懸命見てくれる人に、一生懸命作ったものを手渡す。そこに、啓蒙的な意味合いなんて、全くいらないと思います」と、重ねて強調した。
もう1つ特徴として挙げられるのは、スタッフを大事にする姿勢だ。映画のホームページを見ると、大体の作品は監督や脚本のプロフィールが紹介されるくらいだが、最新作『チョコレートな人々』では、鈴木祐司監督に阿武野プロデューサー、ナレーションの宮本信子、さらには音楽(本多俊之氏)、音楽プロデューサー(岡田こずえ氏)、撮影(中根芳樹氏)、音響効果(久保田吉根氏)、編集(奥田繁氏)に至るまで、これまで手がけた作品などの略歴を詳細に公開している。
「僕らのチームは、『ここからここまでが編集の仕事』とか『ここからここまでが音効の仕事』とか思わないスタッフなんで、すごく伸び縮みがきくんです。ある時は構成マンであり、ある時はディレクターでありみたいなスタッフなので、このメンバーがいないと映画はできないですね」という絶大な信頼を、プロフィールの紹介という形で反映させているのだ。
●『さよならテレビ』の制作者は『エルピス』をどう見たのか
そんなスタッフたちによって数々の名作を制作してきたが、テレビ業界に衝撃が走ったのが、第12弾『さよならテレビ』(18年9月2日放送、20年1月2日劇場公開)だ。
テレビの現場で何が起きているのかを探るため、自社の報道部にカメラを入れて取材するという前代未聞の作品で、取材中はもちろん、放送から劇場公開の間にも社内で議論が起き、「1年半以上、映画化は寝かさざるを得なかった」という。だが、現場の生の姿を赤裸々に公開した内容に業界内外から大きな反響があがり、番組を録画したDVDが、東海エリアで見られなかった全国のテレビマンたちの間に出回った。
そうした中、昨年10月クールにカンテレが、えん罪事件を巡るテレビ局の報道現場の苦闘を描いた連続ドラマ『エルピス ―希望、あるいは災い―』を制作し、フジテレビ系列で全国放送された。ドキュメンタリーとドラマという手法の違いこそあれ、“テレビの暗部に切り込む”というテーマで共通しているが、阿武野氏はどんな思いで見ていたのか。
「与太者のようなプロデューサーが、実は怒りを持って報道を見ていたんだとか、セリフそのものが突き刺さってきて、あれは衝撃的でしたね。最終回は何回も見て、毎回違う気持ちが湧き上がってきて、何の涙か分からないけれども、泣いてしまうんですよ。『ちきしょー! テレビってなあ、報道ってなあ…』って言いたくなるんだけど、自分の中でまだまとめきれないような気持ちの中にいます。同業者に会うと、みんな『見た? 見た?』って言うんだけど、感想のような感想じゃないような会話が続いて、このことについてちゃんと整理して自分の考えをしゃべった人に、今まで会ったことがありません。『エルピス』がぶっ刺したナイフの傷が、私の最深部に達している、感じですね」
一方で、ドラマ制作の現場から報道に対する“期待”とも受け取ったという。
「やっぱり蘇ってほしいというか、原点に戻ってほしいというか、ちゃんとジャーナリズムをやってくれよと言われているような気がします。テレビを扱ったドラマは、今までにいくつも見ましたが、初めて本物を見たような気がします。テレビ局が伝えるメディアリテラシーなんて綺麗事ばっかりだったし、ドラマも華やかな世界という一面を描いて、幻想を振り撒くばかりだったのが、『エルピス』はテレビマンをある意味で、まる裸にして見せましたよね。テレビドラマの表現でも、『さよならテレビ』が始まったというか…。ん~ごめんなさい。『エルピス』の傷が深くて、まだ、何ともまとまりません…」
●阿武野勝彦1959年生まれ。同志社大学文学部卒業後、81年東海テレビ放送に入社。アナウンサーを経てドキュメンタリー制作。ディレクター作品に『村と戦争』(95・放送文化基金賞)、『約束~日本一のダムが奪うもの~』(07・地方の時代映像祭グランプリ)など。プロデュース作品に『とうちゃんはエジソン』(03・ギャラクシー大賞)、『裁判長のお弁当』(07・同大賞)、『光と影~光市母子殺害事件 弁護団の300日~』(08・日本民間放送連盟賞最優秀賞)など。劇場公開作は『平成ジレンマ』(10)、『死刑弁護人』(12)、『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』(12)、『ホームレス理事長 退学球児再生計画』(13)、『神宮希林』(14)、『ヤクザと憲法』(15)、『人生フルーツ』(16)、『眠る村』(18)、『さよならテレビ』(19)、『おかえり ただいま』(20)でプロデューサー、『青空どろぼう』(10)、『長良川ド根性』(12)で共同監督。鹿児島テレビの『テレビで会えない芸人』(21)では局を越えてプロデュース。個人賞に日本記者クラブ賞(09)、芸術選奨文部科学大臣賞(12)、放送文化基金賞(16)など。「東海テレビドキュメンタリー劇場」として菊池寛賞(18)を受賞。著書に『さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ』(21・平凡社新書)。