2023年01月26日08時30分 / 提供:マイナビニュース
●正義と悪を超えたドラマ
『仮面ライダー555(ファイズ)』は、2003年1月26日から2004年1月18日まで、テレビ朝日系で全50話を放送した連続テレビドラマである。『555』では、すべての仮面ライダーの原点・第1作『仮面ライダー』(1971年)の設定を見つめ直し、「ヒーロー」と「怪人」の存在意義を"破壊"した上で"再構築"を試みる、興味深いストーリーが志向された。
『555』では、一度死を迎えた人間が"覚醒"し進化した「オルフェノク」なる怪物が、人間を襲って命を奪う「倒すべき敵」として登場する。このオルフェノクと戦う「ヒーロー」として活躍するのが、ファイズギアを使って仮面ライダーファイズに変身する乾巧である。
ドラマでは、オルフェノクと戦う巧と、仲間の園田真理(演:芳賀優里亜)、菊池啓太郎(演:溝呂木賢)の日常を描きながら、一方でオルフェノクとなった木場勇治(演:泉政行)、長田結花(演:我謝レイラニ/当時の芸名は加藤美佳)、海堂直也(演:唐橋充)の苦悩や葛藤を描いていく。ヒーローサイドと怪人サイドのストーリーを均等に描き、いわゆる「怪人」であるオルフェノクにも視聴者が感情移入することのできる濃密な個性を与えたこと、これが『555』の大きな魅力となった。
放送開始から20年という節目の年、主演の半田健人に『仮面ライダー555』の魅力と、乾巧として過ごした激動の1年間の思い出を語ってもらった。
――『仮面ライダー555』放送から20年。現在の半田さんにとってこの20年は長かったですか、短かったですか。
近年になって、若いADやスタッフの方から「子どものころ観ていました」と告げに来られることが増えてきましたね(笑)。そういうときしみじみ20年経ったことを感じるんですけど、自分の中では今に至るまでいろんな経験をしてきましたから、あっという間だという感覚ではありません。とにかく、充実した20年だったのではないかと思います。
――そんな中で、ふと『555』の撮影に明け暮れていたあのころを思い出すような出来事はあったりするでしょうか。
ありますね。先日、とある仕事で大泉の東映東京撮影所に行く機会がありました。以前の『仮面ライダー大戦』などのときは車で直接向かっていたのですが、その日はたまたま時間に余裕があり、昔のルート……つまり西武池袋線の大泉学園駅から撮影所まで歩いて行こうと思いついたんです。それで、いざ駅からの懐かしい道を歩いていると、今まで出会ってきた人や、もう会わなくなった人のことを思い出し、すごくセンチメンタルな気分になりました。撮影所は1年間ずっと通っていた学校のような場所でしたから、そこまでの道のりにも特別な思いがあったようです。
――『555』という作品は、巧や真理、啓太郎といった人間サイドと、勇治、結花、海堂といったオルフェノクサイドをほぼ均等に描き、正義が悪を倒すといった単純な構造ではないキャラクター群像劇が大きな特徴でしたね。
現実の社会でも、敵と味方に分けるというのはちょっとしたギミックを用いれば簡単にできるんです。対立する人々の方向や起きている事象は同じなのに、どちらに視点をおくかで善悪が入れ替わってしまう。『555』は人間社会のそうした部分、正義と悪を超えたドラマに取り組んだ作品だと思います。人間側なら人間の言うことはわかるけど、オルフェノクの立場になったら彼らの言い分も理解できる、という風なストーリーは魅力的でした。
――互いにファイズとホースオルフェノクだと知らないまま巧と勇治が接近し、だんだんお互いに分かりあおうとする中、仮面ライダーカイザ/草加雅人(演:村上幸平)が密かに妨害を試みて誤解と対立が深まる、という描写もあり、毎回のストーリーに緊張感をもたらしていました。
演じている当時は思わなかったのですが、改めて『555』を観返したとき「お前、もうちょっと自己主張しなさいよ! 今のは泣き寝入るところじゃないでしょ!」と巧に言いたくなったところがありました。でも、そういうところが巧なりの哲学なのでしょうね。「相手と同じ土俵には乗らない」そして「命を粗末にする」これが巧の2大特徴です(笑)。
●「頑張らないヒーロー」作ってみたい
――新人俳優として関わられた半田さんが、1年間という長い撮影を乗り切る自信がついたのはいつごろでしたか。
乗り切る自信というものではなくて、最初から1年間やらなければいけないという覚悟はしていました。最初は不安でしたけど、人間は慣れる生き物なので、3か月くらい経つと不安も薄れていきました。キャスト、スタッフみんなと仲良くなって、余計な心配をしなくなってきたのもあります。宮崎剛アクション監督から初期のころに「最初は気が重いかもしれないけど、3か月頑張ったら体が慣れて、半年も過ぎたら残りの撮影があっという間に終わっちゃうから頑張って」と激励してくださったんです。まさに残りの半年がそんな感じで、宮崎さんのおっしゃるとおりでした。
――特に夏場は劇場版とテレビシリーズが同時進行していたでしょうから、とんでもなく忙しかったと思います。
劇場版の撮影が5、6月から始まったあたりから、時計が早くなったんじゃないかってくらい、あっという間に過ぎていきました。だから後半どんな撮影をしたのか、今では記憶があいまいになっています。
今インタビューであのころの思い出を聞かれても、第25話より前の話ばかり(笑)。後半だと、芝居のスキルも上がっているんですけどね。さすがに巧、草加、三原修二(演:原田篤)の3人変身は大事なシーンでしたし、最終回のときなんて「これが最後だ」と思いながら臨んでいましたので、終わったときは感慨めいたものが残っています。
とにかく最初から最後まで怪我や病気をせず、周囲の方々に迷惑をかけずにやりきろうとしていましたから、ラストカットを終えるまで安心してはいけないっていう気持ちでした。オールアップを迎えたのはスタジオでの合成カットで、他の方は花束をもらって泣いているのに、僕だけは涙もなく、普通な感じで……。お前には感情がないのかと言われそうでしたが、まだ気が抜けなかったし、泣いている余裕がなかった。後になってから映像を観直すと、最初のころと最終回とでは、明らかに僕の顔つきが違っているのがわかります。あの当時から、1年間を通じてひとつの役を演じさせてくれるドラマはなかなかありません。本当に『555』に出演できてよかったと思っています。
――半田さんは『555』の後も、『仮面ライダー大戦』『仮面ライダー3号』などに乾巧役で出演されていますが、久々に東映東京撮影所にいらっしゃったとき、懐かしいスタッフの方々と出会ったりしましたか。
まさに、そういった再会を期待して東映に行くんです(笑)。撮影所は古巣という気分で、今はもう懐かしい思い出でいっぱいです。つい先日撮影所へ行ったときも、昔『555』のキャスト控室があったスタジオの一室に入って、あのころはここでバスを待ってたなあと思い出していました。「3時間後にロケバスが来るから、ここで仮眠して」なんてこともありました。家に帰れなくて、撮影所に泊まったこともあります。
2話を10日で撮るスケジュールの中に、1日「撮休」があるのですが、この日に必ず雑誌の取材を入れていただいて(笑)。365日でまるまる1日休みだった記憶がありません。早朝ロケが午前中に終わって、帰っていいよと言われた日くらいしか、息抜きが出来なかったんです。
――2015年に35歳の若さでこの世を去った、木場勇治役・泉政行さんの思い出を聞かせてください。
泉くんとは、最初のころはあまり共演シーンがなかったのですが、夏ごろの撮影からは毎日のようにご一緒することが多くなりました。4つ歳上で、僕にとって「親戚筋の気のいいお兄ちゃん」のような存在でした。すごく付き合いやすい先輩で、明るくて、くどくなくて、特にヘンなところもなく(笑)。あ、ちょっと酒グセは悪かったかもしれません。自分でも酒好きだって言ってましたね……。
――半田さんは当時未成年でしたから一緒に飲むことはなかったと思いますが、泉さんやスタッフさんはよく飲まれていたのでしょうか。
それはもう、スタッフさんはすごかったですよ。特にカメラマンの松村文雄さんなんて酒が大好きで、ものすごく強い人でした。九州から東京へ向かうフェリーの中で撮影したとき、すごい大荒れの天候で、あまりにも船が揺れるからみんな酔ってしまい、ダメだ~ってなっているとき、松村さんだけ「俺?酔ってるよ、酒で」なんて言ってる(笑)。カメラ関連の方たちはみな三半規管が強いようですね。
――『555』から20年、もし現在の半田さんが新しいヒーローを創造するとしたら、どんな作品を目指したいですか?
僕が作るなら、頑張らないヒーローかな(笑)。ふざけているようで真面目な答えなんですけど、ヒーロー作品につきものの「善と悪」さらに「敵と味方」という分け方を崩すことができないかなと思っているんです。乾巧のような自己犠牲のヒーロー像ではなく、自分らしく生きていて、なおかつヒーローであるという。自分らしさをまっとうできるヒーロー像を打ち出せないかなと考えています。僕自身、子どものころからヒーローと敵が争う番組が好きじゃなくて、どちらかといえば『楽しいムーミン一家』のような平和な作品を愛していました。そんな僕の頭の中にあるヒーロー像こそが「頑張らないヒーロー」そして「誰も傷つけないヒーロー」。そういうヒーローを生み出すことができるのなら、何らかの形で取り組んでみたいですね。
(C)石森プロ・東映