2023年01月21日07時00分 / 提供:マイナビニュース
●『空気階段の料理天国』の本当の意味
注目を集めるテレビ番組のディレクター、プロデューサー、放送作家、脚本家たちを、プロフェッショナルとしての尊敬の念を込めて“テレビ屋”と呼び、作り手の素顔を通して、番組の面白さを探っていく連載インタビュー「テレビ屋の声」。今回の“テレビ屋”は、昨年6月にテレビ東京を退社してフリーになった上出遼平氏だ。
“ヤバい奴らのヤバい飯を通してヤバい世界のリアルを見る”異色のグルメ番組『ハイパーハードボイルドグルメリポート』で注目を集め、伝説のバンド・オナニーマシーンのイノマーさんががんで亡くなる瞬間まで撮り続けた『家、ついて行ってイイですか?』のドキュメンタリーや、深夜に突如として放たれた『蓋』など、話題作を次々に送り出してきたが、なぜテレ東を辞める決断をしたのか。ドラマ『エルピス―希望、あるいは災い―』(カンテレ)のエンディング映像など、フリー後の仕事や今後の展望についても、話を聞いた――。
○■『ハイパーハードボイルドグルメリポート』と『電波少年』に通底するもの
――当連載に前回登場した元日本テレビの土屋敏男さんが、「『ハイパーハードボイルドグルメリポート』では「ダメだよ! ヤバイよ!」っていうのをやってたし、本も書いてるし、最近だとナイキの映像を撮ったり、『エルピス』のエンディングもやってるし、すごいですよね。次回作を楽しみにしてます!」とおっしゃっていました。土屋さんと言えば『電波少年』ですが、上出さんはご覧になっていましたか?
僕の家のテレビはNHKしかついていなかったので、ほとんど見てないんです。幼い頃から見たいなあとずっと思っていたのですが、大人になってようやく見られて、この前のインタビューも拝読させていただいて、「むちゃくちゃだな!」って思いましたよ(笑)。悪いことも全部ひっくるめてずっと挑戦をしてきたんだなというところに、ほのかなうらやましさはやっぱりありますよね。
当然、今同じことはできないし、やるべきだとも思わないけど、あれだけなんでもありの世界で、「ああ、怒られちゃったね」で終わるみたいな世界ってどこに行っちゃったんだろうなって。今は「怒られちゃダメ」が前提にあってものを作っている状況なので、それはやっぱりブレイクスルーが起こる機会は少ないだろうなと思いました。
――『ハイパー』には『電波少年』に通じる、一見無謀とも言える果敢な取材スタイルという面もあって土屋さんはシンパシーを感じていたようなのですが、上出さんからはいかがですか?
根本的には同じものが通底していると思いますね。“人が見たことのないものを見せる”というのがテレビの根源にあって、それが同じように無謀さの先にあるんだと思うんです。みんなができることをやってもみんなが見たことのあるものしか撮れないんで、必然というか。
ただ、何を無謀かと言うのは難しくて、結果生きて帰ってきてますからね。それよりも、日本のけんか祭りとか、マグロ漁の密着とかのほうが事故率で言ったら無謀なんじゃないかという考え方もありますから。
○■イノマーさんを見つめて「もっといろんな人を大切にして生きなきゃ」
――まずはテレ東時代に手がけられたお仕事の話から伺いたいのですが、やはりイノマーさんに密着した『家、ついて行ってイイですか?』(※)がすごく印象に残っています。取材者としても、貴重な体験だったのではないでしょうか。
直接的に人が亡くなっていくというのを目の当たりにしてカメラに収めたのは、もちろん人生で初めてだったんですけど、なかなかひと言では言えない経験で、「面白い」と言える部分もありました。言えない話もあるのですが、仲間たちに見守られる中で死んでいくということはいいなと思いましたね。ベッドのそばにずっと誰かがいてくれて、心臓が止まるまでを見届けてくれるって、心地いいだろうなって。苦しそうでしたけど。
だから、もっといろんな人を大切にして生きなきゃと感じました。結局、人生って人とのつながりじゃないですか。一生懸命生きるって何だろうなと考えると、人数はどうでもいいですけど、どれだけ人とちゃんと関わって生きていけるかというのは、めちゃくちゃ大事ですよね。
(※)…口腔底がんにより53歳の若さで亡くなった伝説のバンド・オナニーマシーンのイノマーさんの葬儀の日にパートナー女性と出会った番組スタッフの取材VTRと、亡くなる瞬間までイノマーさんを撮り続けていた上出氏の映像を組み合わせて放送した番組。ギャラクシー賞テレビ部門2021年1月度月間賞。
――それからテレ東で最後にやられていたのが、『空気階段の料理天国』だったと思います。あまりに平和なまま終わった番組でしたが、どんな狙いがあったのでしょうか。
実は企画になるまで結構紆余曲折があって、いろいろやろうとしたんですけど、「あれはダメ」「それはダメ」っていうのがあって、最終的にはテレ東の営業にも吉本にも本当のことは言わずに放送したんです(笑)。表向きには真っ白な清潔な空間で料理が進行していくというだけの番組なんですけど、出てくるのはパスタの上にチキンが載ってるとか、肉を焼くだけとか、ただの白いバニラアイスとか、料理番組としてどう考えても変なレシピなんですよ。
あれは何かと言うと、アメリカの死刑囚が最後に食べた飯なんです。アメリカには「ラスト・ミール」という制度があって、死刑執行の前に「これを食べて死にたい」とオーダーしたものを食べることができるのですが、番組で登場したのは、その実際のメニューです。基本的には人を殺したとされる死刑囚なんですけど、みんな“人殺し”ということで「最悪だ」と思考停止するじゃないですか。でも、あそこで扱ったのは、死刑執行後にえん罪だと分かった人の飯とか、最後まで無実を主張していた人の飯とか、ずっと虐待を受けてきて最後の最後に親を殺してしまった人の飯で、そういう人たちにもみんな天国に行ってほしい…というところの“料理天国”ですね。
――なるほど!
なおかつ、「空気階段」っていうコンビ名に、僕はすごくおぞましさを感じてて。「空気階段」って怖くないですか? 僕、結構そこから死を連想するんです。
――言われてみると、絞首台へ一段ずつ上がって…と捉えられるような。
あの「空気」というふんわりとした世界が、ものすごく「ラスト・ミール」を連想させるんです。なおかつ、僕は「我が国にこうなって欲しいんだ!」と行動を起こした過激派だけど、力足らず処されたという思いが自分の中にあったので(笑)、そんなことからも、あの番組になったんです。
――空気階段さんという演者がいて、上出さんや竹村武司さん(放送作家)という作り手がいて、「何か起こるんじゃないか…」と期待させておいて、最後まで何も起こさない、ある種の“裏切り”という狙いもあったのでしょうか。
もちろん、おこがましいですが、絶対にそういうふうに思ってくれるだろうというのはありました。それにどう応えるかというプレッシャーはでかいんですけど、性格が意地悪なんで、分かりやすいものを出したいという思いは全くないんですよ(笑)。とにかく視聴者と「どうだ?」って遊んだり、ケンカしたいんですよね。ただお客様に料理を提供しますっていう番組づくりをするつもりはサラサラないんで、そういうことをずっとやっていきたいんですよ。昔のテレビはそうだったんじゃないかと思いますけどね。視聴者とともに作っていくというか。
――よく“共犯関係”という言い方をしますよね。
ただ向こうがこっちを批評するだけじゃなくて、一緒に面白がったりしながら番組を作っていきたいですよね。そのほうがみんな絶対楽しいですから。
●自分の考えとテレ東の方向性に齟齬
――そして昨年6月にテレ東を退社されましたが、改めてそこに至った経緯というのは。
11年いたので、まずシンプルに結構いたな、と。学ぶべきことは十分学んで、あとは会社に価値を還元していくようなフェーズだったのかもしれないんですけど、僕が全力でやるべきだということと、会社の方向性に齟齬があって、そうなると良きものは生まれないから去ったということですかね。
――どのような齟齬があったのでしょう?
僕はなぜそれを作るべきなのかとか、なぜそれを世に出す必要があるのか、ということを無視できないんですよ。だけど企業として当然、ビジネスが一番優先されるというのがある。テレビ局は国に与えられた免許事業なんで、それでいいのかという問題は別にあるんですけど、ここまで業界として貧すると、目の前の利益の優先順位がどんどん上がるわけですよね。だから、「こういう世界を目指すべきだ」と言っても、やっぱり後回しになる。そのスパイラルに入ったら、投資ができないしトライができなくなって、「他であれがこれだけ売れてる」というのを見つけて、そのマイナーチェンジでやろうということが、どんどん増えていくわけですよ。でも、僕なんて人が作ったもののマイナーチェンジなんてできないし、苦手なんで、トライして失敗しに行きたいんですよ。それがあまり許されない状況になってしまった気がしていて。
ただ、フリーになったら失敗できるかというと、今度は自分の生活がかかってくるんで。でもまあ贅沢しなければ生きていけるので、もっといろいろ失敗できるように1人になったという感じですね。自分の失敗が会社のダメージとして受け取られてしまい、それが経験の蓄積として捉えてもらえないような雰囲気が、僕にとっては苦しかったんです。でもやっぱり地上波の面白さは十分知っているので、名残惜しい部分もいっぱいあります。
――伝搬力や影響力というところでは、日本ではやはり地上波が一番大きいと。
それももちろんなのですが、不意打ちできるというのが面白いですよね。何となく見ていたら「えっ、何これ!?」って人を驚かせたいというのが、僕の中のベースにあるんです。YouTubeだとそうはならないですから。
――『蓋』(※)なんて、まさにその例でしたよね。
そうなんです。これができる装置が他にあるかなと考えても、あんまりなくて。街頭ビジョンというのもありますが、それはそれで結構規制があったり、前提としてクライアントのためのものというのがあるので、やっぱり地上波は面白いんですよね。
(※)…2021年9月に深夜3~4時台で15回にわたって放送された10分枠の番組。大都会の“蓋”の下に流れる渋谷川の暗渠で暮らす「地下人(チカンチュ)」に迫るというフェイクドキュメンタリーで、アーティスト・Dos Monosとコラボレーションした。
――退社の決断は、フリーの先輩である奥様(大橋未歩)にもご相談されたのですか?
僕が会社員として向いてないということを、どう考えても妻は気づいてましたからね。そもそも、コロナ前から1カ月に1~2回しか会社に行ってないんですよ。ロケして家で編集して会議をリモートにすればいい話なんで。だから辞めるというのは当然の結果として彼女は待っていて、「こっからだね!」みたいな感じでした。
○■読者を信じて書ける…文章の魅力
――フリーになってから最初に手がけられたお仕事は何ですか?
文章ですね。読むのも書くのも遅いんですけど、文章は大好きなんで、連載も始めました。
――文章の魅力は、どんなところでしょう?
自由ですね。道具が少ない分、自由度が高いし、情報量が少ない分、受け手も書き手も自由なので、読者を信じて書けるんです。文芸誌で書いてたりするんですけど、あのジャンルって本当に文章好きな人が買うじゃないですか。だから、“次のための5行”とか“次のための1ページ”とかがあっても許してくれるという思いが、どこかにあるんですよね。ちょっと甘えてるかもしれないですが(笑)
――最初のつかみでグイッと引き寄せるのがセオリーの地上波とは、反対の世界ですね。
こういう創作の現場は今まで経験がなかったので、楽しみながら苦しみながらやってますね。飽きっぽい性格なんで、『ハイパー』にしても突然本にしたり、ポッドキャストにしたり、マンガにしたりしてますけど、いろんな方法を採りたかったんですよね。
●『エルピス』本編に批評性を持っていたエンディング映像
――昨年10月クールに放送されたドラマ『エルピス』では、エンディング映像に「企画」として参加されていました。これはどういう経緯で担当されることになったのですか?
佐伯ポインティっていう猥談をやってるYouTuberの若いお兄ちゃんが、佐野(亜裕美、『エルピス』プロデューサー)さんとつないでくれて、一緒に飲むようになってたんですけど、彼女から「エンディングやってくれませんか?」と声をかけていただいたんです。
最初に未完成の台本を見せてもらったら、実在の事件を題材にするというセンシティブの上を行くみたいな本当に難しいものだったので、なぜこの作品をやるべきなのかという話を、佐野さんとは相当しましたね。そしたら彼女が、いろんな葛藤を抱えて、自分のエゴや制作者としての思いを自覚した上で、「それでもやりたい」と言ったので、結構リスキーな船に乗る感じはあったんですけど、「じゃあ僕も協力します」と。
――エンディング映像は、アナウンサー役の長澤まさみさんが楽しそうに料理番組でケーキを作っていたのに、オーブンを開けたら丸焦げになっていて…という流れでした。
実は、エンディングの制作チームは本編と完全に切り離されてるんですよ。だから僕らはあのドラマに対して批評性を持ったものを作れたんです。そこで何を表現したかというと、『エルピス』というドラマはテレビの暗部に切り込んだという見え方じゃないですか。だから他では企画が通らなかったということもあるけど、実際にどこまで切り込んでいるのか。テレビはもっとグロテスクなものを抱えていませんか、と。そもそも、テレビは見世物小屋で、誰かの不幸を起点としてそこに関わる人間がお金を稼いでいくという構造になっているけど、ドラマ本編ではそこまで描くことが難しい。なおかつ、実際のいろんな事件を参照した上でドラマを組み立てているということは、もう一度その不幸を起点として金稼ぎや自己表現をしようとしているんだと。
もちろん、この世に起こりうる不正や、権力者による汚い振る舞いを刺すということはものすごく大事なことだし、メディアがずっとやっていかなきゃいけない役割だけど、そのグロテスクなものを含んでいるということを刺さずに「素晴らしい自己批判的な作品ですね」と評価されるだけでは足りないと思ったので。もちろん、佐野さんをはじめドラマの制作陣は理解していて、それをドラマの中の出演者と設定にはめ込んだのが、あのエンディングです。maxillaという浅草橋の映像制作チームがいるのですが、そこの松野(貴仁)さんというディレクターたちとディテールを詰めていったという感じ。実働はむしろ僕よりmaxillaチームです。
――具体的に、あの設定はどのような意味を含んでいたのですか?
その辺りのことは、もう少し時間が経ったらお話ししようかと…。
――承知しました。それにしても、連ドラで本編に対して批評的な構造になっているエンディング映像というのは、聞いたことがありません。
ありえないですよね(笑)。でもそれが実現できたのは、佐野さんの胆力でもあるし、覚悟でもある。だって、大根(仁監督)さんや渡辺あやさん(脚本)は、エンディングを見たときに「えっ!?」と思ったそうですから。何で僕がそんなことをやるかというと、やっぱり作品のためなんですよ。制作者の満足度と作品の深さにはたぶん違うものがあって、だから全くドラマの制作チームに向いて作ってない。でも、佐野さんはそれを求めて、自分が刺されようとしたんです。そこが彼女のすごいところであり、イカれたところなんですけど(笑)
僕が撮るドキュメンタリーって、「被写体のいいところだけを出します」なんてことは全くなくて、絶対にかっこ悪いところも出てくる。それがあるから、立体的な描かれ方になるわけなんですけど、それでも僕を信じてくれたんで、あそこまでやれたんですよ。「お金足りません!」ってなっても、「どうにかします!」みたいなこともあって、僕にとってもめちゃくちゃいい経験でした。
――この『エルピス』のエンディングに、先ほどの『空気階段の料理天国』、さらに『ハイパー』も“料理”がキーワードになっていますが、そこは意識している部分があるのですか?
実は全く意識してなくて、たまたまそうなっちゃうんですよ。
――「生きる」ということに直結するものですし、何か導かれるものがあるのかもしれないですね。
そうですね。僕の中ではいくつか逃れられないテーマがあって、それが「飯」と「犯罪」と「地下」なんです。これはなぜか出てきちゃうんですよ。たぶん生い立ちなんでしょうね。でも、3つもあればいかなって。
――それがクリエイターとしての色にもなっていると思います。
○■『ハイパー』今後の展開は…
――テレ東を退社されましたが、『ハイパーハードボイルドグルメリポート』の新作はどうですか?
映像はテレ東次第なのでちょっと分からないですね。なんで辞めたのかを言うたびに、ウソはつきたくないので、テレビ東京はどうなんだっていうことを少なからず言ってしまいますから、やりたいとは思わないんじゃないでしょうか(笑)。でも、ポッドキャストは続くと思います。
――音声コンテンツや書籍、コミカライズなど、形を変えて続けていくという感じでしょうか。
そうですね。でも、コスパが悪くて大変なんですよ(笑)。普通のポッドキャストみたいにただしゃべるコンテンツじゃなくて、調べて会いに行ってロケして編集してるんで、テレビと同じようなことやってるんです。僕1人でやってればいいんですけど、チームでやってるんで、みんながちゃんと飯を食えるようにしないといけないというのは、ずっと気にしてますね。だからコンテンツとして向いてるか分からないですけど、映画とかもっとでかいバジェットでできればいいなと思います。
作り手が貧しい思いをするわけにはいかないというのもあって、海外に出たいという気持ちもあるんです。日本は制作に対してのお金がどう考えても搾取を前提に価格設定されているので。
●「今、地方局が面白い」若手制作者と新展開も
――今後の活動の展望は、いかがでしょうか。
おかげさまで6月くらいまでいろいろ入ってて、パンパンなんですよ。10年以上テレビをやってきて、表現したいことのコアの部分はあまり変わらないので、今までできなかった手法をいろいろ試すという期間になると思いますね。
――地上波を作るということもあるのでしょうか?
基本的に今までみたいなバラエティをやるつもりはあんまりないですけど、今、地方局が面白いと思ってるんです。地方局の若い子たちが「一緒にやりましょうよ」と言ってきてくれて。
――地方局が面白いというのは、どんな部分ですか?
やっぱりトライしてますからね。かつてのテレビ東京はそうだったんですけど、追い込まれたときの無鉄砲さみたいなことってあるじゃないですか。でも、勝ち始めると負けられなくなって、さっきの話に戻りますが、失敗できなくなってくるんですよね。地方局はTVerで全国に配信できるようにもなったので、そこのカウンターパンチみたいなことに乗っかるのも面白いかなと思って。
――執筆活動はいかがでしょうか?
今『群像』で山を舞台にした小説の連載をやってますけど、文芸誌に自分みたいな素人が入り込んで「マジヤバいな」と思いながら書いてます(笑)。『POPEYE Web』でも書いてますし、連載以外でも月に4~5本は何かしら書いてますね。それだけでも結構大変なんですけど、もう1本書籍も書かなきゃならなかったり、アニメの原作や脚本系のお仕事もありますし、なんかいろいろやってますね。
――フリーになって半年ですが、順調という感じですね。
いつまでこれだけいろんなお話がもらえる時期が続くのか分からないですけど、自分がやるべきことを選んでやっているうちは、大丈夫かなと思いますけどね。佐野さんもそうですけど、飲みの席でつながった人と仕事するパターンがめっちゃあるんですよ。半分以上はそうですね。
――上出さんから企画を持ち込むという形もあるのですか?
基本はないです。余裕がないですから(笑)。企画を考えてくれと言われることはしょっちゅうあるんですが、それに対しても本当にやりたいことがあったら本気で打ち返すくらいで。なんとなくの企画を出したりしたこともありますが、やっぱり全然気持ちが乗っていないのでどうせ実現しませんし、通っちゃったら通っちゃったでやらなきゃいけませんしね。食にまつわるプロジェクトみたいなのをやろうかなとか、自分でやりたいこともあるんですけど、誰発とかってどうでもよくて。自分がアイデアを作って誰かがやってくれるとかでも全然いいんです。1個アイデアが浮かぶと、その企画書を朝まで書いちゃうんですけど、「でも、これ誰がやるんだろう」とか「時間ないな」ってペンディングしちゃってますね。
○■テレ東の命運を左右する若手ディレクター
――いろいろお話を聞かせていただき、ありがとうございました。最後に、気になっている“テレビ屋”を伺いたいのですが…
『オモウマい店』(中京テレビ)の北山流川くんですね。僕があの番組で「これは最高だ」と思ったシーンを撮った男なんですよ。それは、取材した店のOAをその店で一緒に見るということ。これって、誠実に番組を作ってる人間じゃないと絶対にできないことなんですよね。OAを見て被写体から「話が違う」って言われて揉めるのをADが処理するのがテレビの当たり前だった中で、そうじゃないということがあのシーン一発で分かるんです。
それに、あれをやることで、今後も被写体を傷つけたり、裏切ったりすることができないという仕組みに自ら突入していったわけですよね。そこに僕は最大限のリスペクトを持っているのですが、それを流川くんは何の気なしにやったらしいんです。この抜けた感じもすごいし、かなりリスペクトしています。
――どのように知り合ったのですか?
東海地方のテレビ制作者フォーラムみたいなのが毎年あって、各局の若手がその年に作った番組を出品するんですけど、その審査員に呼んでもらったんですよ。それから、『オモウマ』の若い子たちと飯に行くようになって。あの番組は本当に若い子たちが頑張ってますよね。
――古巣のテレ東でも、若手の大森時生さんが『Raiken Nippon Hair』『Aマッソのがんばれ奥様ッソ!』や、最近では『テレビ放送開始69年 このテープもってないですか?』といった番組を作って話題になってます。以前取材したとき、上出さんのことを「尊敬と畏怖の念があります。作り方とか思想とか、共鳴するところや見習いたいと思うところが多いです」と話していました。
タイプは全然違うんですけどね(笑)。僕はどちらかというと訳わからなくなりながら体で作る人間で、彼は賢いので緻密に頭で作る人間ですから。でも、時生くんには頑張ってほしいですね。彼がどうなっていくのかが、わりとテレ東の命運を左右する気もします。
次回の“テレビ屋”は…
中京テレビ『ヒューマングルメンタリー オモウマい店』北山流川ディレクター