2022年12月17日07時00分 / 提供:マイナビニュース
●『いいとも』エンディングでタモリを抱く
漫画家の久保ミツロウ、コラムニストの能町みね子、音楽クリエイターのヒャダインによるフジテレビ『久保みねヒャダ』シリーズが、12月で10周年を迎えた。3人が独自視点のトークと世の中への鋭いツッコミを展開しながら、音楽や妄想ドラマなどクリエイターならではの感性を発揮する企画が魅力で、2017年9月の地上波レギュラー放送終了後も、有料ライブで継続する人気コンテンツだ。
そこで10周年を記念し、久保みねヒャダの3人と、演出・チーフプロデューサーの木月洋介氏による座談会を実施した。3回シリーズの第1回は、『久保みねヒャダ』の“結成秘話”。「冠番組やる人生とやらない人生だったら、やる人生だ」という選択肢を経て、“友達を呼ぶ”スタイルのブッキングで成立した3人が、想像を超える化学反応を起こすことになった――。
○■「テレビは出たくないけど、タモリさんと同じ時代に生きた証しが欲しい」
――まずは立ち上げの経緯から伺えればと思いますが、もともと久保さんと能町さんが『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)をやられていたんですよね。
久保:その前に『久保みねヒャダ』の放送作家の芸人さん(今村クニト氏)がやってる、漫画家さんが出るラジオに出てたんですよ。『モテキ』がドラマ化された頃で、メディア取材を受け始めて調子に乗ってたんでしょうね(笑)。で、その後に能町さんと話してて楽しいっていうのがあったんです。
木月:その感触があって、『オールナイトニッポン』に応募してMCを担当することになったんですよね。
能町:応募の経緯は、それまで2~3回しか会ってなかった久保さんに対して、私がある日どうしても愚痴を言いたくなり、夜中の2時半とかに「電話していいですか?」と連絡して長々と話したらすごい盛り上がって、これをイベントにしたら面白いんじゃないかってなったんです。
久保:不思議と楽しかったんだよね。そんなふうに夜中に電話してまで話したい思ったことがなかったんだけど、当時はトークに飢えてたっていうのがあると思います。その頃は(東日本大)震災のあとで、雑誌を刷る紙が足りなくなるとか漫画を描いてもそもそも届かないこともあると思っていた中で、ラジオが活躍してるのを見て、トークってすごいんだなって改めて思ったんですよ。そこで能町さんと、お互い顔出しもしっかりしてない時期だったのに、2人でトークライブをやろうっていう機運が高まって。
能町:ロフトプラスワンでトークライブやって、ちょうどその第2回のときに『オールナイトニッポン』のオーディションがあって、久保さんが「やってみたら面白いんじゃない?」って言って、私も「じゃあやります?」みたいな感じで。YouTubeで3分のフリートークの動画を応募するっていう形だったので、トークイベント中にそのオーディション動画を撮ったら、受かっちゃったんですよね。で、ラジオが始まって。
木月:それを僕が聴いてて、当時『笑っていいとも!』の月曜日ディレクターを担当しているときに、文化人の方に独自の授業をしてもらうコーナーをやっていて、久保さんに出ていただこうと思ったんです。『いいとも』って、テレビにあまり出てない文化人の方が出ることがよくあったじゃないですか。橋田壽賀子さんみたいな。『いいとも』初登場は2012年5月ですよ。覚えてますか?
久保:「なんで私なのか…」と思いましたよ。まさかそれが橋田壽賀子の系譜だったとは…。
ヒャダイン:“壽賀子を継ぐ者”だったんですね(笑)
久保:当時はラジオが非常に楽しくて、刺激にもなっていたんですけど、「『いいとも』に出ないか」と言われても、人生の選択肢に『いいとも』に出るなんて考えたこともなかったんで、なぜあそこでOKしたのかが全く分からないんですよね。
木月:そのときは、「テレビは出たくないけど、タモリさんと同じ時代に生きた証しが欲しい」というパンチワードを残して快諾していただいて。
能町:それと、久保さんがよく言う「『いいとも』に出る人生と出ない人生、どっちを選ぶか」っていうやつですよね。
久保:その2択だったら、そりゃ出る人生だなと思って。だけど、生放送でその場で描いた絵やマンガとかを見せたり、なんか頑張ってましたよね。
木月:めちゃくちゃ負担をしいてましたから(笑)
能町:今で言うなら、本当にもうバズろうとしてました(笑)
○■2ちゃんねるでスレット立ちまくるも「最高の醍醐味」があった
木月:最初に『いいとも』に出たときは、バズったんですか?
久保:あの頃2ちゃんは見ないようにしてたんだけど、顔出してしっかりテレビに出るなんて初めてだったんで、気になって見たら、「久保ミツロウがすごいブスでババアだ」っていうので5つくらいスレが立ってたんですよ。
能町:そんなに!?(笑)
久保:でもそのとき、なんにも気にならなかったんです。Twitterのエゴサも、もうすごい勢いで感想が流れてて、それでたぶん、変なハイテンションだった気がしますね。しかも『いいとも』に出た報告をラジオでできるっていうのが、また最高の醍醐味だったんですよ。そこで、「タモリ抱いたわ~」って。
(一同笑い)
能町:言った言った(笑)
木月:エンディングでタモリさんを抱きしめたんですよ(笑)
ヒャダイン:えー!?
久保:タモリさんが止まって見えたんですよ。
――ボールが止まって見えた的な(笑)
久保:私がアスリートで言うところのゾーンに入ってて、エンディングでタモさんのちょうど背後にいたから、「抱ける…」って思って。
木月:あのとき、エンディングに久保さんをお呼びするか、どうしようかっていうジャッジが生放送中のCM中にあったんですよ。本番も面白かったし、いてもらったら何か起きるかもしれないからいてもらおうと決めたら、まさかここまでするとは(笑)
久保:私、図々しさの極致が人生のどこかであるんですけど、あのときはすごかったですね。今の私にはできないなって思います。
木月:この放送を見て、各局の名だたる人気番組たちから久保さんにオファーが行くんですよね。「久保先生はどうやったらテレビに出てもらえるんだ」って、他の番組のみんなから聞かれて。
久保:香川の競艇場からも依頼がきて、「うわ、いいともパワーすげえなあ!」と思ったんですけど、週刊連載とか抱えてた頃だったのでお断りして。でもあのときは、何か不思議な流れというか、うねりがありましたね。
●収録のスタジオがまさかの初対面に
木月:その流れで、「久保さんの冠番組を作ったらやってくれますか?」って聞いたら、「冠番組やる人生とやらない人生だったら、やる人生だ」とおっしゃってくれて。
能町:またその名言が出た(笑)
久保:自分はひな壇に出ていろいろやれるタイプじゃないと思ってたし、能町さんと一緒なのが楽しいからラジオをやれてるというのがあったので、あまり他の番組に出るなんてことは考えてなかったんです。でも、木月さんが足しげくニッポン放送に通って、私たちが当時「魚肉が好き」って話をしてたから、鈴廣のかまぼことかをたくさん持って来てくれて。しかも自分のことを番組のメインで考えてくれていたので、何か不思議でしたよね。「冠番組」って今まで考えたこともなかったことから、「絶対そんなのやりたくない」っていう候補にも挙がってないわけじゃないですか。やりたいことの候補に挙がらないことは、やりたくないことの候補にも挙がらないわけですよ。で、相手がヒャダインさんだと言われてビックリしたんですけど、なんでヒャダインさんだったんですか?
ヒャダイン:ね。それ僕も聞きたい。
木月:漫画の方だから、音楽の方とやるのがいいかなと思ったんです。そのときに、おふたりが一瞬だけ、Twitterでやり取りされてたので、てっきり知り合いだと思って。
ヒャダイン:Twitterで!?
久保:そんなのありましたっけ? なぜ私たちが覚えてないんだろう…。でも私は十五年前くらい、ヒャダインさんがニコニコ動画に出始めた誰なのか分からない頃、夢中で聴きまくってました。だから知ってはいたけれど、自分の人生にクロスしてきて、気が合うなんて思ったことは、まだその頃はなく…。
木月:収録のスタジオが初対面になるというのを、オファー当初は僕も知らなくて。面白いので事前挨拶もしてもらわずに、本当の初対面ドキュメントを収録しちゃおうという、初回収録でした。
能町:で、久保さんの「最近嫌いな芸能人いる?」から始まったんですよね(笑)
ヒャダイン:あれも名言でしたよね。いいジャブをもらいました(笑)
木月:なんか闘いの姿勢でしたよね(笑)
ヒャダイン:僕は「あやまん監督」って答えた記憶がありますけど。
能町:懐かしい(笑)
○■“友達を誘う”で3人体制に
――最初は久保さんとヒャダインさんの2人でスタートしたわけですが、3回目から能町さんが加わりました。
久保:2人でもいろいろ話せて良かったんですけど、ヒャダインさんを深く傷つけてしまう可能性をすごく危惧してしまったんです。お互いのことを掘り下げすぎて、ノリで突っ込んでいったら、仲良くなるのと同時に傷つけてしまうような恐怖があって。
ヒャダイン:それ、ずっとおっしゃってましたよね。
木月:ただ、能町さんを誘うのは当時、『オールナイトニッポン』に申し訳ないと思ってたんですよ。それでも、久保さんがぜひという話だったので。
久保:今考えると番組に友達誘うってすごいですよね(笑)。これは漫画の編集さんに言われた話なんですけど、漫画の会話劇って2人でやるより3人でしたほうが、ストーリーが広がって面白くなる場合もあるんです。その感覚があったのと、ヒャダインさんを傷つけてしまう恐怖があったから、3人がいいと。そしたら、絶対能町さんだと思ったんです。
木月:当時はまだ特番ですから、次も久保さんがやってくれるかどうかも分からず、毎回「今日でこの番組は終わりです」みたいなことを言われてたんですけど、「3人ならやります」って。
久保:そうか、これは私が望んだ形だったのか…。
木月:特番4回目で、久保さんと能町さんの沖縄旅です。
久保:沖縄の北に行ったんだよね。
ヒャダイン:僕がスタジオ受けをして。
能町:だから、このときはラジオとテレビでレギュラーをやってたってことですよね。すごいですね。
ヒャダイン:働いてましたねー。
久保:働いてた。47歳になった今振り返ると、30代って本当に頑張れるなって思う。多少具合悪くても、寝なくてもやるみたいな。『オールナイトニッポン』なんてその最たるものですけど、やっぱり楽しかったから乗り切れた部分はたくさんありますね。自分が今まで好きだったものとか、友達と話して楽しかったこととか、テレビで見てきたことが、こんなにも番組で生かされるってすごいなあって思いますよ。