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三笘薫、PK失敗を脳裏に刻み見据える4年後「次の大会で借りを返さないと」 堂安&鎌田らも決意新た

2022年12月10日10時30分 / 提供:マイナビニュース

●クロアチア戦のPK「悔しさしか残っていない」 申し訳なさから号泣
クールな男が人目もはばからずに号泣する姿に、未明の日本で戦況を見守っていたファン・サポーターが胸を打たれた。決勝トーナメント1回戦でPK戦の末にクロアチア代表に屈し、目標に掲げ続けたベスト8の一歩手前でカタールW杯を去った日本代表。試合終了直後のピッチ上で、そして取材エリアで涙を流し続けたMF三笘薫(ブライトン)は、一夜明けた6日に行われた森保ジャパンとしての最後の取材対応へ毅然とした表情で臨んだ。プレッシャーがかかるPK戦で2番手キッカーを志願し、無情にも止められたシーンをあえて脳裏に刻み込みながら、カタールの地で世界へインパクトを与えたドリブラーは、真のエースを目指す新たな戦いをすでにスタートさせている。

日本中を熱狂させ、寝不足にさせたカタールW杯の戦いを終えて、7日夕方に成田空港と羽田空港へ分かれて戻ってきた計17人の日本代表選手のなかに、三笘薫は含まれていなかった。

所属するブライトンの次なる公式戦が21日に組まれているからか。森保ジャパンの解団式を6日に終えると、そのままチームが本拠地を置くイギリス南部の海浜リゾート地ブライトンへ。移動中だったと見られる7日には、自身のインスタグラムを更新している。

「素晴らしいチームで闘えて本当に光栄でした。この悔しさを必ず次に繋げます」

結果的にカタールでの最後の試合となった、クロアチア戦に関連する5枚の写真をインスタグラムに投稿。現地や日本国内で応援してくれたファン・サポーターへの感謝の思いとともに、三笘はカタールで同じ時間を共有した仲間への感謝と今後への決意を綴っている。

特に4年後にアメリカとカナダ、メキシコで共同開催される次回W杯へ捲土重来を期す決意は、クロアチア戦を終えた直後のアル・ジャヌーブ・スタジアム内の取材エリアで、そして一夜明けた6日にドーハ市内の活動拠点で臨んだ森保ジャパン最後の取材対応でも語られていた。

PK戦の末に敗退が決まり、チームとして目標に掲げてきたベスト8の一歩手前で残酷にも夢を絶たれた直後から号泣していた三笘は、取材エリアでも涙で何度も声を詰まらせた。

「僕よりも強い気持ちを持っている選手に対しての申し訳なさです」

涙の意味を問われた三笘が必死に声を紡いだ。自身との交代でベンチへ退いた36歳のベテラン、DF長友佑都(FC東京)は三笘が特に申し訳なさを感じた一人かもしれない。

「覚悟を決めてプレーしていたつもりですけど、ちょっと足りなかったのかなと感じている。悔しさしか残っていないし、本当に自分がPKを蹴るべきだったのか、とも思っている」

クロアチアとの明暗を分けたPK戦で、三笘は2番手を務めた。開始前にベンチ前で組まれた円陣。森保一監督がキッカーを募り、5秒ほどの沈黙をへて「じゃあ、オレが蹴る」とMF南野拓実(モナコ)が1番手に立候補。南野の覚悟を引き継ぐように、三笘が2番手に名乗りをあげた。

昨夏の東京五輪準々決勝。U-24ニュージーランド代表と延長戦を含めて120分間を戦っても0-0のまま決着がつかず、もつれ込んだPK戦でも、U-24日本代表を率いていた森保監督はキッカーを募った。延長前半から投入されていた三笘は、しかし、手を挙げられなかった。

当時はチームの勝利を背負うまでの自信を持てなかった。しかし、いまは違う。東京五輪直後に川崎フロンターレからプレミアリーグのブライトンへ移籍。就労ビザの関係で昨シーズンをベルギーでプレーし、満を持して今シーズンから世界最高峰のリーグへ挑んできた日々が三笘を変えた。

「ベルギーでいろいろな選手と対戦したところや、プレミアリーグで高い基準を見ているところで、メンタル的にどんな相手に対してもビビらないところが身についてきたと思う」

クロアチア戦を翌日に控えた4日。三笘はこんな言葉ともに、昨夏から遂げてきた内面的な変化に自信をみせていた。しかし、いざペナルティースポットにボールをセットした瞬間から何かに取り憑かれたのか。それとも、先頭の南野の失敗とともにプレッシャーを感じてしまったのか。

ゴール左を狙った三笘のPKは、南野の一撃を完璧に阻止したクロアチアの守護神、ドミニク・リバコビッチに再び弾き返された。ハーフウェイライン上に並ぶチームメイトたちのもとへ、うなだれながら、力ない足取りで戻ってきた三笘を迎えようと駆け寄ってきた選手がいた。

右手を差し出し、列に加わった三笘の肩を抱くように寄り添ったのはMF田中碧(フォルトゥナ・デュッセルドルフ)だった。学年こそ三笘がひとつ上の2人は、川崎市立鷺沼小学校、有馬中学校、そして川崎フロンターレの下部組織で同じ時間を過ごし将来の夢を共有した幼馴染だった。

●三苫&田中の幼馴染コンビで生みだしたスペイン戦の逆転ゴール

幼馴染がそろってプロサッカー選手になり、五輪代表を経て頂点のA代表でも共闘するだけでも極めて稀有なケース。4年に一度のW杯代表へともに選ばれるとなればなおさらだが、2人は奇跡のホットラインまでも開通させている。舞台はスペインとのグループステージ最終戦だった。

1-1の同点に追いついてからわずか3分後の後半6分。豪快な同点ゴールを決めたMF堂安律(フライブルク)が右サイドからクロスを放つ。しかし、味方に合わないままスペインゴール前を斜めに横切り、反対側のゴールラインを割ろうとしていた直後だった。

スピードに絶対的な自信を持つFW前田大然(セルティック)が、ファーサイドへ猛然と滑り込むもわずかに届かない。それでももう1人、あきらめなかった選手がいた。三笘だった。

「どんな試合でもあきらめない姿勢が大事ですし、しかもあの場面では(堂安)律からボールが来るという予感もあったので。あそこでは誰も足を止めないと思います」

いつもと変わらないプレーだと強調した三笘はこのとき、驚くべきテクニックをさりげなく駆使している。ボールを普通に蹴り返していたら、おそらくは前方にいた前田に当たっていた。しかし、三笘はとっさの判断で左足をボールのちょっと下へもぐり込ませたのだ。

果たして、浮いた軌道を描いたボールが前田を越えて、緩やかな軌道を描きながらスペインゴール前へ折り返される。以心伝心というべきか。ゴール正面へ走り込んできたのは田中。右足のつけ根の部分で、まさに執念でボールを押し込むまでの過程を次のように振り返った。

「最初の律のクロスに(スピードのある)大然君と薫さんが走っていったので、何とか残るんじゃないかなと信じて走り込んでいきました。気持ちで押し込むとかではなく、あの位置に入り込んでいくのは自分が(川崎フロンターレ時代から)ずっとやってきたプレーなので」

しかし、ビクトル・ゴメス主審(南アフリカ)は何も宣告しない。VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)によるチェックが入っていると、スタジアム内に表示されてから約2分後。ゴメス主審がセンタースポットを指さした瞬間に、田中の勝ち越しゴールが認められた。

VARは三笘がボールを折り返す前に、ボールがゴールラインを割っていたかどうかをチェックしていた。実際に角度によっては、ボールがゴールラインを割っているように見える画像や映像もあったが、VARはほんのわずかながらゴールラインにかかっていると判定した。

「1ミリでもいいから(ゴールラインに)かかっていればいいなと思っていましたし、(ゴールが)入った後は(自分の)足がちょっと長くてよかったと思いました」

最後まであきらめない三笘の執念が、最先端技術が駆使された科学の目との共同作業で手繰り寄せ、幼馴染の田中との間で開通させた奇跡の逆転&決勝ゴール。直後からネット上などで賛否両論が飛び交うなど、ワールドワイドで注目を集めた三笘のアシストには後日談もあった。

例えばツイッター上では、三笘の左足がボールにヒットした瞬間の画像を解析する動画が投稿されて大きな話題を呼んだ。真上に近い角度から撮影された写真を拡大していくと、VARの判定通り、ほんのわずかながらボールがゴールラインにかかっている。

つぶやきによれば、かかっている幅は1.88mmだった。クロアチア戦前日にメディア対応へ臨んだ三笘は「ルール上、インはインなので何も気にしていない」と“1.88mmアシスト”に言及した。

「負けたチームがそう言うのはある意味で仕方がないと思いますけど、そういったぎりぎりのところで勝敗が決まるのが、やはりW杯なんだと身に染みて感じています」

三笘自身は初めてのW杯を戦う上で、必要のないネット上の雑音はシャットアウトするように努めている。しかし、ゴールラインにかかっていた幅が1.88mmだったという続報を含めて、友人や知人からのメッセージや連絡を介してその後の情勢を否が応でも見聞きする。

「いままで来なかったような人からもメッセージが届きますし、本当にいろいろな人が見てくれていると感じられる状況は自分の力になっています。ただ、自分が集中しているのはそこ(スペイン戦のアシスト)ではない。すぐに次の試合がやってくるなかで、試合があった日だけはもちろん喜びますけど、その翌日にはもう忘れないといけない。それは常に自分へ言い聞かせています」

こう語っていた三笘は、キャリアのなかで初めて臨んだW杯で、4試合すべてで後半開始もしくは途中からピッチに立った。ドイツ戦では同点に追いつくきっかけとなるスルーパスを南野に通し、スペイン戦では前述したように田中の決勝ゴールをアシストした。

「僕の場合、試合の途中から出場するのは慣れていますし、むしろスペースがあって相手が疲れてきた状況であるほど自分のプレーも出しやすくなる。グループステージが決勝トーナメントに変わっても変に力むタイプでもないし、いつも通りプレーするだけです」

スーパーサブやジョーカー、あるいは切り札と呼ばれる役割に気概を感じた。十八番でもある緩急を駆使した、左サイドから仕掛けるドリブル突破を大会途中から世界も注目し始める。同時に相手にも警戒される。クロアチアは常に複数で三笘をケアし、ドリブルのコースを消しにかかった。

それでも延長前半の終了間際には、60m近い距離をドリブルで突破。中央へ切れ込んで強烈なシュートを放ったが、コースがリバコビッチの正面だったがゆえに弾き返されてしまった。

「簡単にセーブされているので、コースを含めて、もっとシュートの精度を上げていかないと。相手が2人、3人と来ても自分が抜き切らないといけないのに、そこで自分のミスも多かった。今日に関しては、最後まで試合の流れを変えることができなかった」

●より攻撃的なサッカーへ「個々のレベルをアップさせていくしかない」

ジョーカーになれなかったとクロアチア戦に唇を噛んだ三笘は、PKに関してもこう言及している。

「(相手のキーパーは)見ていないです。とにかく思い切り蹴ったんですけど。チームを勝たせたいと思っていたんですけど、迷惑をかけてしまった。PKを蹴った責任を感じています」

しかし、一夜明けた6日に臨んだ、森保ジャパンとしての最後の取材対応で三笘に涙はなかった。PK失敗を含めて、クロアチア戦のすべてを受け入れて前へ進む力へ変えようとしていた。

「キッカーに名乗り出たことは後悔していない。そこに対するメンタル、技術が足りなかった。こういう負け方をした以上は、次の大会で借りを返さないといけない。あのシーンが必ず(脳裏を)よぎるので、その悔しさを持ってプレーしないことがかえって無責任になると思う」

止められたPKを忘れるのではなく、絶対に乗り越えなければいけない十字架としてあえて心に刻み込んだ。その上でジョーカーではなくエースとして、4年後の次回W杯に帰ってくる。

悔しさを分かち合った、年齢が近いチームメイトたち仲間たちもすでに決意を新たにしている。

例えばドイツ、スペイン戦でともにゴールを決めた堂安。眩しく、そして頼れる背中を介してチームをけん引してくれたキャプテンのDF吉田麻也(シャルケ)、フィールドプレーヤーでは最年長の36歳、DF長友佑都(FC東京)の両ベテランから魂のバトンを引き継ぐと明かした。

「2人とも(その前の)先輩方の背中を見て、いまのような存在になったと思う。なので、次は2人を見た僕たち東京オリンピック世代が、背負っていかなければいけない。僕自身、エースになりたいとずっと言ってきましたけど、リーダーにもならなければいけないといまは思っています」

攻撃の中心を託されながら、個人的には不本意な結果に終わったMF鎌田大地は、所属するアイントラハト・フランクフルトとの契約が満了する来夏を見据えてこんな青写真を思い描く。

「日本がもっと強豪国になっていくためには、やはりビッグクラブでプレーする選手が数人は必要だと思う。なので、自分がそういう選手になれるよう頑張っていきたい」

堂安と鎌田に共通する思いは選手個人のレベルを極限まで上げ、代表チームに招集されるたびに新たな力を還元し、代表のレベルをも上げていく相乗効果の連鎖だ。そこへ三笘も加わる。

「代表に求められるのは、もっと攻撃的なサッカーだと選手たちも感じている。そのためには選手個々のレベルをアップさせていくしかない。一人ひとりがもっと脅威になれば、そこから崩していけるのがサッカー。1対1をもっと強くしていかなければいけない」

次回W杯を三笘は29歳になった直後に迎える。ボールを持っただけで、外国人のファンからも歓声が上がるようになった今大会。背中越しに感じた期待の大きさを確実に日本のゴールに、そして勝利に結びつけられるエースになるための挑戦は、すでに幕を開けている。

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