旬のトピック、最新ニュースのマピオンニュース。地図の確認も。

エリオ・グレイシーvs.加藤幸夫、2度にわたる死闘の行方は!? 『マラカナン1951』への道─。

2022年11月29日07時30分 / 提供:マイナビニュース

いまから70年以上も前、ヒクソンの父であるエリオ・グレイシーは木村政彦に挑戦を表明した。しかし木村は言った。「エリオ、君と私ではカラダの大きさが違い過ぎる。ここにいる加藤(幸夫)と闘ってみてはどうか」

「カトウを倒せばキムラは挑戦を受けてくれるはず」。そう考えたエリオは加藤と闘う決意をする。しかし試合の一週間前、稽古中に胸部骨折の負傷に見舞われる。兄カーロス・グレイシーは「試合は中止するしかない」と止めたが、エリオは闘いの舞台へと向かった(第1話『ヒクソンの父・エリオ・グレイシーは、なぜ木村政彦と闘うことになったのか?』から続く)。
○■投げ技を喰らい続けて

1951年9月6日夜、リオ・デ・ジャネイロ。
エリオ×加藤戦の日がやってきた。
10分×3ラウンドの柔術ルールで、決着がつかなかった場合、判定は用いられず引き分けとなる。
試合は一方的な展開となった。エリオは、加藤の投げを喰らい続けた。
組み合うと、すかさず加藤は投げの態勢に入る。そして面白いように次々と投げ技を決められた。大内刈り、払い腰などで幾度もマットに叩きつけられ、そのたびにエリオは苦悶の表情を浮かべていた。骨が折れている箇所がズキリズキリと痛んだのだ。
得意な寝技へと引き込みたいのだが、痛みに耐えるのが精一杯で何もできない。

柔道のルールならば何度も「一本」を奪われたことになる。だが柔術ルールには、投げ技による一本勝ちはない。いずれかが「参った」の意思表示をするまで続くのが柔術ルールにおける試合なのだ。
エリオは散々投げ技を喰らいながらも、規定の30分(10分×3ラウンド)を闘い抜いた。投げられ続けるも、関節技、締め技は決めさせず結果は引き分け。

体調さえ万全であったなら、とエリオは思った。一方の加藤は、投げで相手を圧倒しながらも勝ち切れなかったことを悔しがった。互いに納得していない。
その後に双方が話し合い、3週間後の9月29日に再戦することが決まる。
(引き分けでは、キムラは私の挑戦を受けてくれないだろう)。
そう諦めていたエリオの心に再び希望の火が灯った。
○■「落ちているぞ!」

2戦目、闘いの舞台はサンパウロへと移された。試合形式は1戦目と同じで、10分×3ラウンドの柔術ルール。そして3週間という期間が、エリオの怪我を完治させていた。
エリオがアバラ骨を折っていたことは、周囲にほとんど知らされていなかった。そのためだろう、戦前の予想では、「加藤優位」の声が圧倒的。加えて、エリオが暮らすリオ・デ・ジャネイロから日本人コロニーのあるサンパウロへ戦地が移されている。いよいよエリオが負けるという空気が漂った。
「前回の試合で力の差はハッキリしている。今度こそ決めるか立ち上がれなくなるまで投げて勝つ!」
加藤も余裕のコメントを発していた。

3本のロープに囲まれたリングの上で試合が始まる。
加藤とエリオは真正面から組み合った。エリオの体調は前回とは違い万全だ。さすがに簡単には投げを許さない。それでも加藤の腰のバネを活かした投げでエリオは何度かマットに叩きつけられた。

1ラウンドの6分が過ぎた頃だった。
ロープ際で加藤が投げ技を仕掛け、エリオは耐える。その直後に二人は縺れ合うようにマットに倒れ込んだ。
加藤が上になり、エリオは下。寝技を嫌う様子もない加藤が形成優位に見えた。しかし、この状態こそエリオが待ち望んだ形。ガードポジションをとったエリオは、両足でしっかりと腰を挟み込んで加藤を固定、体勢が整ったところで道衣の襟を絞り込む。
十字絞めが完璧に決まった。

加藤が意識を失ったと思ったエリオだが、もしかしたら気を失ったフリをしているのかもしれないとも考え、数秒間はそのまま絞め続けた。
「落ちているぞ!」
エリオはそう口にしたが、レフェリーは「まだタップしていない」と答えた。しかし、そう長く気を失ったフリができるはずもない。力を込めていた両手をエリオは襟から離した。加藤は失神していた。

場内が騒然となる中、加藤側のコーナーから白いカッターシャツを着た男がリングに飛び込む。木村政彦だった。
そして木村は、エリオに対し真っ直ぐに視線を向けて言った。
「よし、わかった。エリオ、あなたと試合をしよう」
エリオは汗まみれの顔に笑みを浮かべぬわけにはいかなかった。加藤に勝ったことが嬉しかったのではない。
(これでキムラと闘える)
そう思うと心底から喜びが湧き上がってきたのだ。
エリオは、ついに自らの実力を木村に認めさせたのである。
<次回に続く>

文/近藤隆夫

近藤隆夫 こんどうたかお 1967年1月26日、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から専門誌の記者となる。タイ・インド他アジア諸国を1年余り放浪した後に格闘技専門誌をはじめスポーツ誌の編集長を歴任。91年から2年間、米国で生活。帰国後にスポーツジャーナリストとして独立。格闘技をはじめ野球、バスケットボール、自転車競技等々、幅広いフィールドで精力的に取材・執筆活動を展開する。テレビ、ラジオ等でコメンテイターとしても活躍中。『プロレスが死んだ日。~ヒクソン・グレイシーvs.高田延彦20年目の真実~』(集英社インターナショナル)『グレイシー一族の真実 ~すべては敬愛するエリオのために~』(文藝春秋)『情熱のサイドスロー ~小林繁物語~』(竹書房)『ジャッキー・ロビンソン ~人種差別をのりこえたメジャーリーガー~』『柔道の父、体育の父 嘉納治五郎』(ともに汐文社)ほか著書多数。
『伝説のオリンピックランナー〝いだてん〟金栗四三』(汐文社)
『プロレスが死んだ日 ヒクソン・グレイシーVS髙田延彦 20年目の真実』(集英社インターナショナル) この著者の記事一覧はこちら

続きを読む ]

このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

ネタ・コラムカテゴリのその他の記事

地図を探す

今すぐ地図を見る

地図サービス

コンテンツ

電話帳

マピオンニュース ページ上部へ戻る