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フジ→岩手めんこいテレビで異例のアナウンサー復帰 福永一茂アナ、“やっぱりしゃべりたい”仲間たちのためにも

2022年11月12日07時00分 / 提供:マイナビニュース

●ゆかりのない地へ出向も「感謝の気持ちしかない」
今月3日、岩手・盛岡競馬場で行われた重賞レース「JBCスプリント」で、5年5カ月ぶりに競馬の実況席へ復帰した福永一茂アナウンサー。6月までフジテレビで営業局員として勤務していたが、異例の出向で系列局・岩手めんこいテレビのアナウンサーとなり、BSフジでの中継によってこん身の実況を久々に全国の視聴者へ届けた。

念願のアナウンサー復帰がかない、忙しくも充実の日々を送っているという福永アナ。アナウンサーという夢をつかみながら、志半ばでやむなく離れることになった仲間たちのためにも、「必死にやっていきたいと思います」と覚悟を持って、日々仕事に臨んでいる――。

○■久々のリポートに「懐かしさが大きかった」

2017年にフジテレビのアナウンス室から営業局に異動した福永アナ。それでも「やっぱりアナウンサーをやりたい」という思いから、人事局にアナウンサーへの復帰希望を出し続けていたという。

第一希望はフジのアナウンス室に戻ることだったが、アナウンサーマネジメントの実績がある関連会社の共同テレビや東京フイルム・メートへの所属、系列局への出向も選択肢として考えている旨を伝達。それを受けて手を挙げたのが、福永アナがスポーツ中継を担当していたときにスポーツマーケティングを担当し、営業局に異動したときに局長として上司だった齋藤秋水氏が社長を務める、岩手めんこいテレビだった。

縁もゆかりもない地へ出向となったものの、「やっぱりアナウンサーに復帰できるというのが一番でしたので、本当にうれしかったですね」と振り返る福永アナ。そして、「自分のわがままとも言える希望を受け止め、かなえてくださったフジテレビの方々。自分を受け入れてくださっためんこいテレビの皆さまには、本当に感謝の気持ちしかありません」と思いを語る。

復帰一発目の仕事は、高校野球・夏の甲子園の岩手県予選で、今年のドラフトでオリックスが3位指名した齋藤響介投手(盛岡中央高)が登板する試合のリポートだったが、「こうやってカメラの前でマイクを持ってしゃべってたな…という懐かしさが大きかったです」という心境になった。

スポーツ実況の復帰となったのは、レース状況をひたすらしゃべり続けるというハードな競馬中継。17年6月の安田記念から出番がなかった競馬の取材ノートを5年5カ月ぶりに取り出して臨んだが、「放送が始まる前のレースで練習して、『よし、ちゃんとやれるな』と思ったのですが、やっぱり本番の緊張感の中だと焦って、名前の読み間違いもしてしまいました。気持ちが入りすぎて、ちょっと空回りしちゃったのが反省点です(笑)」と、ほろ苦い復帰戦となった。

○■営業局へ異動後も実況の準備を欠かさず

アナウンサーとして復帰するまで5年のブランクがあったが、営業局員として働く期間も、いつでも復帰できるように準備を欠かさなかった。

「家でテレビを見ながらですとか、野球場やサッカー場、競馬場に行ったときに、実戦の感覚を鈍らせないように実況の練習をしていました。『アナウンサーに戻りたい』と言っておきながら準備していないというのは、心構えとして違うと思いましたので」

営業での経験が、アナウンスに生きることもあったという。

「例えば出雲駅伝の中継で、スポンサー周りのことや、中継スタッフがやろうとしていることを調整して、それを成立させるコーディネーターのような役割をやっていたのですが、こんなにいろんなことが絡んでいろんなことが関係して、この大会が成立して放送できているんだというのを、改めて学ぶことができました。もちろん視聴者が喜ぶ実況というのは大前提なのですが、そこにプラスアルファして、大会や番組に関わる方が喜ぶ中継というのもできるアナウンサーになったのではないかと思います」と、アナウンサー一筋では得難いスキルも身につけることができたそうだ。

●フジと違いアナウンス業務にとどまらず「いつも勉強」

フジテレビではアナウンス業務に特化していたが、めんこいテレビでは報道局所属で記者兼務のため、取材して自分で原稿を書き、そのナレーションを自分が付けることも。記者会見があるときはカメラマンとペアで向かい、長いマイクを持って音声スタッフの役割も兼ね、ニュース映像の構成表やテロップも自分で書くといいい、「やることが多いので、いつも勉強ですね」と明かす。

久々のアナウンサー生活を岩手という地で送る日々について聞いてみると、「しゃべるということと、記者として取材するということが軸になる生活がやっぱり新鮮ですし、岩手に住むのも初めてですので、『今日はまた初めての場所に行けるんだ』と毎日が新しい発見で、新鮮な気持ちで臨む機会が多いです」とのこと。

ローカル局のアナウンサーとなれば、その地域の土地勘も必要になってくるが、「岩手県は本当に広い(※県で日本一の面積)ので、まだ盛岡市ですら分からないところもたくさんありますから、いろいろなところを知っていくことは意識していきたいと思います」と語る。

○■「胸が痛くなりました」被災地を巡る機会も

9月に放送されたドラマ『監察医 朝顔2022スペシャル』には、1シーンながら出演を果たした。演出の平野眞氏が地方でロケをする際に、地元局のアナウンサーに出演してもらうことがある中で、「今回は岩手県でのロケがあって、たまたまスケジュールが空いていたのが自分だったのかな…」と白羽の矢が立った。

フジテレビアナ時代、天海祐希主演の『Chef~三ツ星の給食~』でも出演経験があるが、そのときは本業に近い記者役。今回は打って変わって、東日本大震災の行方不明者を探す海底調査会社の社員という役柄で、戸惑いながらも真剣な演技を披露した。

東日本大震災の被災県という顔もある岩手。めんこいテレビでは、1泊2日で被災地を巡り、震災遺構と言われる建物を見学したり、被災者の話を聞く機会があるそうで、「自分が本当に表面的なことしか知らなかったんだなと思いました。リアルに体験されたり、目にされた方は、僕らの想像以上のことを考えながら暮らしてらっしゃるんだなと驚きましたし、胸が痛くなりました」と感じることがあった。

このように、5カ月にして様々な経験をしてきたが、プライベートは一人暮らしの岩手生活。「料理をつくるのが好きなのですが、仕事して帰ってきて料理したものの、疲れ果てて食べずに寝るなんて日もありますね(笑)」と、忙しくも充実した日々を送っているようだ。

●諦めきれなかったアナウンサー…きっかけは古舘伊知郎と逸見政孝
別の部署に異動しても諦めきれなかったアナウンサーの仕事。目指すきっかけは、小学生の頃に見たプロレス中継だった。

「金曜8時のプロレス中継で、古舘伊知郎さんが実況していたんです。それを見て次の日に学校に行って教室で昨日見た試合を友達と真似するんですけど、みんなが(アントニオ)猪木さんや藤波(辰爾)さんや長州(力)さんの役をやるのに、僕は古舘さんをやって、友達が技をかけるのを古舘さんっぽいフレーズで実況していたんです」

その当時はアナウンサーという職業を知らなかったが、中学生になってテレビで活躍していたのが故・逸見政孝さん。「逸見さんの存在を知ってアナウンサーという仕事を知って調べたら、古舘さんもアナウンサーだということが分かって、将来大好きなスポーツに関わる仕事をするなら、アナウンサーになるのが一番いいんじゃないかと思ったんです」と、進路を決めた。

スポーツ中継ができる局を志望して、テレビかラジオでのこだわりは持たず、ラジオのニッポン放送に入社。野球、サッカー、競馬中継などを担当してきたが、フジテレビと資本の親子関係を逆転するにあたり、フジへ約50人が転籍することに。そのリストに入っていた福永アナは、配属先がアナウンス室と言われ、「全くのゼロから育ててくださったニッポン放送に感謝しつつ、自分の最大の夢がかなうということで移籍させていただきました」と、06年4月に、憧れの逸見さんの古巣でもあるフジへ転籍したのだ。

今回、キー局の元アナウンサーが系列局で復帰するという新しい事例になった福永アナ。「アナウンサーとしてずっとしゃべっていたい人は多いと思うんですけど、新人が入ってきますし、何人かはアナウンサーを卒業しなくてはいけない。でも、“やっぱりしゃべりたい”という人に、その場を準備していただけるのなら、何より本人が一番うれしいですし、受け入れてくださった会社にプラスがもたらされれば、出した側もうれしいと思います。フジテレビ系列に限らず、もっともっとこういう形が増えればいいなと思いますね」といい、そのためにも「自分の仕事ぶりで『あいつ来たけどさ…』と思われてしまうと、今回限りになってしまうので、必死にやっていきたいと思います」と気合いが入っている。

●福永一茂1974年生まれ、熊本県出身。早稲田大学卒業後、98年にニッポン放送入社。プロ野球、サッカー、競馬などのスポーツ中継を担当し、06年にフジテレビジョンへ転籍。引き続きスポーツ中継を中心に担当後、17年に営業局へ異動。22年6月28日付で、営業企画開発部部長職から系列局の岩手めんこいテレビに出向、アナウンサー兼報道記者として活躍している。

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