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『エルピス』渡辺あや×佐野亜裕美が共有した「社会に対する憤り」 リスクの高いテーマになった必然

2022年10月31日06時00分 / 提供:マイナビニュース

●物語の力を信じて悪あがきをしたい
24日にスタートしたカンテレ・フジテレビ系ドラマ『エルピス -希望、あるいは災い-』(毎週月曜22:00~)。実在の複数の事件から着想を得て、女性連続殺人のえん罪事件を扱う重い題材ながら、コミカルな会話劇や人間味のある登場人物たちが登場する、「正しさとは何か?」を問う社会派エンタテインメントで、初回が放送されると、SNSでは「初っ端から度肝を抜かれた」「これは本気のやつだ」と反響があった。

NHK連続テレビ小説『カーネーション』などを代表作に持つ脚本家の渡辺あや氏と、『大豆田とわ子と三人の元夫』などを手がけたカンテレの佐野亜裕美プロデューサーが向き合いながらオリジナル脚本を仕上げていった作品。そんな2人にインタビューし、テーマと題材の必然性に迫った――。

○■「腸内細菌」を社会に置き換えて…

――『エルピス -希望、あるいは災い-』というタイトルからして意味深ですが、どのように名付けたのでしょうか?

渡辺:代官山の会議室で、みんなで考えていたんです。でも、なかなか良い案が思いつかなくて。何気なしに「パンドラの箱」についてwebで調べてみると、箱の最後に残ったものをギリシャ語で「エルピス」と呼ぶことが分かり、しかも訳し方によってその意味は希望とも災いとも受け取れる。作品を示唆するものでした。それで「これがいい」となって、決まりました。

佐野:先に脚本が仕上がっていたので、むしろ、この脚本を表現するタイトルは何か? という視点でした。あやさんとは台本作りから「人間や出来事の多面性」について話していたことも大きかったのかもしれません。

渡辺:そうなんです。台本を書きながら、「正しさって何だろう」と疑問を持ち始めて。正しいと思って、良かれと思ってやったことが災いになることがままあります。だから、正しいことをやりたいと思っていろいろ行動もするけれど、本当に正しいって言えることはないんじゃないかって考え始めたんです。そんなときに「腸内細菌」についての本を読んだら、菌に善玉と悪玉があるわけではなく、いろんな菌が多種多様にバランスよく存在していることが実は、腸にとって理想的であることを知ったんです。そこから、私たちが生きる社会に置き換えて「何が正しいのか、正しくないか」「何が幸福か、不幸か」「何が希望か、災いか」は言えないという答えにたどり着きました。物語の中でもこれについて触れています。作品を表すピッタリのタイトルだと思っています。

――普遍的なことに立ち返る一方で、今だからこそ求められる作品とも言えますか?

佐野:コロナウイルスによって世界がガラっと変わってしまいました。変わったからこそ、今まで見えなかったことがあぶり出されています。希望なのか、災いなのか、結局のところ分からないことも多く、当たり前のことが当たり前じゃないってことに私自身、気づかされたんです。日本に限らず、世界で生きている誰もが今、感じていることだとも思います。言語化されているのか、意識化されているかどうかは分からないけれど、潜在的に感じているはずです。だから、この作品は普遍的な話であると感じています。
○■本質的なテーマは「信じることが希望」

――おふたりで作り上げていった作品なわけですが、「渡辺あや×佐野亜裕美」の掛け合わせには、どんな独自性があると思いますか?

渡辺:2016年の頃、国の政治に不穏な空気感と危機感を持ち始めたことを覚えています。普段は島根の田舎で家族以外の誰とも会わずに主婦をしている生活ですから、不安でした。この不安を誰と共有したらいいのかも分からず、世の中の人はこれをどう思っているのかと思いあぐねていたら、ある日ドラマ脚本の依頼に佐野さんが訪ねて来られたんです。最初はラブコメを書いてほしいという話だったんですが、どうも盛り上がらない。2人で一緒に熱くなれた話こそが、今の日本は何かおかしいっていう話だったんです。

問題意識をドラマにし、自分が社会や政治に対して感じている不安とか、違和感をかたちにし、ひいてはそれを視聴者とも共有できるんじゃないか。それは希望のように見えました。佐野さんという深く信頼できるパートナーと、自分のこれまでの人生とか人格を作品に全て投じて作り上げることで不安を払拭できると、まさに希望だったんです。だから、物語の中でも「希望とは何か」について、そして、「たった1人でも目の前の人を信じることができれば、自分にとって大きな希望になり得る」ということを描いています。信じることが希望。これがこの物語の本質的なテーマです。

佐野:日本は報道の自由やジェンダーギャップなど、先進国の中での遅れが目立っていると思います。斜陽国と、揶揄(やゆ)して言ってしまうこともあります。そんな行き詰まっている国の現状で人を信じられること自体が希望だと思います。日本は司法制度の改革も遅れています。構造を変えたい、法を変えたいという思いはもちろんありますが、すぐにできるわけじゃない。一人一人の力は微々たるもので、大きく働きかけができるわけではないけれど、物語の力を信じて悪あがきをしたい。最後の最後まで戦ったという気持ちを持ち続け、あやさんと物語を作り、それが結果的に、作品の特異性を表すものになっていると感じています。

えん罪を扱っていることも必然的です。なぜえん罪が起こったのかは、国によって違います。例えば、ポン・ジュノ監督の『殺人の追憶』のでっち上げられ方は韓国ならではのもの。国それぞれの社会が抱える鬱屈とか、押し寄せるひずみは、えん罪に表れやすい。立場が弱い人が追い詰められて犯人にされていくからです。今の日本のあり様を反映している題材だと思っています。えん罪モノをやりたいと思ってスタートしたわけではありませんが、社会に対する憤りを初めにあやさんと共有できたことから始まった作品です。

●「容疑者」の取り上げ方に抱き続けた不信感
――テレビ局を舞台にえん罪事件を扱うことで、メディアの責任を問う自己批判にもつながります。リスクが高いと思いませんでしたか?

佐野:現行犯逮捕はともかく、容疑者の段階で犯人だと決めつけて報道することは世界的にも問題になっています。個人的にも、容疑がかかり、マスコミが「この人が犯人です」と取り上げる報道の在り様に対する疑問や不信感をずっと持ち続けていました。「マスゴミ」と叩かれるたびに、その中に自分がいることの息苦しさもありました。ただ、変えたいけれど、大きな組織を変えるのは難しい。1社だけでどうにかなる話もでなく、なおさら1人では何もならないということを台本の打ち合わせのときから話していました。もちろん自虐になり過ぎるのもどうなんだろうという思いもあって。あやさんはこれらを掬(すく)い取って、物語にしてくださったと思っています。

渡辺:佐野さんと2人だからこそできるものは何だろうって、いつも思っていました。目の前にいる人とできるものをやりたい。自分が出会った人と私だからできるものをやりたいと。テレビ局の内部事情をご存じの佐野さんにとって、もちろんリスクが高い作品になります。そんな企画は通らないんじゃないかと思いながらも、佐野さんとテレビの内側を描きたいと思い続けていました。実現するまでに時間がかかりましたけど、ドラマとして圧倒的なリアリティを持つ作品になっていると確信しています。
○■「浅川恵那」は長澤まさみの当て書き

――スキャンダルによってエースの座から転落したアナウンサーという浅川恵那役は、なぜ長澤まさみさんだったのですか?

渡辺:浅川恵那に関しては、当て書きです。佐野さんと主人公を演じていただくのは誰がいいのかと話し合う中で、長澤まさみさんが真っ先に挙がりました。

佐野:長澤さんって、内にあるエネルギーをなんだか持て余しているように見える。あくまでもいち視聴者としてそう思っています。今生きている社会とフィットしていないんじゃないかって、勝手に感じていて。そんな方に自分を取り戻していく物語を演じてほしいと思ったんです。ご本人が本当にそうかは分かりませんが、画面に映る彼女から率直に感じていたことです。

――物語のカギを握る人物に三浦透子さんを起用した理由を教えてもらえますか?

佐野:三浦さん演じる「チェリー」役は、実はもともと別の方をイメージしていました。企画を初めに考えた2017年から5年が経って再スタートしたので、改めてどうしようかと。長澤さん以外は、眞栄田郷敦さんも鈴木亮平さんもキャスティングを考え直して決めていった経緯があります。チェリーというキャラクターは、私の印象では強さも弱さもある役。このぐらいの年齢でそれを表現できる役者さんはそういません。実際に三浦さんはアングルによって印象が変わる。撮り方によって、いろいろな顔を持っているというのは、いい役者の条件だと思います。矛盾を抱えながら生きている難しい役のチェリーを表現するのに図らずもぴったりでした。

●日本の問題意識が世界でも普遍性を持つ

――世界最大級の国際映像コンテンツの見本市・イベント「MIPCOMカンヌ」で放送に先駆けて世界初上映した作品としても注目度が高いと思いますが、世界市場を見据えて脚本を作っていったのですか?

渡辺:書いているときは、1ミリも海外に目を向けていませんでした。1人の日本人として、日本の問題をどうすべきかと、それしか考えていませんでしたが、実はミニマムなことって大きな普遍性を持つ。個人的な悩みだと思っていたことが世界中に通じることって、多いと思います。日本で起こっているえん罪なんて、世界では関係のない話かもしれませんが、でもやっぱり、人間の本質って国によってそう変わるものでもないと思うんです。与えられている課題を一生懸命考えたり、悩んだり、何を希望として見いだすかとか、そういったことは世界の人たちにも理解してもらえると思います。

また、自分の国のことだけを考えていればいい時代ではもはやありません。他の国の問題、世界単位で考えねばならない課題を考えるとき、人をどう信じるか、隣の人をどう思いやるか、遠く離れた人をどう理解するか。その手掛かりとなるのが感情の共有です。ドラマや映画にはその役割があって、私たちの感情を世界にたくさんの人に届けることができる。将来、何かの問題を考えるときに役に立つことなんじゃないかと思っています。

佐野:世界中の方に自分が作ったドラマを見てもらえるようになりたいと、日々思っています。『エルピス』の第1話の前半はテレビ局を舞台にしたお仕事コメディのような印象を持たせました。軽妙なコミカルなやりとりから、お仕事ドラマが始まるかと思いきや、えん罪の話が広がっていくというもの。全話を通じて、大きな転調も用意しています。個人的に海外ドラマが好きなのでクライムサスペンスはよく見ますが、『エルピス』のような作品はあまりないと思います。群像劇としてまるでお仕事コメディのように始まり、コミカルな描写が最終回まで存在し続けます。こうしたヒューマンドラマとクライムサスペンスとのバランスのとり方は、あやさんにしかできないことだと思います。稀有な才能です。磨くために日々鍛錬もされています。そんなあやさんの力を信じて、一緒にドラマを作ろうと思いました。それがこのドラマの特異性ともなって、視聴者の皆さんに受け入れられたらうれしいです。

<インタビュー全体を通じて、2人の思考と感情を全力で投じた作品であることが伝わってきた。第1話から存在感のあるキャラクターたちにそれが反映されていることも確認できる。続きが気になるストーリー展開も、作品性の深さを表すものになっている。>

●渡辺あや1970年生まれ、兵庫県出身。99年に映画監督の岩井俊二が主宰するプロジェクトのシナリオ募集企画「しな丼」に応募し、『天使の目にも鏡』(後に『少年美和』に改題)が、映画プロデューサーの久保田修氏に認められる。03年に『ジョゼと虎と魚たち』で脚本家デビュー、11年にNHK連続テレビ小説『カーネーション』で連続ドラマの脚本を初担当。今回の『エルピス-希望、あるいは災い-』で民放連続ドラマの脚本を初担当する。

●佐野亜裕美1982年生まれ、静岡県出身。東京大学卒業後、06年にTBSテレビ入社。『王様のブランチ』を経て09年にドラマ制作に異動し、『渡る世間は鬼ばかり』のADに。『潜入探偵トカゲ』『刑事のまなざし』『ウロボロス~この愛こそ、正義。』『おかしの家』『99.9~刑事専門弁護士~』『カルテット』『この世界の片隅に』などをプロデュース。20年6月にカンテレへ移籍し、『大豆田とわ子と三人の元夫』、NHKで『17才の帝国』を手がけ、『エルピス-希望、あるいは災い-』をプロデュースする。

長谷川朋子 はせがわともこ テレビ業界ジャーナリスト。2003年からテレビ、ラジオの放送業界誌記者。仏カンヌのテレビ見本市・MIP現地取材歴約10年。番組コンテンツの海外流通ビジネス事情を得意分野に多数媒体で執筆中。著書に『Netflix戦略と流儀』(中公新書ラクレ)。 この著者の記事一覧はこちら

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