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「愛は止められませんでした」フジ退社を決断、鈴木芳彦アナが“格闘技実況”と離れることができなかった必然

2022年10月29日12時00分 / 提供:マイナビニュース

●『THE MATCH 2022』の観客席で感じたショック
「ただ、『RIZIN』を実況したい。格闘技を実況したいという気持ちは、愛は、止められませんでした」――こう涙でフジテレビの退社を発表した鈴木芳彦アナウンサー。その熱い “格闘技愛”のため、安定した会社員生活からフリーアナウンサーという挑戦に臨む姿に、大きな反響があがった。

この決断に至った背景は何か、なぜ格闘技にそこまで魅了されるのか。これまでのアナウンサー人生をひも解きながら、実況におけるこだわり、古巣への思い、そして今後の活動の展望など、たっぷりと話を聞いた――。

○■自分のいないRIZIN実況席に「複雑な思い」

“世紀の一戦”と注目を集めた那須川天心×武尊戦『THE MATCH 2022』(6月19日)の中継をフジテレビが取りやめることを発表したのは、5月末。その時点で、「『THE MATCH』と『RIZIN』は違うので、放送を見送るのはこれだけだと、まず思うようにしました」というが、その後、7月以降『RIZIN』でフジテレビのアナウンサーは実況できないという通達を受け、「フリーになることを考えるきっかけになりました」と振り返る。

7月に行われた『RIZIN』の2大会の会場に足を運び、「これまで自分が内側から伝えていたものを、外側から見ていて、ものすごくつらい思いをしました。実況席に知らない顔の人が入っていたりして、違う景色になっているのを見て、複雑な思いにもなりましたね」といい、自身の身の振り方を考えるようになった。

「『THE MATCH』も観客席で見ていたのですが、これが地上波で放送されていないというショックとともに、配信の勢いをものすごく感じたんです。昔は、地上波で放送されないと、一般の人たちはなかなか目にする機会がないし、話題にもなりにくいという話がありましたが、有料配信だったのに、普通に地上波でやってるくらいの勢いでみんな見てるし、話題になっていて、格闘技コンテンツに関しては、もう配信がメインになったのかなと時代の変化を感じました。そこで、格闘技の実況をやりたくてアナウンサーになった自分にとって、本当はフジテレビにずっといたかったんですけど、外に出るというのも1つの選択肢として浮かび上がってきたんです」
○■アナウンサーとして1つの可能性に懸けてみたい

7月の『RIZIN』では、実況で鈴木アナの声が聴けないことを残念がるコメントがSNSにあがっていたが、そのことを『RIZIN』の会場に行った際、選手や関係者らから伝えられ、心が動いた。

そこで相談したのは、『RIZIN』CEOの榊原信行氏。そこに、フジが総合格闘技『PRIDE』から撤退したことを機に同局を退社した経験を持つ佐藤大輔ディレクターも入り、「会社に残ってひたむきに業務をこなして、安定した生活がこれからも保証されるフジテレビで働き続けるという道が正しいのか。それとも、自分のやりたいことのために大好きなフジテレビを飛び出すという選択をするのか。どっちが正解か分からないけど、人生において後悔しない道を選びたい」と、自分の気持ちを打ち明けた。

ほかにも、一緒に仕事をしてきたディレクターやプロデューサーたちに思いを伝えると、皆が背中を押す言葉をかけてくれたのだそう。『RIZIN』事務局長の笹原圭一氏は「みんなが背中を押すと思うので、僕だけは一旦止めておきます。まず失うものを考えてください。ただ、鈴木さんがフリーになるのであれば、全力でバックアップします」と言ってくれ、そうした人たちの応援を受け、一歩踏み出すことを決意した。

この決断に至るまでには、もう1つの思いがあった。

「40代で会社を辞めるという選択をした人が、アナウンサーで身近にいなかったので、こういう道も1つあるんだということを、後輩たちに見せるのもいいことなのかなと。司会者系のアナウンサーがフリーになることはよくありますが、僕みたいな格闘技やeスポーツなど実況に偏ってるアナウンサーが外に飛び出すケースは見たことがなかった。でも配信の時代にもなってきたので、人が進まなかった道に自分が先駆けで進んでみることで、アナウンサーとしての1つの可能性に懸けてみたいという気持ちもありました」

●涙で振り返るRIZIN復帰実況「拍手が耳に入ってきた」

9月14日付でフジテレビを退社し、同16日に生配信された『RIZIN』の記者会見で、フリーになったことを報告。鈴木アナが『RIZIN』に復帰することに対する歓喜とともに、涙をこらえきれず話す姿に反響が集まった。

「あの涙は、フジテレビに対する感謝の気持ちもありましたが、やはり一番は、外に飛び出すときに不安を抱えていたところ、今後の仕事に向けて相談に乗ってくれて、それを1つ1つ解消してくれた榊原さんに対する感謝の思いがあふれて出てしまったということですね」

また、9月25日に行われた『超RIZIN』でRIZINの実況に復帰した際も、感極まって涙する場面があった。そのときのことを思い出し、また涙をこらえながら振り返る。

「僕はファイターじゃありませんし、本来目立つべき存在ではないので、すごく申し訳ない思いがあるんですが、あそこで紹介していただく形になって力強く礼をして、また戻ってきたということを皆さんにお見せしたいなと思っていたんです。報告の会見もそういう気持ちで、最初は力強くしゃべって、力強く締めくくりたかったんですけど、泣いてしまいまして…。試合会場で泣いてしまったのは、僕が紹介されたときの観客の皆さんの拍手です。会場の拍手って、ヘッドホン越しにはあまり聴こえないんですけど、あのときは耳に入ってきたんです。だから、観客の皆さんの思いに涙が出ました」

4カ月ぶりとなった復帰の実況は、「本当にここにまた来られたんだという驚きもありましたが、自分が思い切って外に出たことで、今まで当たり前だと思っていた景色がまた戻ってきたことに対する不思議な気持ちがありました」といい、そのため、「心の中がふわふわしてしまって、あのときの実況に関しては全然ダメです」と反省した。

○■格闘技との出会い…祖父と見ていたアントニオ猪木

フリーの報告会見で印象的だったのは、「ただ、『RIZIN』を実況したい。格闘技を実況したいという気持ちは、愛は、止められませんでした」という言葉だ。そんな鈴木アナが感じる格闘技の魅力とは何か。

「いろんなスポーツがある中で、戦うっていう行為を純粋に表現できているのが格闘技だと思うんです。どの競技も素晴らしいと思いますが、例えばボールにバットを当てるとか、ボールを蹴るとか、まずボールを通しての技術というものが必要になるじゃないですか。でも、格闘技の中に存在するのは、相手に当てる技術や、相手を捕まえる技術で、直接相手に対して働きかけられる。それによって、怒りや野望という感情を体現できるから、見ていて気持ちいいですし、グッとくるものがあるんです」

格闘技との出会いは、幼少期に祖父のあぐらの上で見ていたプロレス中継。「アントニオ猪木vsアンドレ・ザ・ジャイアントなんて、あまりにも体のサイズが違うのに成立するんだという驚きもあったし、血まみれになってプロレスラーが魂むき出しになっている感覚を覚えて、人間が勝ちたいという思いを遂げるために、その感情を体に連動させて、お互いに歯を食いしばりながら戦っている姿が忘れられないですね。だから『北斗の拳』も好きで、ケンシロウとラオウの戦いにも、そういう魅力があるんです」

ただ、「自分には戦うことに素養がない」と自覚し、プレイヤーになるつもりはなかったという。その後、90年代に『新世紀エヴァンゲリオン』が社会現象を起こすと、テレビの力を感じ、プロデューサーなどの制作者志望に。しかし、高校3年生のとき、周囲の人たちから「プロデューサーよりアナウンサーのほうが向いてるよ」と口々に勧められ、テレビ朝日で深夜に放送されていた『ワールドプロレスリング』を録画して、見よう見まねで実況してみたところ、「動きに対して面白いように反応できて、言葉がバンバン出てきたので、これを生業(なりわい)にしようと思いました」と、将来の進路を定めた。

『ワールドプロレスリング』の実況と言えば古舘伊知郎の“古舘節”で、鈴木アナにとって「どのアナウンサーよりも、心象風景に刻まれているんです」という存在。その次の看板となったのが辻義就(現・辻よしなり)アナで、「辻さんの後に続きたいと思ったので、辻さんがいらっしゃった慶應義塾大学の放送研究会に行こうと思って、1年浪人して入ることができて、辻さんにもお会いすることができました」という。

しかし、就活で第一志望のテレビ朝日はスタジオ面接で不採用。プロレス中継のないテレビ東京でも「いつか放送されるときのために、入りたいです」と堂々思いをぶつけたが、結局テレビのキー局はすべて落ち、何とかラジオ局のニッポン放送に入社することができた。

●ようやくつかんだ念願の格闘技実況
そんな鈴木アナにチャンスが巡ってきたのが、2005年秋。ニッポン放送とフジテレビが、資本の親子関係を逆転するにあたり、ニッポン放送からフジへ約50人が転籍することになったのだ。ラジオ局のアナウンサーでありながら「格闘技実況をしたい」という夢を公言していた鈴木アナは、当時の常務に呼び出され、「フジテレビのアナウンス室に転籍したら、『K-1』もあるし『PRIDE』もあるから、その夢はかなえられるぞ」と言われると、迷いなく「行きたい」と即答。

こうしてフジテレビに入社すると、まずは野球中継や『プロ野球ニュース』、そしてボクシング中継の手伝いをすることに。放送されない試合を実況して練習していたが、ニッポン放送時代はスポーツ実況をしていなかったため、「ボロボロだった記憶しかないです」と当時を振り返る。

ボクシング班では、1年間は実況できないと言われていたが、入って4カ月後、先輩のアナウンサーが実況担当の試合前日に胃腸炎を起こし、鈴木アナが代理として前日計量で選手を取材することに。それをまとめて、先輩アナに資料を渡すつもりだったが、当時のチーフアナウンサーと中継ディレクターが「お前が取材したんだったら、自分が実況しちゃえよ。明日デビューだな」と命じられ、急きょ実況デビューが決まった。

その後、K-1、極真空手、柔道、大相撲など、武道・格闘系の実況で経験を積み、総合格闘技はTBSで中継していた『DREAM』を見て技を学習。すると2015年10月、当時のアナウンス室長に呼び出され、「総合格闘技の中継がフジテレビで復活する。『PRIDE』を担当していたチームは関わらないから、お前が男になってこい」と命じられた先が『RIZIN』だった。フジに転籍して、10年弱の月日が経過していた。

そこから、『RIZIN』の実況がライフワークに。「すごく楽しい日々でしたが、『好きなことを仕事にすると面白いでしょ?』とよく言われるんですけど、うまくいかなかったときに、自分のアイデンティティーまで傷つくんです。ただの仕事の失敗で終わらず、ずっと心から血を流してる感じで、切り替えるのに時間がかかります。人間って心が出血すると、口の中で本当に血の味がするんですよ。それくらい大きな存在なんです」というだけに、『RIZIN』のためにフジテレビを飛び出したのは、必然だったのかもしれない。

○■配信時代における実況術の意識は

鈴木アナにとって、格闘技実況におけるこだわりを聞くと、「他のスポーツでは、いかに個を消して、落ち着いて、分かりやすくというのはもちろん、解説者の方から『なるほど』と思えるネタをいかに引き出すかを考えながらしゃべるんですけど、格闘技に関してはとにかく非日常の空間が目の前にあるので、まず落ち着いてしゃべるのはおかしな話じゃないですか。競技化されていますが、そこで殴り合っていて、いわば『警察密着24時』がそこで起こっているようなものですから、その普通じゃない光景を表現するための激しい実況というのは意識しています」と回答。

それに加え、これまでは地上波の役割の1つとして、格闘技の視聴人口を増やすため、いかに“敷居を下げる”かも意識し、「格闘技を見たことがない人のため、堀口恭司選手を紹介するときに『野球で言うところの大谷翔平、テニスで言うところの錦織圭、そして格闘技は堀口恭司』と言ったり、那須川天心選手は『ドラゴンボール・孫悟空の実写版』という感じで、そのすごさを伝えています。大先輩の須田(哲夫)アナウンサーに『子どもの頃のアニメのヒーローって何でしたか?』と聞いて、『鉄腕アトムの実写版』と言って、高齢層の方にも届くようにとか考えていましたね」と工夫してきた。

これからは配信での実況がメインになってくるため、このスタイルは変えていくのか。

「僕は正直、配信の時代が来てるからこそ、地上波で見てた人たちに対する意識を変えちゃいけないと思ってるんです。専門チャンネルとなると、通の人たちしか見ないと思われがちなんですけど、いろんな人と話をして聞くのは、『RIZIN』は今、何かをすれば必ず話題になって、通じゃない人たちも見てるんだと。それは、通の人が配信を購入して、通じゃない人たちを呼んで一緒に見て、そこで格闘技好きになった人たちが自分で配信にお金を払うという現象が起こっているのを感じるんです。だからスタンスとしては、地上波ほどではないですが、新しいファンの人たちも想定してしゃべらなきゃいけないなと思っています」

慶大放送研究会時代は、防音の部室でアナウンススクールのテキストを持って、毎日2~3時間の発声練習。早口言葉の「外郎売り」も毎日5回しゃべっていたという。もちろん、家でも発声練習をしていたが、「大きい声を出すので近所では有名で(笑)。でも、どこからも苦情を言われなくて、本当に温かい街で育ったなと思います」と回想。成人式も夜の飲み会に顔を出さないほど発声練習を欠かさず行い、その基礎が生きて、「1日8試合実況しても、声が裏返るということは基本的にないです」と強靭な声帯が作られた。

そこまで鍛えたのは、「格闘技をやってる人たちは超人だと思うんです。でも、自分が常人の感覚を持って超人のすごさを伝えるためには、声だけは超人にならないとダメだと思ったんです」と、やはりファイターへのリスペクトが背景にある。

●「これからも一緒に頑張ろう」と言ってくれたフジテレビ

フリーアナウンサーとして出発を切ったが、現在の自分を作ってくれた古巣への思いは熱い。

「まず最初に、ニッポン放送でアナウンサーとしての基礎を築いたと思いますし、“働くことの意味”を教えてくれた場所です。当時、朝の番組で苦戦を強いられていたんですけど、その番組を卒業するときに、ある構成作家さんとの会話で、『キャバクラとかカラオケに行ったら楽しいか?』『楽しいです』。『お金どうしてる?』『払ってます』。『あの番組1年やってて楽しかったか?』『つらかったです』。『だからお前はお金をもらえたんだ。いいか、楽しい思いをしたらお金を払うんだ。つらい思いをするからお金がもらえるんだ。だから、これから理不尽なことがあったとしても、そのたびに頭の中で“チャリン”って鳴らせ』と言われまして、それが今の糧になってますね」

「フジテレビには17年いたんですが、本当に先輩たちからいろいろ教わって、後輩たちも友達みたいな感じで『スーさん、スーさん』と慕ってくれて、面白い人たちがたくさんいますし、とても自由が許された会社でもありました。最後に、港(浩一)社長、大多(亮)専務、矢延(隆生)取締役にも一人一人ご挨拶させてもらったんですけど、皆さん『これからも一緒に頑張ろう』と言ってくれて、こんなふうに送り出してくれるリーダーたちがいる会社は誇りに思いますし、社員に対して懐の深い優しい会社だなと、辞めるときに改めて思いましたね。本当にフジテレビで良かったなと思います」
○■もっとフィールドを広げてやっていきたい

今後は、『RIZIN』を中心に、他の格闘技団体の実況も担当し、10月9日にはU-NEXTでライブ配信されたキックボクシング『GLORY COLLISION 4』で興奮を伝えた。また、フジ時代から取り組んできたeスポーツ実況にも力を注いでいきたい考えだ。

フジでは『超逆境クイズバトル!!99人の壁』で、実況とクイズ挑戦者の紹介VTRでナレーションを担当してきたが、これも引き続き担当。その他にも、フジとの関係が切れずに継続する番組があるという。

また、『RIZIN』のあおりVTRのナレーションを担当する立木文彦らがいる大沢事務所に10月1日付で所属し、「尊敬する立木さんの事務所でお世話になるということで、すごくありがたいです」と感謝。その上で、「ラジオ、テレビ、配信と経験しているので、もっとフィールドを広げてやっていきたいです。他局も含めて、今まで一緒にお仕事をすることができなかったプロデューサーやディレクターの方々ともご縁を作っていけたらと思います。もちろん、これから厳しいことを痛感することもあると思いますが、そこにも挑んでいかなければと思っています」と意気込んだ。

ちなみに、フリーになってから、周囲のすすめでメガネを外して活動。ただ、「実況のときはかなり眼球を動かすので、メガネでしゃべります。そのメガネも新しいものに替えたので、心機一転新しいスタイルでやっていこうと思います」とのことだ。

●鈴木芳彦1979年生まれ、東京都出身。慶應義塾大学卒業後、03年ニッポン放送に入社し、06年フジテレビジョンへ転籍。『RIZIN』をはじめ格闘技などのスポーツ実況、eスポーツ実況を担当し、22年9月に退社、フリーアナウンサーに。今後は『RIZIN』を中心に格闘技中継や、バラエティ番組『超逆境クイズバトル!!99人の壁』(フジ)などを担当する。

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