2022年10月10日06時00分 / 提供:マイナビニュース
●「よし、面白そうだからやろう!」の環境作り
今年6月、フジテレビの社長に就任した港浩一氏。『とんねるずのみなさんのおかげです』初代総合演出で、木梨憲武のキャラクター「小港さん」のモデルとしても知られるだけに、就任のニュースが報じられると大きな反響があがった。グループの共同テレビ社長から復帰するという異例の起用となったが、驚きとともに「再びフジテレビを強くしていく使命感というのも感じました」と強い決意を語る。
フジから7年間離れ、「だんだん元気がなくなってきているように見えていた」というが、それをどのように取り戻そうとしているのか。さらに、1月改編という異例のタイミングでお昼の生バラエティを復活させる決断の背景や期待なども含め、たっぷりと語ってもらった――。
○■とんねるずら多くのタレントから応援・祝福
――共同テレビから、再びフジテレビに戻って社長就任というのは異例のことだと思いますが、就任の要請を聞いたときの心境は、いかがでしたか?
それはもう、とても驚きました(笑)。ただ、フジテレビがこれまで2回(視聴率)三冠を取ったときに、自分は制作現場でそれを経験しているから、再びフジテレビを強くしていく使命感というのも感じました。
――内定が発表されると各媒体でニュースとして取り上げられましたし、反響も大きかったのではないでしょうか。
5月15日で古希(70歳)になったので、みんなでそのお祝いを予定してくれていましたが、5月16日に内定が発表されて、皆さん、ものすごく喜んでくれて、応援の声をたくさん頂きました。
――とんねるずさんをはじめ、タレントさんからの反応はいかがでしたか?
長いお付き合いの(石橋)貴明さん、(木梨)憲武さんも、秋元(康)さん、ヒロミさん、(藤井)フミヤさんとか、ネプチューンの皆さん、THE ALFEEの皆さん、竹内まりやさん、森高千里さん、松田聖子さん、和田アキ子さんもすごく喜んでくれました。さだまさしさんと水谷豊さんは同じ古希なので、一緒に頑張ろうと、応援してもらいました。
それから最近、レギュラーと特番含めて全番組に「陣中見舞い行脚」をやっていて、お世話になっているタレントさんにご挨拶していますが、応援や祝福の言葉をいっぱい頂き、ありがたく感じています。
――久しぶりにフジテレビの現場を訪れていかがですか?……と聞こうと思いましたが、共テレ社長時代もたびたびいらっしゃっていましたもんね。
よくフジテレビにも来ていたから、久しぶりという感じではないのですが、やっぱりみんな盛り上がってくれるし、そのへんの元気さは変わらないなと思いましたね。
○■クリエイターをリスペクトする会社だった
――共テレに7年間いらっしゃったわけですが、その立場からフジテレビをどのようにご覧になっていましたか?
以前よりだんだん元気がなくなってきているように見えていましたね。決定に時間がかかったり、ノリの良さやおおらかさみたいなものが、少しずつなくなってきたりしているのではと感じていました。
それと、制作現場が少し窮屈になっているのではないかとも思いました。番組の最後にスタッフロールが流れますが、今はものすごい人数になっているじゃないですか。情報量が多くなって作り方も変わってきているとは思いますが、分業制でやっていくより、誰かが中心になって思い切りやったほうが番組作りとしてはいいと考えています。
――それこそ港さんは、『みなさん(とんねるずのみなさんのおかげです)』の立ち上げからディレクター1人体制でやってらっしゃいました。
ある時期までですけどね。もちろん1人ではできませんので、自分が中心となってグイグイ引っ張っていく形でやっていたのですが、やっぱり番組って誰かが本気になって、夢中になって、そこにみんなが付いていくような形のほうがいいと思っています。
――共テレさんでは他局ともお付き合いをしていたわけですが、そこを見て参考になる部分はありましたか?
NHKさんには『チコちゃんに叱られる!』や長時間の中継番組を発注していただきしましたが、我々フジテレビの匂いを持っている制作会社を、すごくリスペクトしてくれると感じました。スタジオの仕切り方とか作り方とかも含めて、NHKさんにない風を吹かせてくれたと、褒めてくださいました。
TBSさんには日曜劇場の発注をいただきまして(『危険なビーナス』)、すごいなと思ったのは、収録で緑山(スタジオ)に差し入れに行くと、TBSの方が誰も来ていないのですよ。企画を決める際のやり取りはもちろんありますが、決まったらもうあとはほぼ任される。これは責任重大だなと感じましたし、思いっきり頑張らなきゃと思いますよね。
局としてこういうやり方もあるのだな、と思って比較しながら、どのやり方がいいのだろうかということを考えていましたね。
――そしてフジテレビに戻られて、この7年で感じたことをどのように生かしていこうと考えているのでしょうか。
窮屈になっているところは、そうではなくしていこうと。例えば、企画の決定が遅くなっているところはスピードアップすればいいわけで、制作現場の誰かが「これを作りたい!」という強い思いを持っていれば、それに対して編成が「いや、もっとよく考えよう」となるのではなくて、面白そうだと思ったら乗っておだててくれと。そうしたら現場が力を発揮するはずだから。これは編成だけの話ではなくて、僕も含めて上に立つ者が「よし、面白そうだからやろう!」とGOを出して実現していく環境を作ることが大事だと思います。クリエイターをリスペクトするということ。フジテレビはもともとそういう会社だったのですから、少し忘れそうになっていたところを元に戻そうと思います。
――就任挨拶で、「明るく楽しく元気なフジテレビのDNAを蘇らせる『フジテレビ ルネサンス』」を掲げられました。
何かきっかけがあれば、「そうだよな」って思い出すはずです。就任から3カ月で、徐々にそういう雰囲気になってきていると感じています。
●経験から語る「野放し」でやらせる意義
就任挨拶でもう1つ言ったのは、「入口」と「出口」を話し合ったら、あとは自由にのびのび野放しでやらせる。その分、自由には責任も伴うということを忘れないでほしいと。
――港さんが制作現場の第一線にいらっしゃったときは、「野放し」でやらせてもらった経験があったのですね。
企画が成立してタイムテーブルに載るまでには、企画書を出すなど、いろんなことがありますが、決まるときはノリであっさり決まって、後は任されていましたね。現場は守られていて、大きく面倒を見てもらっているという感覚でした。その分、「返さなきゃいけない」「恥をかかせるわけにいかない」という責任みたいなものを、自然と強く感じていました。
――『みなさん』が始まるときは、まさに「ノリで決まった」事例ですよね。
あの頃のフジテレビは、『火曜ワイドスペシャル』という枠があったのですが、その直前に放送していた『サザエさん』の再放送が、(世帯視聴率)15%をとります。そうすると、15%持ったまま番組を始めることができるので、最低でも番組全体で20%はとらないと次のチャンスはないというくらいハードルの高い枠でした。我々で何回か企画を出したのですが、なかなか通らない。
そのころ、そんなタレントさんはあまりいないのですが(笑)、編成の大部屋にあった僕のデスクに貴明さんがしょっちゅう遊びに来ていたのです。「この中で一番偉い人は誰なの?」って聞かれたので、「あそこに座っている日枝(久)さんっていう編成局長だよ」って教えたら、レポート用紙に「火曜ワイドスペシャルやらせてください。30%とれなかったら、石田(弘プロデューサー)さんを彫刻の森(※)に飛ばしても構いません」って書いて、それを日枝さんに渡したのです。僕らは、どうリアクションするのかな…と思って見ていましたが、「ガハハハ!」って笑って、編成部長に「おーい、これやらせてやれ!」と言ってくれて、そうしたら部長がすぐに「おい港、これだけの予算でやれ」って、あっという間に決まったのです。もう「やったー!」って大喜びですけど、20%とらないとパート2はないから、そこから3カ月くらいで、全力で作って、幸いにして20%を超えました。そんなことを繰り返して2年間『火曜ワイドスペシャル』で4回やってからレギュラーになったので、足腰もだいぶ強くなっていたと思いますよ。
(※)…フジサンケイグループが運営する箱根彫刻の森美術館
――本当におおらかな時代を象徴するようなお話です(笑)
もうノリノリでしたね(笑)
○■深夜に新企画枠「来年4月、10月と新しい看板番組に」
――社長に就任されて「フジテレビ港賞」を創設されました。この狙いは、何でしょうか。
社員の自由なアイデアを募集するというもので、これは共同テレビの社長になったときに始めたものと同じです。テーマは3つありまして、1つ目は番組企画です。制作現場にいないとなかなか出す機会がありませんが、どのセクションでも考えている人は考えていますから。2つ目は、新規事業のアイデア。3つ目は、「こういうふうにしたら、いい会社になるのでは?」という会社への提案。共テレでは半年に1回実施して数十~100本くらいの企画が集まったのですが、必ず面白いものがありました。
その経験をもとに、フジテレビでも実施したところ、450本もの提案が集まりました。社員の3分の1が、考え抜いた企画を出してくれて、どれを最優秀にするか、うれしい悩みです。こうやって自由なアイデアがどんどん集まってくるのは心強いし、やっぱりみんなちゃんと考えているのだな、という手応えがありました。
――就任挨拶では、「まずは看板番組を作ることが大事だ」というお話もされていました。
これまで、『笑っていいとも!』『SMAP×SMAP』『めちゃイケ(めちゃ×2イケてるッ!)』『みなさん』とフジテレビを支えてくれた看板番組がありましたが、いつかは終わってしまいます。それが今なくなってしまっている状況なのですが、看板番組があって、そこを中心にテレビを見てもらえるわけですから、次の看板番組を作っていこうというのは当たり前の号令ですね。
そのためにどうしていくか。先ほど『みなさん』の例がありましたけど、あの番組はどこの土俵でも戦えるように単発のスペシャルを重ねて、『ザ・ベストテン』(TBS)という驚異の視聴率をとる番組の裏でも人気番組になることができたわけです。そうやって足腰を強くしてからゴールデンのレギュラーに出てほしいと思っています。この10月改編は、開局以来、初めて、GP帯バラエティの改編をゼロにしましたが、新しいヒットクリエイターや、新しい芽になる企画を生み出すために、深夜の6枠を「ストリームゾーン」と名付けました。ドラマとバラエティとアニメの新企画を投入していきます。土曜の午後帯にもバラエティの開発枠を作りましたから、ここでいい番組が出てきたら、育てて、来年の4月、10月と新しい看板番組になっていけばいいなと思います。
――「看板番組」というのは、ドラマだと大ヒットしても1クールで終わってしまうので、やはり息の長いバラエティを想定しているのでしょうか?
両方ですね。ドラマは3カ月で終わりますが、人気があればシリーズものになりますし、今おかげさまで大ヒットしている『ガリレオ』のように、映画化という展開もある。何か明確な根拠があるわけではありませんが、1つ看板番組が生まれると次が出てくるものなんです。
――やはり1つヒットすると社内でそれが刺激になるというのもあるのでしょうか。
そうですね。同じクリエイター同士のライバル心というのは絶対あるわけですから、「あいつが当てたのなら、俺だって」となって、ヒット番組が1個、2個と生まれていくものだと思います。
●生放送の帯バラエティが持つ「賑わいの力」
――来年1月に、お昼の情報番組『ポップUP!』を、バラエティの『ぽかぽか』に改編することを発表されました。帯番組の1月改編というのはかなりイレギュラーなことですが、この決断の背景は何でしょうか?
『ポップUP!』は、4月から出演者の皆さんもスタッフも頑張って作ってくれています。ただ、残念ながら期待していた結果に結びついていないので、やはり手を打たなければならない。『ポップUP!』は情報制作局が作っていますが、『バイキング』の最後の1年とこの半年、タイムテーブルの面積をたくさん持っている中で頑張ってくれました。もともとあそこは『笑っていいとも!』の栄光の枠ですから、次はバラエティ制作センターが満を持して「よし、やるぞ」というタイミングが来たということです。
――港さんは『夕やけニャンニャン』もやっていましたが、やはり帯の生バラエティが元気だと、局内の空気が活気づくものなのでしょうか?
そうですね。『夕ニャン』は平日の夕方、「おニャン子クラブ」の女子高校生たちが30人くらいフジテレビに通っていましたし、出演者はMCをはじめ、いろんなキャストの方たちの力を借りてやっていくわけですから、芸能事務所や広告代理店の方など、多くの人が集まってきて賑わいますよね。「賑わう」ってとても大事なことで、その番組だけではなく、派生して「新しいことをやろうか」と、次に広がっていきます。生放送の帯番組の人が集まる賑わいの力というのは、とても大きいと思っています。
それぞれの曜日を担当するクリエイターたちも、他の曜日と張り合いますし、タレントさんとつながりができて、「何か大きいことをやろうか」と、ここからも広がっていきますから、先ほど言った看板番組につながる可能性もとてもあると思っています。
――実際にそれを体験されてきたからこそ、期待が大きいんですね。
それと、こういう生のバラエティは新しいスターを作るという機能もあります。『オールナイトフジ』や『夕やけニャンニャン』から、女子大学生のオールナイターズや女子高校生のおニャン子クラブが出て、とんねるずもここからスターになっていきました。『いいとも』もそうですが、スターを生み出して一緒に育っていくというのは、番組を作る大きな意義の1つなのです。『ぽかぽか』もそういう番組になってほしいですし、そこを中心にいろんな番組に派生していくといいなと思っています。
そういえば、『ぽかぽか』のイントネーションはどっちなのか、ちょっと揉めていますよ(笑)
――最初の「ぽ」にアクセントが付くのか、平板なのか、ですね(笑)
「体がぽかぽかする」って言うし、「ぽかぽか陽気」とも言うじゃないですか。最初に現場から「『ぽかぽか』に決めました! 良いタイトルでしょ!」って自信満々で報告が来たから、「おお、いいなあ!」って言ったのですが、「ちょっと待て。アクセントはどっちに付けるのか?」って聞いたら、「えっ!?」となって。しばらく議論して、そのとき結論は出なかったのですけど、今は頭にアクセントが付く『ぽかぽか』が優勢です(笑)
――50歳以上の社員の早期退職募集を行いましたが、これによって若手・中堅にチャンスが巡って、活性化するという流れはありますか?
ネクストキャリア支援希望退職制度を実施して、今年3月、多くの仲間が去りましたが、彼らからバトンを渡されたという気持ちで、みんな奮起してくれています。もちろん若手・中堅のチャンスは増えていくと思いますし、増やしていこうと思っています。
――『ぽかぽか』の各担当曜日ディレクターも、若いスタッフの方が起用されることになると。
総合演出の(鈴木)善貴より若くなりますし、グループの制作会社に優秀なスタッフがいることは、自分も共テレにいたのでその力量が分かります。そういうチームも入れて、バラエティ制作センターとグループの力を結集してやっていきたいと思っています。
○■制作者に必要な“ブレーン”の存在
――「番組はいつか終わってしまう」というお話がありましたが、『久保みねヒャダこじらせナイト』が地上波のレギュラー放送を終了(17年9月)するときに、演出・プロデューサーの木月(洋介)さんに「この座組は絶対続けるべきだから守れ」とおっしゃったという話を聞きました。これは、どういう意図でお伝えされたのですか?
木月はバラエティのエースの1人で、サブカル的なことなどいろんなことを番組で取り入れています。その発想は、ブレーン的に一緒にやっている仲間がいるから生まれてくることもあるわけであって、それが久保みねヒャダの方たち(久保ミツロウ、能町みね子、ヒャダイン)なんですよ。僕はそれが分かっていたし、あのレギュラー番組は面白いと思っていたのですが、番組はいつか終わってしまう。でも、今はテレビだけじゃなくて出し方がいろいろあるので、「あのパッケージは絶対残せよ。お前のためでもあるし、フジテレビのためでもある」って強く進言しました。
彼は頑張ってお客さんを入れたライブイベントにしたり、コロナ禍になっても配信にしたりと、今もいろんな形で継続しています。この前、陣中見舞いに行ったら、あの3方に木月を入れた4人のパッケージで変わらずにやっていたので、「末永くお願いします」と言ってきました。
――やはり制作者にとって、そうしたブレーンになる人や番組の存在は大きいんですね。
必要なものだと思います。僕は『みなさん』を『火曜ワイスペ』で2年やってレギュラーになったときに、深夜で『オールナイトフジ』を同時にやっていたのが、すごく大きかったと思っています。
あの頃「3M」と呼ばれていた、宮沢りえさん、牧瀬里穂さん、観月ありささんには、『みなさん』に準レギュラーとして活躍してもらいました。その前に、まずは『オールナイトフジ』に出てもらって、とんねるずとの相性とか、度胸とかを見ました。そこで「とんねるず、好き? 『みなさんのおかげです』でコント作るから出る?」って聞いて、本人が「出たい!」って言うと、事務所も了承してくださるじゃないですか。だから、『オールナイトフジ』は、それはそれで存在感のある番組だった一方で、『みなさん』にとっては衛星=月みたいな部分もあったのです。大きな番組をやるクリエイターにとっては、そういう要素もやはり必要なものだと思います。
●得意なところで思い切り球を投げればいい
――長年にわたり絶対的な指標だった世帯視聴率の捉え方が大きく変わり、フジテレビさんは個人全体視聴率とコアターゲット(13~49歳男女)を重点指標に設定していますが、この流れはどのように捉えていますか?
僕らのときは世帯視聴率で20%とか30%で大ヒットという時代で、みんな、1ケタのときはもう穴があったら入りたいという気持ちになっていましたよ(笑)。全体の視聴率が下がってきている中で、なかなか世帯で数字が取れなくなってきている部分はありますが、やっぱり慣れ親しんだ数字でもあるし、過去との比較もしないといけないから、世帯視聴率も残しておいたほうがいいと思います。この間放送した、小泉孝太郎さんとムロツヨシさんの特番(9月28日放送『小泉孝太郎&ムロツヨシ 自由気ままに2人旅』)は、小泉元総理と孝太郎さんの親子初共演が大きな話題になって、世帯で14.7%(ビデオリサーチ調べ・関東地区)をとりました。そういう数字が出ると、こちらも勇気をもらえますよね。
一方で、視聴率というのは番組の力量を知る意味だけでなく、セールスの指標でもあるので、技術が進歩して誰が見ているのかがよく分かるようになってくると、CMを出稿してくださるスポンサーの皆さんは、個人全体、さらにコアという比較的若い世代の指標を大事にされます。おかげさまでフジテレビはもともと若い世代に親しまれてきた局なので、世帯や個人全体は少し足踏みしていますが、コアでは2位をとれているので、そういうところは大事にしていきたいと思っています。
ただ、面白いものを作れば、コアも全部含まれると思っています。番組を作るのに「コアを意識して」なんてことは関係なくて、わざわざ意識しなくてもそこを得意としてやってきたのだから、得意なところで思い切り球を投げればいいのではないかと。それに、タイムテーブルの多様性というのを考えたときに、お笑いばかりとか、ラブストーリーのドラマばかりでは飽きてしまいますよね。GP帯は4時間×7日間で28時間もあるので、うまく配分しながら、もともと得意だった若い人に向けた番組を思い切り作ればいいのでは?という話をしています。
――テレビ視聴に加え、TVerやFODと配信も拡大してきていますが、こちらへの期待はいかがでしょうか。
視聴者の皆さんも忙しいし、見るものもいっぱいあるから、せっかく作ったものがなかなか見てもらえなくなってきています。そういった状況の中で、TVerがあると見てもらえるチャンスが増えるので、とてもいいことですよね。おかげさまで、TVerなどで展開しているAVOD(広告付き無料配信)の再生数や視聴時間などは、局別で1~2位をとれています。若い人が積極的に見に来るところでこういう結果が出ていることは、フジテレビにとってとてもいいことだと思っています。FODも、民放の中で最初に始めた配信サービスですが、おかげさまでスマホアプリが2,000万ダウンロードを突破しましたし、TVerと合わせて、とても伸びしろがあると思うので、力を入れていきたいですね。
――地上波というビジネスが頭打ちとなり、配信が今後伸びていくという中で、この両者の将来的なイメージはどのように描いていますか?
やっぱり地上波放送収入は今でもシェアが大きいわけですから、そこは看板番組を作って今後も大きな柱としてやっていきます。それに加え、配信もそうですが、アニメ、イベント、映画、そしてどこかと組んでグローバルな展開というのも伸びしろがある。放送収入は日本経済の中でどこかで限界というものがありますが、それ以外は限界が分からないので、両立するような形でやっていきたいですね。
○■現代人の年齢は八掛け「56歳くらいの感覚でやっています」
――冒頭で古希というお話もありましたが、もっと若い人が社長をやるべきという声もあると思います。これについては、どのようにお考えですか?
まあ、社長ってそれぞれの会社でその時その時の事情があると思っています(笑)。冒頭で言ったように、三冠を現場で2回経験している僕が、社長としていろんな号令をかけたり、みんなと議論したりすることが、このタイミングとしては必要なことであると思います。
現代人の年齢は昔の年齢の八掛けくらいの感覚だと思っています。60歳だったら48歳、70歳だったら56歳くらい。自分は56歳くらいの感覚でやっています。
――いろいろお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。来年に向けて種をまいている状況だと思いますが、その期待のほどを最後に伺えましたら。
フジテレビは、もともと明るく楽しく元気な会社で、2回三冠をとっています。少し前にできたことが、今、できないわけはないだろうとみんな気づくと思いますし、それに向けた環境づくりが自分の仕事だと思います。番組作りが窮屈になっていたら社長としてそれを取り払うことが大事ですし、人間はモチベーションで動くので、そのために「港賞」とか、各現場の陣中見舞いとか、ちょっとしたことですが、社員・スタッフのモチベーションが上げられるようにと考えています。みんながモチベーション高くやってくれれば、来年にはきっといろんなことが起きていくだろう、と期待しています。
●港浩一1952年生まれ、北海道出身。早稲田大学卒業後、76年にフジテレビジョン入社。人事部に配属後、79年にバラエティ制作部門に。『オールナイトフジ』『夕やけニャンニャン』などのディレクターを経て『とんねるずのみなさんのおかげです』『とんねるずのみなさんのおかげでした』総合演出・プロデューサーを00年まで担当。その後、バラエティ制作担当局長、常務取締役などを経て、15年から共同テレビジョン社長。22年6月、フジテレビ社長に就任。