2022年10月09日07時00分 / 提供:マイナビニュース
●「写真を撮らせて欲しい」と言い出すまで、2年近くかかった
テキヤと聞いて真っ先に思い浮かぶのは、香具師の「寅さん」の口上だろうか。古くから縁日や花火大会などの会場に立ち並ぶ、色鮮やかなテントの数々。軒先の「お好み焼き」やそこで働く人たちのリアルな姿を、10年以上に渡って記録した写真を展示した写真展「TEKIYA 的屋」が、東京・六本木の禅フォトギャラリーにて開催されている。「写真を撮りながら、今でもテキヤで働いている」という韓国人フォトグラファーの梁丞佑(ヤン・スンウー)に話を聞いた。
梁は、新宿・歌舞伎町を居場所とする人々をモノクロームのスナップショットで捉えた『新宿迷子』(禅フォトギャラリー)で、「木村伊兵衛賞」と並び写真界の直木賞と称される第36回「土門拳賞」を、2016年に外国人フォトグラファーとして初めて受賞。2017年には横浜の寿町を舞台に撮影した写真集『人』(同)を刊行し、同年パリのinbetween galleryにて個展を開催するなど、国際的にも活躍の場を広げている写真家だ。そしてこのほど、日本人でもあまり馴染みのないテキヤの世界を、内側から捉えた写真集『TEKIYA 的屋』として出版した。ギャラリーには写真集から抜粋した30点ほどのカラープリントが展示されている。
――『TEKIYA 的屋』の写真を撮り始めたきっかけは?
来日してから写真の専門学校に通って、大学院も修了した後、留学ビザから芸術ビザに変えたんですよ。でも芸術関係の仕事なんて一切ないし、コンビニのアルバイトもできなくて。後に「新宿迷子」として出版した写真集をいろんな出版社に持ち込んでも、「いや、うちではちょっと困りますね」と断られてしまって。その頃は「油田探し」のアルバイトをしてました。コンゴやインドネシア、マレーシアあたりを行ったり来たりしていたんです。でも油田探しのバイトは年に1回あるかないか。他にも働き口がないか、韓国人留学生がよくチェックする求人サイトを探してたんです。
――もともと日本のテキヤに興味があったんですか?
日本のお祭りには屋台がたくさん出ていて、面白そうだなぁと思っていたんです。「酉の市」では新宿の「花園神社」周辺にたくさん並ぶし、田舎の小さな神社の夏祭りにも出てますけど、韓国にはああいう感じの屋台はあまりないんですね。そんなときに見つけたのが「屋台で簡単な食べ物を売る」仕事。日当1万5000円。電話したら即決で。基本的にいつも人手が足りないから、求人条件も緩いんですよ。テキヤのバイトだったらお金ももらえるし、写真も撮れて一石二鳥だなって。バイト先の店は社長が関東近郊をいろいろ回っている人で、最初に行ったのは千葉の花火大会の「唐揚げ屋」。そしたら花火が打ち上がる前に唐揚げが全部売り切れちゃって、「オレはこの仕事に向いてるぞ!」ってその気になったんです(笑)。
――売り切れたのはヤンさんのトークが上手いから?
いや、当時はそこまで上手くしゃべれなかった。
――では、なぜ?
そりゃあ、顔がいいからでしょう(笑)。当時のテキヤの人たちは、歯が溶けちゃってて、顔つきも怖かったりして、お釣りを渡すときも「めんどくさいなぁ」って感じの接客だったんだけど、自分の場合は愛想よく「いらっしゃいませ!」って言うし、顔も優しいから(笑)。
――実際に『TEKIYA 的屋』の写真を撮り始めたのはどのタイミングですか?
テキヤのバイトを始めてからもう11年くらい経つんですけど、実際に撮っているのは8年くらい。実は「写真を撮らせて欲しい」と言い出すまでに、2年近くかかりました。最初は仕事を覚えるのに必死だったし、仲が良い人たちには「本業は写真をやってるんだけど」って話してはいたけど、自分としてもある程度ちゃんと仕事ができるようになった上で撮りたかったから。だって、仕事もできないヤツが忙しいのに写真なんか撮ってたら、怒られちゃうじゃないですか。
――そこは、ちゃんとわきまえられていたんですね。
はい。唐揚げ屋のあとすぐにお好み焼き屋になって、焼きそば屋も経験しました。ちなみにこの「広島風お好み焼き」の写真(下)は、私が自分で焼いたヤツです(笑)。
――すごく美味しそうですし、見た目も綺麗ですよね。一つおいくらなんですか?
場所によっても変わるんだけど、だいたい1個500円とか600円くらいかな。「お好み焼き」が一番売上げがいいんですが、作るのも難しいんですよ。テクニックが必要なんです。「売り上げナンバーワン」になって、ちゃんと一人前のテキヤになってから、社長にお願いして写真を撮らせてもらうことにしたんです。2年もやっているうちに周りのみんなともだいぶ仲良くなってたし、社長は「お前に店を2、3軒やるから、本業でやれよ」って誘ってくれたんですけど、「いや、さすがにそれは……」って(笑)。
――2年経った時点でテキヤのバイトは一度ストップして、「写真だけ撮らせてほしい」とはならなかったわけですね。
だってお金が必要だから(笑)。今度の月曜日も、来週の日曜日も手伝いに行きますよ。コロナ禍で全国のお祭りが中止になって、テキヤはほぼ3年間休業状態だったから、みんな他の仕事に移ってしまって人手が足りないみたいで「お願いだから来てくれ」って頼まれて。
――テキヤの仕事は一年中あるわけではないんですね。
お正月の三が日が終わると一旦落ち着いて、桜が咲くと「お花見」。「夏祭り」とか「秋祭り」なんかの会場も回ります。閑散期はみんなも建築現場で働いたりとかしているみたいです。
――ヤンさんはテキヤのバイトだけで生活していけるくらい稼いでいたんですか?
売り上げは多かったんだけど、日当だったからね。やっぱりそれだけでは生活できなかった。それで建築現場の仕事をやったり、カーペットを張る仕事をしたり。建築現場に行くと人手が足りないから、すぐ誘いが来るんですよ。「ヤン、お前動けるなー」「一緒にやろう!」って。でもそうすると、今度は撮りたいときに写真が撮れなくなっちゃうでしょ。だから今でもテキヤのバイトを続けているんです。
――仕事が忙しいと写真が撮れないし、でも稼ぎも欲しいし……と(笑)。
そう。しかも僕のバイト先のお好み焼きは人気で、すぐに長蛇の列ができちゃうから、仕事中はなかなか写真が撮れなくて。どうしても、後片付けとか裏側を撮るのがメインになっちゃいますよね。でも、本来そういうのが撮りたかったわけだから別にそれは問題ない。ちょっと余裕があるときに「今だな」と思ったら店の外に出て、パチって撮ったりしていますね。
――歌舞伎町が舞台の『新宿迷子』や寿町が舞台の『人』など、ヤンさんの作品はモノクロ写真が多い印象がありますが、『的屋 TEKIYA』の写真をカラーで撮影している理由とは?
昔のモノクロの写真は全部フィルムで撮ってたけど、今はほとんどデジカメで。しかも一眼レフじゃなくて、小さいコンデジで撮っているんですよね。お好み焼きの粉や油がはねて汚れるから、いつもゴミ袋みたいなものをカメラにかぶせてその辺に置いておくんだけど、そうするとみんなゴミだと思って捨てちゃうんですよ。だから最悪捨てられちゃってもショックじゃないくらいの値段のカメラを使うようにしています。
●オレたちは人からものを盗むんじゃなくて、ちゃんと働いてモノを売ってる
――テキヤって、傍からみると祝祭的な華やかな面もあれば、ちょっと怖いイメージもある不思議な存在だと思うのですが、実際にテキヤの世界に飛び込んでみて感じたことは?
やっぱりその筋の人たちはみんな厳しいんですよ。でもうちらみたいなバイトには優しいんです。上まで辿っていけば、ヤクザの組長だったりもするんですけど、現場で一緒に働いてる人たちは、彼らの下の下の人たちだから、「オレたちは人からものを盗むんじゃなくて、ちゃんと働いてモノを売ってるだけだから大丈夫だよ」って。今回の写真集が出来上がって、バイト先の社長に「できました!」って5冊くらい持っていったら、すごく喜んでくれて。
――仕事以外の時間も一緒に過ごすことはあるんですか?
写真にも写っているけど、仕事が終わると「お疲れ~」ってみんなで一緒に飲みに行ったり、麻雀をやったりすることもありますよ。
――襲名披露の写真もありましたが、どうやって撮れたんですか?
普通に「撮りたいです」ってお願いしたら、「じゃあちょっと上の人に聞いてみるよ」って。
――たとえ興味はあっても、いざ撮りに行くとなると、怖くはなかったですか?
いや、撮らせてもらえて嬉しかったですよ。でも不思議と上の上の人を辿っていったら、歌舞伎町を撮っていたときにお世話になった人と、同じ組の人だったんです。それからはもっと撮りやすくなりましたね。
――テキヤを巡る時代の変化を、肌でどう感じていますか?
うちのバイト先の人はもともとお金があったんで、辞めていった人たちの場所や道具を抑えて吸収して、どんどん勢力拡大しているみたい。でも地域によって住み分けがあって、うちは関東エリアが中心で、60年前からずっと千葉や茨城、東京近郊の同じ場所を回ってる。
――何人ぐらいいるんですか?
それはオレも知らない。「今日の現場はここですよ」って言われて、そこに行くだけだから。
――テキヤの世界に入って一番驚いたことはありますか?
うちの店はそんなことないけど、ネタの鮮度があまりよくないところも中にはあるんです。そういうのを目にするとやっぱりショックを受けますね。テキヤの世界がどんなところが気になって、70歳80歳くらいのおじいさんたちによく質問するんですけと、そうすると、嘘かホントかよくわからないような逸話を、いろいろ教えてくれるんです。「金魚すくい」の店のおじいちゃんが言ってたんですが、2、3日して元気がなくなった金魚の水槽に薬を一滴たらすと、一斉に息を吹き返すらしいんですよ。多分、変な薬が入ってる(笑)。
――現時点での集大成となる写真集『TEKIYA 的屋』も完成しましたが、今後の予定は?
テキヤに関しては、一旦これで一区切りついたかなぁと思っていたんですが、きっとなんだかんだ言ってもテキヤでバイトしながら、これからもずっと撮り続けると思います(笑)。
梁丞佑(ヤン・スンウー)
1966年生まれ、韓国出身。1996年に来日し、日本写真芸術専門学校と、東京工芸大学芸術学部写真学科を卒業。その後、同大学院芸術学研究科を修了し、日本を中心に活動する。2016年に禅フォトギャラリーより刊行した写真集『新宿迷子』にて、新宿・歌舞伎町の街を居場所とする人々をモノクロームスナップショットで記録し、土門拳賞を受賞。2017年には同じく禅フォトギャラリーより写真集『人』を刊行した。同年パリのinbetween galleryにて個展を開催するなど、近年は国際的にも活躍の場を広げている。その他の写真集に『君はあっちがわ 僕はこっちがわ』(2006年、新風舎)、『君はあっちがわ 僕はこっちがわ II』(2011年、禅フォトギャラリー)、『青春吉日』(2012年、禅フォトギャラリー)、『青春吉日』新装版 (2019年、禅フォトギャラリー)、『The Last Cabaret』(2020年、禅フォトギャラリー)、『ヤン太郎 バカ太郎』(2021年、禅フォトギャラリー)などがある。