田中郷の領主・田中氏の居城であった田中城は、泰山寺野台地から舌状にのびる支丘の先端部に築かれた中世末期の山城で、現在も上寺(うえでら)区西側の山間部にその遺構を残しています。主郭があったと推定される曲輪の標高は220m、平地との比高差はわずか60mで同時期の山城と比べて標高の低い場所に位置していますが、城域の要所に堀切、土塁、武者隠しなど外敵を防ぐための遺構が見られ、相当の規模を誇る城郭であったことがうかがえます。元亀元年(1570年)4月、織田信長は越前の朝倉義景を討つため「田中の城」に逗留したと「信長公記」に記されており、この軍勢には後の豊臣秀吉、徳川家康も参加していました。その後、浅井長政の勢力下に置かれた田中城は元亀4年(1573年)に信長の手によって攻略され、明智光秀の支配を受けて終焉を迎えますが、田中氏の流れをくむ田中吉政は、秀吉、家康に相次いで仕え、三河国岡崎城主、筑後国柳川城主として城下町の建設・整備に手腕を発揮したことで現在も称えられています。
田中城跡の詳細情報
名称 | 田中城跡 |
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よみがな | たなかじょうせき |
住所 | 〒520-1217 滋賀県高島市安曇川町田中 |
地図 |
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電話番号 |
0740-33-7101
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最寄り駅 | |
最寄り駅からの距離 | 安曇川駅から直線距離で3270m |
ルート検索 | |
アクセス | JR安曇川駅から上寺・田中線バスで「上寺」下車、山城入口まで徒歩約5分(山城の往復所要時間約90分) |
標高 | 海抜212m |
マップコード | 263 583 132*87 |
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