旬のトピック、最新ニュースのマピオンニュース。地図の確認も。

【国立映画アーカイブ】展覧会「没後50年 映画監督 田坂具隆」開催のお知らせ

2024年08月14日14時15分 / 提供:PR TIMES

[画像1: https://prcdn.freetls.fastly.net/release_image/47048/815/47048-815-985b0ab00ab351fe6f9657f900bb4c17-1000x999.jpg?width=536&quality=85%2C75&format=jpeg&auto=webp&fit=bounds&bg-color=fff ]
『湖の琴』(1966年) 撮影スナップ (左から 二世中村鴈治郎、田坂監督、佐久間良子) 午牛会所蔵

 日本映画の豊かな歴史を眺めた時、名監督田坂具隆(ともたか)(1902-1974)の名を忘れることはできません。1926年に『かぼちゃ騒動記』でデビューした田坂は、やがて『真実一路』(1937年)、『路傍の石』(1938年)といった文芸作品でヒューマニズムに溢れる作風を確立、内田吐夢とともに日活多摩川撮影所の全盛期を築きました。また、『五人の斥候兵』(1938年)からは迫真性と人間味に満ちた戦争映画の作り手としても名を轟かせます。
 1945年8月、田坂は広島で被爆し数年の闘病を余儀なくされますが、再起後は数々の撮影所で石原裕次郎・中村錦之助・佐久間良子らスターの育成に力を注ぎつつ、『女中ッ子』(1955年)、『陽のあたる坂道』(1958年)、『ちいさこべ』(1962年)、『五番町夕霧樓』(1963年)など幾多の名作を残しました。
 こうした輝かしい作品群を誇りながらも、田坂は長らく再評価の機会に恵まれてきませんでした。しかし、小さきもの、弱きものに一貫して寄り添うその作風は、篤実に生きようとする人々へのエールに満ちており、続けざまの災厄に苛まれ、社会の不寛容さが増すこの時代にこそ強く輝くはずです。没後半世紀となる本年、当館は田坂をめぐる書籍の刊行に連動して、関係者より提供された貴重な資料を公開する初の回顧展を行うとともに、監督作の特集上映も開催いたします。人間の「善」を誠実に信じた田坂を通じて、映画とその向こう側にある人間の生を見つめ直す機会となるでしょう。

見どころ

- 没後半世紀を迎えて開催される、初の大規模回顧展
映画史に名を残す作品を多く手がけ、石原裕次郎や佐久間良子といったスターからも深い尊敬の念を集めた名匠でありながら、田坂具隆は長らく再評価の機会を逸し続けてきました。没後半世紀の節目を迎えて催される本展覧会は、田坂の多大なる功績を取り上げる、初の大規模回顧展です。
- 田坂具隆にまつわる貴重資料が各方面から一堂に集結
田坂具隆は常にスタッフや俳優を大切にしてきました。今回は、本人が映画の製作現場で携えた使用台本や、家族ぐるみの付き合いがあった俳優・映画監督の小杉勇の旧蔵資料を筆頭に、多くの関係者が手許に残してきた貴重な展示品約170点が、多方面から一堂に会します。
- 会期中には大規模な上映企画も開催
10月8日(火)から20日(日)、11月5日(火)から24日(日)には、同じタイトルの大規模な特集上映も開
催いたします。田坂の全現存作品に加えて、瀧花久子・内田吐夢・伊奈精一・小杉勇といった田坂ゆかりの人々が関わった作品も含めた全40作品のプログラムは圧巻です。
- 展覧会の理解が深まる新刊関連書籍にもご注目
会期中には、田坂の発言・著作や関係者たちの証言を集成した『ぐりゅうさん 映画監督田坂具隆』(笹沼真理子・佐崎順昭・佐藤千紘編、国書刊行会発行)も刊行予定です。展覧会の理解が深まる関連書籍にもぜひご注目ください。

展覧会の構成

第一章 小さきものへの眼差し 明治~昭和初期の子どもたち
田坂具隆は、自作において常に「小さきもの」を描いてきました。その対象は決して少年や少女にとどまらず、社会の周縁に生きる無告の人々、あるいは野の草花など、スクリーンの周縁で軽視されがちな細やかなものに視線を注いでいます。本章では、日活多摩川撮影所で活躍した若き日の田坂具隆にとって転機となった『真実一路』(1937年)や『路傍の石』(1938年)、さらに現在ではフィルムが失われた『母子草』(1942年)といった作品に描かれる「小さきもの」の系譜をたどります。

[画像2: https://prcdn.freetls.fastly.net/release_image/47048/815/47048-815-fdd487e030f60cd65ae294fb6361a142-724x1000.jpg?width=536&quality=85%2C75&format=jpeg&auto=webp&fit=bounds&bg-color=fff ]
『路傍の石』(1938年)ポスター 国立映画アーカイブ所蔵

第二章 戦争と人間と
『五人の斥候兵』(1938年)と『土と兵隊』(1939年)の成功によって、迫真性と人間味に満ちた戦争映画の一面を切り拓いた田坂具隆は、厳しい時局下においても精力的に作品を発表します。一方で、郷里の広島で原子爆弾の惨禍に遭い、後遺症で死線をさまようなど、その人生は戦争によって大きく翻弄されました。戦後は1950年に『ビルマの竪琴』の映画化をいち早く構想しましたが断念、しかし被爆地長崎を舞台にして『長崎の歌は忘れじ』(1952年)を製作するなど、戦争と平和に実直に向き合い続けました。

[画像3: https://prcdn.freetls.fastly.net/release_image/47048/815/47048-815-044bd12ff7e83a4d5126c2b65713692a-749x1000.jpg?width=536&quality=85%2C75&format=jpeg&auto=webp&fit=bounds&bg-color=fff ]
『土と兵隊』(1939年)「現地撮影スチール展」ポスター 国立映画アーカイブ所蔵(小杉勇コレクション)

第三章 小さきものへの眼差し 戦後の子どもたち
広島での被爆と闘病を経て、1949年の『どぶろくの辰』で戦後の監督人生をスタートさせた田坂具隆は、戦前にも増して「小さきもの」へのまなざしを注ぎ続けました。そこには子どもたちこそ戦禍の一番の犠牲者であるという思想が通底しています。本章では、少年を主人公とした『雪割草』(1951年)、再度の闘病を経て本格的な復帰作となった『女中ッ子』(1955年)、未完に終わった『夕刊小僧』(1953年)などの作品資料や衣裳・小物を通じて、田坂具隆が描いた戦後の子どもたちを見つめます。

[画像4: https://prcdn.freetls.fastly.net/release_image/47048/815/47048-815-45e5911cf5c2335e39eb660270610c62-2901x1000.jpg?width=536&quality=85%2C75&format=jpeg&auto=webp&fit=bounds&bg-color=fff ]
『雪割草』(1951年)プレス資料 午牛会所蔵

第四章 文芸映画にみる戦後の再生
被爆後、苦しい闘病生活を送った田坂具隆が病床で読み深い感銘を受けた作品が、吉川英治の小説『親鸞』でした。それから十数年経った1960年、彼はその映画化に着手し、重厚な二部作を完成させます。このほかにも、田坂具隆は石坂洋次郎、山本周五郎、水上勉といった人気作家のベストセラー小説を続々と映画化し高い評価を得ました。これらの作品では、石原裕次郎、中村錦之助、芦川いづみ、佐久間良子といった若手スターや新進脚本家の鈴木尚之を積極的に登用し、彼らにとっても新境地となりました。

[画像5: https://prcdn.freetls.fastly.net/release_image/47048/815/47048-815-458b62ab47d2d5ebdaa5fc3e605c4b86-713x1000.jpg?width=536&quality=85%2C75&format=jpeg&auto=webp&fit=bounds&bg-color=fff ]
『乳母車』(1956年)田坂監督使用台本 本地陽彦氏所蔵

第五章 ひと・暮らし
長く映画界で活躍した田坂具隆の周りには、多くの映画人が集いました。彼の生涯の伴侶で作品の常連俳優だった瀧花久子や、同年代の監督として共に映画界を渡り歩いた内田吐夢や伊奈精一にとどまらず、公私にわたって交友を重ねた俳優・映画監督の小杉勇、さらには伊奈精一の妻で結髪師として活躍した伊奈もとなど、その存在は枚挙に暇がありません。また、「小さきもの」へのまなざしを注ぎ続けた作品同様に、私生活でも民芸品や郷土玩具を蒐集し、ときには自らの映画の小道具として使用しました。本人やゆかりのある映画人に関連した資料から、田坂具隆の人となりに迫ります。
[画像6: https://prcdn.freetls.fastly.net/release_image/47048/815/47048-815-78bb3c6c62ea23f7b1019c0fcbb8c5ba-1000x838.jpg?width=536&quality=85%2C75&format=jpeg&auto=webp&fit=bounds&bg-color=fff ]
田坂具隆(1937年) 小杉家所蔵
[画像7: https://prcdn.freetls.fastly.net/release_image/47048/815/47048-815-61ee07a301d0d1077474f563a7c351bd-1000x839.jpg?width=536&quality=85%2C75&format=jpeg&auto=webp&fit=bounds&bg-color=fff ]
瀧花久子(1937年) 小杉家所蔵

関連上映企画

本展覧会と関連した上映企画を開催いたします。

「没後50年 映画監督 田坂具隆」
会期:2024年10月8日(火)- 20日(日)、11月5日(火)- 24日(日)
会場:国立映画アーカイブ 長瀬記念ホールOZU(2階)

トークイベント

ゲストを招いたギャラリートークや当館研究員による展示品解説を開催いたします。
※各イベントの詳細は、後日ホームページ等でお知らせいたします。

戦争と子どもと 田坂具隆の二つの幻の企画
開催日:2024年9月21日(土)
講師:佐藤千紘氏(映画研究者)
場所:展示室ロビー(7階)
田坂が監督するはずだった『ビルマの竪琴』や撮影中断となった『夕刊小僧』を含め、再起に賭ける戦後の苦闘期を中心に田坂の仕事を振り返ります。

企画の見どころと展示品解説
開催日:2024年10月19日(土)
講師:笹沼真理子氏(午牛会代表)、佐崎順昭(当館客員研究員)、
場所:展示室内(7階)
田坂の没後50年の日となる10月17日を受けて、展覧会の見どころと主要な展示品を解説します。

音声資料紹介「岸松雄が語る田坂具隆」
開催日:2024年11月16日(土)
解説:佐崎順昭(当館客員研究員)
場所:展示室ロビー(7階)
1975年9月25日、映画評論家岸松雄が、旧フィルムセンターで『路傍の石』が上映された際に田坂の経歴や思い出を語った貴重な音声を公開します。

関連書籍 新刊

『ぐりゅうさん 映画監督田坂具隆』
[編]笹沼真理子・佐崎順昭・佐藤千紘
[発行]国書刊行会
[刊行予定]2024年10月
ISBN:978-4-336-07654-0 
A5判上製・約620頁 予価:8,000円+税

開催概要

企画名:没後50年 映画監督 田坂具隆
(英題 / Film Director Tomotaka Tasaka)
主催:国立映画アーカイブ
協力:午牛会
会期:2024年9月7日[土]- 11月24日[日]
休室日:月曜日
開室時間:午前11時-午後6時30分(入室は午後6時まで)
*9/27、10/25の金曜日は開室時間を午後8時まで延長いたします。(入室は午後7時30分まで)
会場:国立映画アーカイブ 展示室(7階)
アクセス
:東京メトロ銀座線京橋駅下車、出口1から昭和通り方向へ徒歩1分
都営地下鉄浅草線宝町駅下車、出口A4から中央通り方向へ徒歩1分
東京メトロ有楽町線銀座一丁目駅下車、出口7より徒歩5分
JR東京駅下車、八重洲南口より徒歩10分
料金
:一般250円(200円)/大学生130円(60円)/65歳以上、高校生以下及び18歳未満、障害者手帳をお持ちの方(付添者は原則1名まで)、国立映画アーカイブのキャンパスメンバーズは無料
*料金は常設の「日本映画の歴史」の入場料を含みます。
*( )内は20名以上の団体料金です。
*学生、65歳以上、障害者手帳をお持ちの方、キャンパスメンバーズの方は入室の際、証明できるものをご提示ください。
*国立映画アーカイブが主催する上映会の観覧券(オンラインチケット「購入確認メール」またはQRコードのプリントアウト)をご提示いただくと、1回に限り団体料金が適用されます。
*2024年11月3日(日・祝)「文化の日」は、無料でご覧いただけます。
お問合せ:050-5541-8600(ハローダイヤル)
HP:https://www.nfaj.go.jp/exhibition/film-director-tomotaka-tasaka2024/

企業プレスリリース詳細へ
PR TIMESトップへ

続きを読む ]

このエントリーをはてなブックマークに追加

あなたにおすすめの記事

リリースカテゴリのその他の記事

地図を探す

今すぐ地図を見る

地図サービス

コンテンツ

電話帳

マピオンニュース ページ上部へ戻る