旬のトピック、最新ニュースのマピオンニュース。地図の確認も。

平成のアイドル史を総ざらい! モー娘。ももクロ、AKB…アイドル冬の時代から現在に至るまでの30年を徹底的に解説【話者:久田将義・南波一海・吉田豪】

2019年02月12日11時30分 / 提供:ニコニコニュース

 今年の春で平成も終わりを迎えます。久田将義氏と吉田豪氏がパーソナリティをつとめるニコニコ生放送「タブーなワイドショー」。今回の特集は「平成のアイドル史振り返り」です。

 ゲストに音楽ライターの南波一海氏を迎え、昭和後期から現在までの平成の時代に活躍したアイドルの歴史について語りました。吉田氏は、平成アイドルは「AKBでビジネスとして大きなものになって、ももクロのおかげで地下もどんどん増えてジャンルとして面白くなった」と語りました。
左から久田将義氏、南波一海氏、吉田豪氏。
―あわせて読みたい―

アイドルソングの“いい下手さ&悪い下手さ”について吉田豪らが提言「スキル主義もわかるけど、アイドルの魅力はそこじゃない」

『アイドル』はジャンルか、はたまた概念か…「アイドルっていったい何なんだ?」を紐解く――吉田豪×ロマン優光×久田将義
平成アイドルの歴史――「おニャン子クラブ」以降がアイドル冬の時代だった
吉田:
 平成は30年以上あって長いから簡単には説明できないんですけど、この年表でいえばまず『夕やけニャンニャン』【※】が平成じゃないですからね。アイドルの歴史でボクがよく言うのが、もともと昭和のアイドルというのは、不良が権力を握っていた時代がずっと長くて、コンサート会場でもテレビの公開収録とかでも親衛隊が現場を制圧していたんですよ。問題になるオタは不良が排除していた時代があって、おニャン子クラブの時期がそのピークで、その後にアイドル冬の時代が訪れるわけです。

※夕やけニャンニャン
バラエティ番組、通称『夕ニャン』。1985年4月1日~1987年8月31日にかけて放送された。番組内の「アイドルを探せ」というコーナーのオーディションに合格した女性は「おニャン子クラブ」としてデビューし、レコードはオリコンウィークリーランキングの上位常連となった。新田恵利や国生さゆり、城之内早苗、渡辺美奈代、渡辺満里奈、工藤静香、生稲晃子などのメンバーは、現在も芸能界で活躍している。

 小泉今日子が『なんてったってアイドル』でアイドルのネタバラシ的なことをやって、おニャン子がアイドル幻想を破壊するようなことをやって、要は秋元康によってアイドル冬の時代が訪れ、不良がアイドル現場から離れていった。そして、カメラ小僧とか、今につながるいわゆるインターネット的な人種、当時は同人誌文化とかですけど、そういう人たちがファンの中心となる時代になって、しばらく下火だったのが、モーニング娘。【※1】でブームが一回高まり、それが落ち着いた頃にAKB【※2】でさらにドカンときて、客層がもう一回変わる時代がくる。

 その時代まで、まだおニャン子でアイドルを追っていた40歳ぐらいの人たちが客層の中心だったんですよ。ファンの高齢化が深刻になっていたところで、AKB効果でピンチケ【※3】と呼ばれる若い層が入ってきた。ところが、ピンチケって呼ばれるている中には常識のない人も多くて、それまでのアイドルオタとはかなり違ってトラブルも増えてきた。そして、それまでは収入は全部アイドルのために使って自分の身だしなみとか気にしない人が多かったのが、AKBの握手会とかで、まずトイレで握手の前に髪の毛を整えていいにおいさせてみたいな、アイドルを付き合える対象と認識している人が、そこで増えたんです。

※1モーニング娘。
女性アイドル・ボーカル&ダンスグループ。ほぼ全楽曲の作詞・作曲を同グループの生みの親でサウンドプロデューサーのつんく♂氏が手掛ける。過去には『NHK紅白歌合戦』に10年連続出場した。

※2AKB
AKB48。秋葉原に専用劇場を持ち、「会いに行けるアイドル」をコンセプトとして日替わりメンバーで、ほぼ毎日公演を行うことを特徴としている。公演は全てオリジナル曲で行われ、一部の楽曲を除き、総合プロデューサーの秋元康氏が作詞をおこなっている。

※3ピンチケ
AKB48劇場で販売される中高生向けのピンクのチケット(一般男性は青色のチケット)のこと。 中高生は、学生証を見せることで3100円の公演を1000円安い2100円で見られる。

 実際にそれでピンチケとアイドルが付き合うケースも増えたし、若いファンが地下アイドル現場にも流れてきてシーンが活性化されたのはいいことだけど、ファンとの恋愛トラブルとか現場での暴力沙汰とかも増えてきて。だから親衛隊以来、またアイドル現場が不良の時代になったとも言えるんですよ、ある意味。

久田:
 今も?

吉田:
 そうですね。ピンチケの悪いやつが各地に流れていったことによって。

久田:
 不良って、本当の不良ってこと?

吉田:
 そんなに本格的な不良じゃないんですけど、要はアイドルはヤンキー文化のものだったのが、またある意味ちょっとヤンチャなやつらが暴れる世界になってきた。要は最前列を確保するために他のおとなしい客をぶん殴ったりとか、そういうやつらがアイドル現場で出てきて、それまでの草食的な人たちとの激突というか溝がどんどんできているのが現在ですね。

久田:
 面白い。
90年代は歌手だけじゃなく、グラドルや女優がCDを出すことが多かった
南波:
 歌手のアイドルみたいな、歌うアイドルみたいなものの一方で、それこそグラビアアイドルみたいなのが広まっていったのが……。

吉田:
 平成ですね。アイドルって、もともと歌手デビューしたというかシングルの発売日をデビューの日づけにするルールだったのが、その辺が曖昧になってくるんですね。グラビアでずっと活動してきた人が、かなり経った段階でCDを出すとかで。

南波:
 そうそう。

吉田:
 歌手デビューがそんなに大きな意味を持たなくなってきて、そもそも歌手デビューしないとかも出てきた。

久田:
 それもアイドルか。

吉田:
 そうです。昔はレコ大【※】がもっと重要な時代だったから、何月何日デビューから何月何日デビューまでが新人賞の対象とか、いろいろ厳密だったのが、レコ大の権威もなくなっていって、グラドルが何となくCDを出す時代、女優が何となくCDを出す時代っていうのが、アイドル冬の時代の別の一面でもあるんですよ。

※レコ大
日本レコード大賞。スポーツ紙を含む各新聞社の記者が中心となって決定する賞である。主催は公益社団法人日本作曲家協会、後援はTBSであり、受賞の様子は『輝く!日本レコード大賞』としてTBSテレビ・TBSラジオとその系列局によって放送される。

久田:
 グラドルのCDって誰がいます?

南波:
 だから、それこそ雛形あきこがaccessの浅倉大介プロデュースでCD出すとか。
雛形あきこ『笑顔の予感』
(画像は笑顔の予感 | 雛形あきこAmazonより)
 僕が高校生の時は、それこそ内田有紀とか。
内田有紀『TENCAを取ろう!』
(画像はTENCAを取ろう!ー内田の野望ー Amazonより)
吉田:
 歌手・内田有紀は最高でしたよ。

久田:
 内田有紀歌うまかったですよね。

吉田:
 誠実な感じの歌声で、いい女優ソングでしたね。(コメントを見て)広末涼子も、もちろんそうですよ。

久田:
 『MajiでKoiする5秒前』はよかったですよね。
広末涼子『MajiでKoiする5秒前』
(画像は MajiでKoiする5秒前 | 広末涼子Amazonより)
南波:
 あと何となくですけど、鈴木蘭々とかもアイドル枠だった気がします。
鈴木蘭々『泣かないぞェ』
(画像は泣かないぞェ | 鈴木蘭々Amazonより)
吉田:
 デビューアルバム最高!

南波:
 そういう女優とも違うぐらいの、あの辺りの人たちが歌を出すみたいなのが、結構多かった気がしますね。CoCo【※】とかの解散がその辺かな、それとクロスフェードするみたいな感じで、そっちが出ていったような印象はありますけどね。

※CoCo
1989年、フジテレビのテレビ番組『パラダイスGoGo!!』内の乙女塾から誕生した、女性アイドルグループ。当初メンバーは5人だったが、1992年に瀬能あづさが脱退し、その後は4人で活動を続け、1994年に解散。

CoCo『夏の友達』
(画像は夏の友達 | CoCoAmazonより)
吉田:
 今、コメントに『泣かないぞェ』って単語がいっぱい並んでいますけど、鈴木蘭々の『泣かないぞェ』はタイトルのせいでみんな半笑いになっていまでもいじられてるんですけど、大人が付けたひどいタイトルかと思ったら本人作詞で。「何だこれ?」って思いがちなんですけど、あれ実はものすごい重い歌詞なんですよ。
生放送のコメントに「泣かないぞェ」というコメントが寄せられた。
 鈴木蘭々の家庭、お兄ちゃんがちょっと病気持ちで、外に出られないぐらいの状態で、若くして亡くなっちゃって、それを踏まえて私は自由にやらなきゃみたいな感じのことを歌ってるんですよ。どんなにつらいときもパンチでいくぞ、だから『泣かないぞェ』っていう、本当にすごい泣ける歌詞なんですよ。

 ところが、普通にやれば泣ける歌詞なのに、つい最後に照れなのか“ぞェ”をつけちゃったせいで、みんなに笑われ続けているという。

一同:
 (笑)

南波:
 筒美京平プロデュースでね。すばらしかったんですけどね。90年代半ばですよね。

吉田:
 そうです。楽曲最高! 広末涼子もよかったですよ。売れる前の椎名林檎とかが曲を書いていて……。ただ、2000年代後半ぐらいですかね。宇多丸さんがアイドル時評的なアイドルレビューを『BUBKA』でずっと連載していて、ろくな音源がリリースされなくてネタに困った時期があるって言ってるんですけど、モーニング娘。バブルが終わったあとの第2の冬の時代みたいなのがきつかったんですよ。
雑誌『BUBKA』にて連載されていたRHYMESTER・宇多丸氏によるアイドルソング時評『マブ論』
(画像はライムスター宇多丸の「マブ論 CLASSICS」 アイドルソング時評 2000~2008 Amazonより)
 基本グラドルがアニソンのトランスカバーみたいなものを、セクシャルなDVDとセット2000円ぐらいで売るっていうひどいビジネスぐらいしか成立しない時代っていうのがあって、ボクもDVDとか要らないのに、一生見ないのにとか思いながら泣く泣く買って、それで曲がまた大体クソなんですよ。南明奈の『一休さん』とか……。

一同:
 (笑)

吉田:
 本当に雑なトランスカバーで、こういうのやめてほしいと思いながら。たまにそこに紛れて当たりがあるから買うしかなくて、つらい時代だったんですよ。

「モーニング娘。」のバブルで第1次ローカルアイドルブーム
久田:
 2000年代。

南波:
 モーニング娘。がちょっと落ち着いていった頃に、Negicco【※】とか実は誕生しているんですよね。

※Negicco
主に新潟県を活動拠点とする女性アイドルグループ。メンバーはNao☆・Megu・Kaedeの3人。2003年に地元ネギPRのため結成、2018年で15周年を迎えた。JA全農にいがたが展開する、新潟の名産ネギ「やわ肌ねぎ」PRキャンペーンのための1ヶ月間の期間限定ユニットだったが、そのまま活動が延長された経緯を持つ。

Negicco 恋するねぎっ娘『Negicco 2003~2012 -BEST-』
(画像はNegiccoの恋するねぎっ娘Amazonより)
吉田:
 一回そういうバブルがあると、一気に地方にもアイドルが増えるんですよ。モーニング娘。のバブルで、第1次ローカルアイドルブームがきて、一気にいろんなグループができて。ほとんどがいなくなって、Negiccoだけが残ったっていう。

久田:
 Negiccoさんってもう30歳ぐらいですかね、年的には。

吉田:
 そうですね。(コメント)「その時代はアキバホコ天の地下アイドル路上とか」。だから、アキバ文化がまた別でしたからね。いわゆる地底アイドル的なジャンルというか、アニソンに近いというか。だから、『B.L.T.』って雑誌でボクも長年連載して、桜川ひめことか2回ぐらいいわゆるアキバ系の人を取材してるけど、本当文化として接点がゼロで……。いまと違って、地上と地下が地続きじゃなかった気がします。
「AKB48」が出来たのは?
吉田:
 (コメント)「秋元のチェキッ娘【※】も売れなかったよね」って、これも誤解ですね。絶対に本人も言いますよ、「あれは俺じゃねえよ!」って。

※チェキッ娘
活動期間は1998年10月9日から1999年11月3日。フジテレビプロデューサーだった水口昌彦氏が、「平成のおニャン子クラブ」的なアイドルグループの結成を意図し、当時セガ社外取締役であった秋元康の同意を得てドリームキャスト提供、秋元康事務所協力のもと、バラエティー番組『DAIBAッテキ!!』にて活動を開始した経緯を持つ。

一同:
 (笑)
チェキッ娘
(画像はBest Memories | チェキッ娘 Amazonより)
久田:
 チェキッ娘って何でした?

吉田:
 わかりやすく言うと、まずおニャン子が当たったじゃないですか。おニャン子が2年半ぐらいで終わっちゃったけど、「おニャン子ビジネスよもう一度」みたいな感じで、フジテレビが何度も同じパターンを繰り返すんです。平日夕方に『夕やけニャンニャン』みたいな帯番組を作って、そこでアイドルを売り出すという。

 だけど、フジテレビは繰り返すけど、その後のグループに秋元康はタッチしてないんですよ。乙女塾【※】にもタッチしてないし、チェキッ娘も別なんですよ。ところが、フジテレビがやっているから、秋元ビジネスだと思われているってことですよね。

乙女
1989年(平成元年)から1991年(平成3年)にフジテレビが主催・運営していたタレント育成講座。

 そもそも、おニャン子も秋元康プロデュースだと思われがちだけど、あれはフジテレビのプロデュースで、秋元康は番組の放送作家であり、作詞担当でしかなかったんですよ。でも、なぜかそれが秋元康の功績っぽくなっちゃったから、フジテレビは秋元康抜きでアイドルを作ろうとした。そして、秋元康がフジテレビと切れたのは、おニャン子があれだけ当たっても、利権を全部フジが持ってっちゃうから、自力でAKBを始めたといわれているじゃないですか。テレビをかませないでどう儲けるか。売れるまでの期間はしんどいけれど、自力で売れて、テレビ側が頭下げて「やらせてください」って言うように持っていくっていう。

久田:
 だからあんな続いたのか。

吉田:
 (コメント)「必死で秋元を擁護する吉田豪」(笑)。

南波:
 (笑)

吉田:
 これ自体はただの客観的な事実ですよ。

 (「利権絡みでAKBができたのか 納得」というコメントを見て)利権絡みですよ。こういう話をボクはホリエモンが逮捕されたとき、面会に言って聞きました。

久田:
 それはそれで成功したからいいんじゃないの? (「AKBは無名の初期からテレビでていたよ」というコメントを見て)AKB無名の初期、そんな出てなかったですよ、深夜ぐらいでしかね。

吉田:
 最初からテレビありきの企画じゃないってことですね。

南波:
 だって、そもそも劇場で成立させるっていうのがありましたもんね、最初は。
東京都千代田区外神田ドン・キホーテ秋葉原店8階に所在するAKB48劇場。
(画像はWikipediaより)
久田:
 そうですよね。だから、宝塚みたいな感じですよね。

南波:
 リアルにテレビをかませないって、そういう意味でもあるという。

吉田:
 ただ、テレビをかませないで成立させるのって、最初の持ち出しが相当必要となってくるわけで、あれぐらいの資産がないと無理ですよね。

久田:
 いや、無理だ。始めっからだったら。

吉田:
 何年か続けなきゃいけないわけで。

久田:
 だから、『¥マネーの虎』【※】で同じようなことを、出資者たちにプレゼンした人がいるんですけど、全然だめでしたもんね。資産がなかったからだと思うんだけど。ちょうどネットアイドルが出始めた頃に、『マネーの虎』でプレゼンしていた人がいましたけどね。

※¥マネーの虎
日本テレビで放送されたリアリティ番組。一般人でもある起業家が事業計画をプレゼンテーションし、マネーの虎と呼ばれる大物起業家たち審査員が出資の可否を決定するという内容だった。

吉田:
 (コメント)「アイドリング!!! 見事にうまく行かなかったな」。そうなんですよね。結局フジテレビがドカンと仕掛けてもなかなかうまくいかない。ただ、乙女塾もうまくいかなかったといわれているけど、いま思えば全然成功しているんですよね。
アイドリング!!!『ガンバレ乙女(笑)』
(画像はガンバレ乙女(笑)(初回限定盤)(DVD付) | アイドリング!!!Amazonより)
南波:
 いや、今の普通の地下アイドルとかのレベルで考えれば、冬でも何でもないですよね。

吉田:
 そうなんですよ。基本コンサートはホールだし、CDはメジャーだし、ちゃんとそこそこ売れて、曲もタイアップはちゃんと取ってるし、売れてたんですよ。売れていたけど、それ以前がでかすぎたせいで冬みたいなイメージになっていて。

南波:
 全然冬とは思えないですよね。

吉田:
 CoCoとかribbon【※】とかちゃんと売れていましたよ。

※ribbon
1989年、フジテレビのテレビ番組『パラダイスGoGo!!』内の乙女塾から誕生した、女性アイドルグループ。コントにも積極的で、女性アイドルグループには珍しい、自身のコント番組まで持っていた。メンバーの永作博美はこれらの経験を経て本格的な女優に転進していく。

ribbon『Myこれ!Lite』
(画像はMyこれ!Liteシリーズ ribbon Amazonより)
久田:
 ちゃんと元取れていたという。

吉田:
 世間的な認知度の低いQlair【※】でも、ちゃんとホールツアーやっていましたよって(笑)。

※Qlair
1991年にフジテレビが主催・運営していたタレント育成講座の乙女塾からデビューした、女性アイドルグループ。

Qlair 『お願い神さま』
(画像はお願い神さま | QlairAmazonより)
南波:
 だってラジオとかも聞いていたもんな。

久田:
 アイドリング!!! は成功したんですか?

吉田:
 アイドリング!!! は、まあ成功はしてないですよ。

南波:
 (笑)

久田:
 してないの?

吉田:
 うん。だって散々あれだけ時間かけて予算かけて、バラドルを2人生み出したぐらいの感じですからね。

久田:
 菊地亜美ぐらい?

吉田:
 あと朝日奈央です。

久田:
 そっか。

吉田:
 (コメント)「お金のかけ方が違う」、本当に。久しぶりにテレビと連動したアイドルっていうのが、モーニング娘。だったわけですよね、『ASAYAN』との連動がきちんとできていたのが。(コメント)「アイドリング!!!はTIF【※】を生み出した功績だけだな」。そこはでかいんですけどね。どうですか、久田さん。平成のアイドルについては(笑)。

※TIF
TOKYO IDOL FESTIVAL。2010年より開催されている出演アイドルの数では日本最大規模のアイドルのイベント。イベントの発案者は、2013年まで『アイドリング!!!』プロデューサーであり、当イベントの総合プロデューサーを務めていたフジテレビの門澤清太氏。

(画像はTOKYO IDOL FESTIVAL公式サイトより)
久田:
 (笑)。僕はアラフィフじゃないですか。おニャン子ほぼ同じ年なんで。それにみんなはまっているし、僕もなかなか新田恵利好きだったし、みたいな感じで、ずっとファン目線ですね。モー娘。が始まる頃も5人で、まだ福田明日香がセンターの頃に、『モーニングコーヒー』。え? こんなん売れんのかなと思っていて(笑)。12チャン、テレ東か何かで。
モーニング娘。『モーニングコーヒー』
(画像はモーニング娘。のモーニングコーヒー Amazonより)
 3曲目ぐらいの『抱いてHOLD ON ME!』でこれいいじゃんって思ったんですよね。そっから伸びてって。僕もモー娘。途中で離れまして……。セクシービームの歌詞の『恋のダンスサイト』ぐらいから離れましたね。

吉田:
 セクシービームで離れたんですか?

久田:
 離れましたね。

吉田:
 「セクシーじゃねえよ、これ」って(笑)?

久田:
 いやいや、そんなことない。だから、十何年ぐらい前からAKB48の人、名前は言わないけども、「見に来い」ってずっと言われていたから、「じゃあ一回見に行きます」って劇場行ったときに、すごい狭い劇場で、正直言ってそのときはキャバクラだと思ったんですよ。

吉田:
 ちゃんと劇場に行ってるんですよね。そもそもボク、劇場どころか、いまだにAKBも坂道も見たことない。

久田:
 だから、「現場行かないとわかんないから久ちゃん」って言われて行って、そしたらちっちゃな女の子が応援しているんですよ。「まゆゆ!」みたいな。それ見て、これは必要だなと思ったんですよね。だから、ちょっと心入れ替えました。
アイドル冬の時代の象徴は?
吉田:
 (コメント)「ピンクサターン【※】は?」。そうです。アイドル冬の時代の象徴として、歴史が変わったのはその辺りなんですよね。

※ピンクサターン
1990年代半ばに活動していた日本の女性アイドルグループ。当時、流行したハイレグやTバックの水着以上に過激である、Tフロントのコスチュームが話題を呼んだ。3年ほどの活動でグループは解散。

久田:
 ピンクサターン?

吉田:
 フジテレビの深夜、『天使のU・B・U・G』【※】という、要はアイドルが尊敬というか、そういうリスペクトされる対象から雑に扱われる対象になった瞬間の番組があって。アイドルが本当に過酷なバトルを乗り越えないと、歌も歌えないとか宣伝もできないみたいな、ひどい扱いをされる時代がそこで訪れて、冬の時代を象徴するような番組だったんです。

※天使のU・B・U・G
フジテレビ製作のバラエティ番組。今田耕司氏と東野幸治氏が司会を務めた深夜番組で、一般的な知名度が低い、一部マニアを除いては全く売れていない女性アイドルたちが様々なゲーム企画などに挑戦するものだった。この番組からは遠峯ありさ(後の華原朋美)や矢部美穂などが後に売れることとなった。

南波:
 (コメント)「遠峯ありさ」、懐かしい。

吉田:
 そうそう。遠峯ありさが、当時、「うちの事務所が給料1万円しかくれない」って言って、生放送で社長を足蹴にするっていう奇跡の放送があったんですけど、そのとき蹴られた人がいま某大きな事務所の社長になっておられますという(笑)。今は払ってんのかな、とかね。

一同:
 (笑)

吉田:
 これ、検索すると動画もすぐ出ますよ。「遠峯ありさ 社長」で(笑)。大好きだったんですよ、遠峯ありさ。当時。

久田:
 そうなの?

吉田:
 うん。だから、華原朋美になって、ボクはむしろがっかりした側というか(笑)。あのぎらぎらしたキャラがなくなっちゃったって。

ベストテンがあった頃は、「普通の人が嫌でもアイドル好きになる時代だった」
久田:
 そうすると、アイドルって結構深いですよね。僕の『ナックルズ』とかの編集長のときって、どっちかというとアイドルとか、見てたたく側だったんですけど、考えてみれば自分の子どもの頃って、やっぱフィンガー5【※】だったんですよね、アイドルが。そこから始まっちゃうんですけど。

※フィンガー5
日本の男女混合歌謡アイドルグループ。1973年に世志凡太氏がプロデュースした「個人授業」を発売すると、ミリオンセラーとなり一気に知名度が上がる。その後「恋のダイヤル6700」「学園天国」などをリリース、いずれもミリオンセラーとなった。

フィンガー5『学園天国』
(画像はフィンガー5の学園天国Amazonより)
吉田:
 だいぶ世代が違いますね、ボクとも。

一同:
 (笑)

久田:
 あんま変わんないだろ。

吉田:
 いやいや。この微妙な年齢差でそんな違うんだ。

久田:
 ピンク・レディー【※】……。

※ピンク・レディー
1970年代後半に活躍したデュオのアイドル。ミー(現:未唯mie)とケイ(現:増田恵子)の2人組で構成され、多くの楽曲の作詞を阿久悠氏、作曲を都倉俊一氏のコンビが手がけた。

ピンク・レディー『ペッパー警部』
(画像はピンク・レディーのペッパー警部 Amazonより)
吉田:
 ピンク・レディー、キャンディーズは直撃してるんですが、フィンガー5ではないんですよ。

久田:
 だから、もうフィンガー5も覚えてないぐらいの世代か。

吉田:
 うん。ずうとるびぐらい【※】ですよ、かろうじて(笑)。

※ずうとるび
1974年から1982年の間に活動した男性アイドルグループ。日本テレビの番組「笑点」のコーナー「ちびっ子大喜利」にて、山田隆夫が座布団10枚を獲得したことがデビューのきっかけとなった。代表的なヒット作品には、『みかん色の恋』『恋があぶない』『初恋の絵日記』など。
ずうとるび『みかん色の恋』
(画像はずうとるびセカンド みかん色の恋 Amazonより)

久田:
 ずうとるびか。ピンク・レディーで、『ザ・ベストテン』【※】があって、松田聖子とか小泉今日子ですよね、ちょっと上になって。

※ザ・ベストテン
1978年~1989年まで放送されたTBS製作の音楽番組。最高視聴率41.9%を記録。

吉田:
 だから、普通の人が嫌でもアイドル好きになる時代だったんですよ、ボクらの頃は。テレビを見てれば、いろんなバラエティ番組でアイドルがみんな歌っていて。

久田:
 そう。だから、どっちかっていうと僕、ノンフィクション系の人と親しいわけなんですけど、ジャーナリストの人とかと話すじゃないですか。青木理さんという人とか(アイドルを)、「ダサいじゃん」とか言うんだけど、でも絶対はまっていたでしょ、小学校のときはって思うんですよね。

吉田:
 青木さんはアイドルに対して手厳しいんですよね。

久田:
 手厳しいというか、もう……そうね。手厳しいどころじゃないよね。

一同 :
(笑)

吉田:
 (コメント)「アイドルとプロレスに厳しい青木理」(笑)。ボクの好きなものに厳しいという(笑)。

久田:
 「だってプロレスは八百長でしょ?」

吉田:
 なんだろう。一言で言うと、それって一番頭の悪い感想なんですよ(笑)。プロレスはショーという前提で、そのうえで何が行われるかを見るものなので。アクシデントも起こるし、そんな単純なものじゃないんですよ。

久田:
 「でも勝負決まっていんでしょう?」とか言うからさ。「八百長じゃん」つって(笑)。めんどくさいから言わないと思って。

吉田:
 ものすごい雑な感想ですよ。

久田:
 そうそう。僕も考え変わりましたよ。AKBとか見ているときに、ちょっとそんなに小さな女の子とかが応援しているから、ちょっと見方変えましたね。昔はたたく側だったと思うんですよね。ちょっと変わりました。
プロレスとアイドルは世間からなめられやすいジャンル!?
吉田:
 よくボクが言うのが、「プロレスとアイドルは通じる部分がある」ってことなんですけど、どっちも世間からなめられやすいジャンルっていう。

久田:
 そうですね、確かに。バカにされやすいというか。

吉田:
 ベースが偏見。格闘技とかアーティストと比べて劣っているという前提で叩かれがちという。

南波:
 しかも今、またそうなりそうな流れになっていますからね。

吉田:
 再び今、冬の時代が訪れつつある状態です。

久田:
 そうなんですか。

南波:
 いや、これだからアイドルは、みたいな世論になりつつあるじゃないですか。「そんなんやめちまえ」みたいな流れになっているから。

久田:
 オタをバカにする風潮みたいなのもあると思うんですが、今はそうなんですかね。AKBの公演とか行くと、結構、おじさんの人ばっかなんですよ、ファンがですけど。オタっていう人だと思うんですけど。「その年になってアイドル?」という、バカにした風潮ってあるんですかね。
歴史が20年あるハロプロはじっちゃん率が高い!?
吉田:
 ただ、それを言い出したら、ハロプロのほうが圧倒的におじいちゃんは多いんですよ。
モーニング娘。’19
(画像は「ハロー! プロジェクト」オフィシャルサイトより)
南波:
 (笑)

久田:
 そうなんだ。

吉田:
 白髪率の高さっていうのが。

久田:
 白髪率(笑)?

南波:
 もう歴史が20年とかになっているから。

吉田:
 そうそう。ずっと追っていると、自然と白髪になったりはげたりするんですよ。じっちゃん率の高さは尋常じゃないんですよ。AKBとかの比じゃない。ハロー! はすごいんですよ。

南波:
 しかも、辻希美、加護亜依【※】が復活とかになると、もうすごい壮大な物語ができているから。

※辻希美、加護亜依
2004年にハロー!プロジェクトを卒業した、辻希美と加護亜依の2人によって女性アイドルデュオ「W(ダブルユー)」が結成され、2007年に事実上解散となった。

辻希美と加護亜依の2人による女性アイドルデュオW『恋のバカンス』
(画像は恋のバカンス | W Amazonより)
吉田:
 白髪の人たちが現場に泣きに来るんですよ。

一同:
 (笑)

久田:
 復活するんですね。(コメントを見て)じっちゃんって(笑)。

吉田:
 そう。若い層もついているけど、ベテラン層も残っているから。「じっちゃん」って、工藤遥が言っていたんで。

久田:
 そうなんだ。

吉田:
 それからじっちゃんって呼び方をしているんですけど。それは行かなきゃってなりますよ、昔のメンバーが帰ってきたら。

南波:
 なりますよね。歴史がいろいろあるから。

吉田:
 AKBはあんまりそういう歴史を踏まえたことやってくれないですよね。

南波:
 でも、確かにそうですね。やればいいのに。結構上がると思うんですよ。前田敦子さんとか。

吉田:
 AKB10年隊みたいなとかね。

久田:
 だから、本当の「神7」って、今みんな神7っていうじゃない?

吉田:
 今、神7って言い方もないですもんね。

久田:
 でも、一応言うのよ、ファンは。

吉田:
 神感ないし(笑)。

久田:
 (笑)。そうそう。指原さんがまだ19位ぐらいのときのが神7って言われているんだけど、そういうのやればいいかもしれませんよね。(「50代は若手だよ」というコメントを見て)50代若手なんだ。そうなんだ。

南波:
 そうですね。それこそ、タワーレコードの嶺脇社長が……。真野恵里菜【※】さんのファン層というのが、飛び抜けて年齢が高くて。当時嶺脇さんも40半ばぐらいだったと思うんですけど、ファンのことマノフレっていうんですけど、「自分は全然マノフレエッグですよ」とか言っていて。

※真野恵里菜
2006年「ハロプロエッグ」の第2期メンバーになり、「2008 ハロー!プロジェクト新人公演 3月 〜キラメキの横浜〜」を最後に、ハロプロエッグの研修を修了。2009年『乙女の祈り』でメジャーデビュー。

真野恵里菜『乙女の祈り』
(画像の乙女の祈り(初回生産限定盤A) | 真野恵里菜 Amazonより)
一同:
 (笑)

南波:
 40代じゃ全然エッグ扱いって。

吉田:
 というような人と、ピンチケ的な若い層とは、それはもう考え方は全然違います。白髪組はアイドルとつながろうって発想がまずないですから。

南波:
 見守る感じですもんね。お金出す人ですよね、多分ね。

吉田:
 だから、昔のハロー! は、接触が極端になくて、よくネタにしていますけど、2ショット撮るのも大変だったわけですよ。ハロー! が提携しているクレジットカード【※】があって、それを300万円ぐらい使うと、2ショットが撮れるという。

※提携しているクレジットカード
Hello! Project ゴールドカード。スペシャル会員のサービスが存在し、クレジットカードを1,000円利用するごとに1ポイント貯まり、3000ポイント分使用すると2ショット写真と直筆サイン色紙を貰える。

久田:
 300万円(笑)?

吉田:
 そのためにひたすら打ち上げとかでどっか飲みに行ったときに白髪のオタが、「会計僕がまとめるんで!」みたいな感じでカードを使って、それでどんどん使って、300万円いったら2ショットを撮るみたいな。

南波:
 やっと2ショット(笑)。

久田:
 まじっすか。全然違うじゃん。

吉田:
 だから、ある段階でハロー! のオタが地下とかに流れた理由というのは、「こんなに気軽に2ショットを撮れるんだ」ってことだったんですよ(笑)。

南波:
 「1000円でいいんだ」って。

吉田:
 「え? 安」という。あと、ハロー! には子どもがいっぱいいて、それでハロー! の子どもを追っかけた人が、地下にも子どもいっぱいいるって気づいて流出したとか、いろんなことがあったんですよ。

 ただ、それぐらいしか選択肢がなかったから、みんなそこでひたすら使うしかなかったから。今、平和になりましたよ、いろんな選択肢があるんで。

南波:
 (コメント)「握手するのはハワイまで」

吉田:
 そうそう。みんなハワイに行っていた。

南波:
 ファンクラブツアーね。

吉田:
 基本握手会やらなかったけど、ハワイでは接触できるみたいな。そうするとハワイに行くしかなくなるけど(笑)。ものすごい商売していましたよ、当時のハロー! は(笑)。

久田:
 本当だね。すごいね。

吉田:
 でも、基本お金を払った本人は満足しているんで、全部それに尽きるんですよ。AKBの握手会商法とか、同じCD何枚も買うの異常だとか叩かれたりするけれど、でも本人が満足している限りは、勝手にやりゃいいじゃんって話なんですよ。

久田:
 俺もそう思うけどね。

吉田:
 全部そう。好きでやってて誰にも迷惑かけてないことに介入する必要ないんですよ。

久田:
 例えば僕の友人のオタも、10万ぐらいはAKBのを買って、それを全く後悔してないんだよ、彼は。

2010年代以降はアイドル戦国時代――「ももクロによってジャンルとしては面白くなった」
吉田:
 という流れの中に、BiS【※】とかが入ってくるぐらいまでいったほうがいいんですかね。ももクロとか。

※BiS
歌手、プー・ルイ氏が音楽配信・情報サイトOTOTOYでのインタビューにて、「アイドルグループがやりたかった」と発言。これを発端に2010年10月に公開メンバー選考オーディションを行い、同年11月から活動を開始。南波一海氏を講師として、「OTOTOYアイドル研究室」の生徒として授業を受けていたこともある。

BiS 『My Ixxx』
(画像は My Ixxx | BiS Amazonより)
久田:
 お願いします。

南波:
 2010年代以降ですよね。

吉田:
 アイドル戦国時代、到来。このぐらいから南波さんもアイドルライター業が始まったんですよね。

南波:
 そうですね。本当にまさにそうです。2010年、11年ぐらいからですね、仕事になったのは。単純にももクロが流行って、外側にも広まっていったから、自分にも仕事がきたって感じですね。

吉田:
 いろんな、それまでアイドルを扱ってなかった音楽誌とかが、「ももいろクローバーZ【※】で特集をやろう」みたいな感じになって、バンドを辞めて音楽ライターやっていた南波さんに声がかかって、気がついたら世間からアイドルライターだと思われる存在になっていくという。

※ももいろクローバーZ
ももいろクローバーとして2008年5月17日に結成。2011年4月11日にはももいろクローバーZに改名。2014年に国立競技場でのライブを女性グループとしては初めて行い、2日間で11万人を動員。ライブの年間動員数においては、過去2度にわたり女性アーティスト1位を記録している。

ももいろクローバー時代のインディーズデビュー曲『ももいろパンチ』
(画像はももいろパンチ | ももいろクローバー Amazonより)
南波:
 そうそう。

久田:
 『ミュージック・マガジン』とかですよね。

南波:
 それも仕事していましたね。

久田:
 ですよね。

吉田:
 その後もめましたよね。

南波:
 (笑)

吉田:
 僕は南波さんと最初に会ったのは、『ミュージック・マガジン』の増刊のアイドル本を作るときで、僕がBiSのHMVの限定版が買えてないとかぼやいていたら、最初の打ち合わせで会ったときに、「豪さん、どうぞ」とかいって、BiSのその買えなかったCDをくれた。というのが出会いです。

南波:
 ありましたね。でも、盛り上がりましたよね。すべてが本当に面白かったです。

吉田:
 うん。あの時期は本当に面白かったですよ。

久田:
 ももクロですか。

吉田:
 それも含めたアイドル戦国時代的な流れ。

南波:
 とか、ももクロを発端に、僕もやってみようみたいな人が増えたんですよね。

吉田:
 そう。ももクロが大きかったのは、「あれぐらいおかしなことやってもいいんだ、アイドルって」って気づいたいわゆる音楽好きな、バンドとかやっていた人とかが、アイドルの運営に次々となって、おかしなアイドルをどんどんデビューさせたっていう功績が本当でかいんですよ。

久田:
 なるほど。じゃあももクロが発端なんですか。

吉田:
 AKBを発端として地下もいっぱい増えたけど、それはAKB的な地下なんですよ。ああいうようなチェックの制服みたいなのを着たグループが増えて、若いファンも増えて、それがももクロによってジャンルとして面白くなった。

南波:
 音楽的にも、何やっても面白いみたいな、音楽好きな人もいるから、これを、自分の好きだったこの音楽をアイドルに当てはめたらどうなるだろう、みたいなのがすっごい増えた時期で、それこそBABYMETAL【※】なんてその極北じゃないですか(笑)。そういうのがいっぱい増えた時期が、10~12年とかなんですよね。

※BABYMETAL
日本の女性2人組メタルダンス・ユニット。通称「べビメタ」。 「アイドルとメタルの融合」をテーマに2010年結成。2014年から世界進出を果たし、ワールドワイドな活動を展開している。

BABYMETAL『ヘドバンギャー!!』
(画像は BABYMETALのヘドバンギャー!! Amazonより)
吉田:
 言っちゃえば、BiSも、ももクロなかったら生まれてないですよね。

南波:
 絶対そうですよね。

吉田:
 うん。全部そうですよ。

久田:
 じゃあももクロから始まった的な感じあるんですね。

吉田:
 ももクロがジャンルを面白くしてカオスにした。今のジャンルを作ったのは、ももクロだと思うし、AKBが土壌を作って、ももクロがそれを広げたって感じですね。

南波:
 やっぱりシステム的にはそれこそ1枚チェキ撮って1000円とか500円とか。だから、CD1枚買ったら握手みたいなので、経済的にも結構サイクルがすごいよかったんで、みんなすぐ始められたっていうのが。

吉田:
 チェキビジネスはAKBが始めたんですよ。ただ、チェキビジネスを始めた某カメラマンはぼやいていましたけどね。「あれで億単位の売り上げになったのに、俺には全然金が入んない」って(笑)。

久田:
 まあチェキだから。

吉田:
 そんな感じで生まれたアイドルが、AKBでビジネスとして大きなものになって、ももクロのおかげで地下もどんどん増えてジャンルとして面白くなった、それが平成でした。
Perfumeはアイドル?
久田:
 Perfume【※】はアイドルに入るんですか?

※Perfume
中田ヤスタカがプロデュースする広島県出身の3人組テクノポップユニット。2002年3月アクターズスクール広島「もみじレーベル」より「OMAJINAI★ペロリ」でインディーズデビュー。

Perfume 『ポリリズム』
(画像はポリリズム | Perfume Amazonより)
吉田:
 最初は完全にアイドルです。

南波:
 ばりばりアイドルですよね。

吉田:
 もともとローカルアイドルで、広島から上京してきてもいわゆる地下アイドルの枠で活動していて。

久田:
 僕、今はアーティストっぽいイメージが……。

吉田:
 途中でシフトを変えましたよね。多分、スキャンダルが転換期だったんですよ。熱愛報道が同時期にあって、あそこで歌詞の一人称をあの時期に変えたって説もあって、異性に向けた歌詞が同性に向けた歌詞になっていったという。

久田:
 すごい勉強になるな。

吉田:
 あの時期、『BUBKA』がモーニング娘。の応援連載とかずっとやっていたのがまずあって、ももクロ応援連載とかもあって、Perfume応援連載をやってた時期もあったんですよ。ただ、その応援連載やっていた人が結構ガチ恋オタだったんで、熱愛報道に本気で怒る感じで。

一同:
 (笑)

吉田:
 それで、Perfume応援連載が終わった記憶があります(笑)。あそこでファン層のちょっと入れ替えがあったんですね。
『BUBKA』はいつからアイドルマガジンになったのか?
久田:
 『BUBKA』はいつ路線変更を?

吉田:
 もともと、『BUBKA』というのは、編集長がスキャンダル大好きで、アイドルに別に興味がない人だったんですよ。

久田:
 寺島さんでしょ。

吉田:
 そう。寺島さんというのはそういう人で、ただ部下が全部ただのモーヲタだったんですね。アイドルヲタ&プロレスヲタみたいなものが揃った編集部で、だからカラーの巻頭ページではスキャンダルを扱うけど、それ以外はひたすらモーニング娘。への愛を訴えたり、サブカル的な企画ばかりゃっていた。

 モーニング娘。のスキャンダルを出しつつ、モーニング娘。を応援するという、ものすごいゆがんだ雑誌だったのが、編集長がいなくなったことで、応援色だけが残り、現在のAKB坂道雑誌に至るっていう流れですよね。

南波:
 もうちょっと幅広かったですけどね。

吉田:
 本当はハロー! とかも応援したいみたいなんですけど、ハロー! はスキャンダル報道の過去があるので、取材できないんですよ。

久田:
 できないんだ。そうだ。出禁なんだって。だから、『BUBKA』というか、白夜書房は出禁でしょ、多分。

吉田:
 そうです。ということですね。取材できるもので生き残る道として、AKB、坂道にいったということですね。この方向転換がなかったら確実に休刊していたと、いまの編集長は言ってました。

▼記事化の箇所は30:40から視聴できます▼

久田将義×吉田豪のタブーなワイドショー

―あわせて読みたい―

アイドルソングの“いい下手さ&悪い下手さ”について吉田豪らが提言「スキル主義もわかるけど、アイドルの魅力はそこじゃない」

『アイドル』はジャンルか、はたまた概念か…「アイドルっていったい何なんだ?」を紐解く――吉田豪×ロマン優光×久田将義

続きを読む ]

このエントリーをはてなブックマークに追加

関連してるっぽい地図

あなたにおすすめの記事

関連記事

ネタ・コラムカテゴリのその他の記事

マピオンニュース ページ上部へ戻る