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アンディ・フグの他界から20年──。 必殺技「カカト落とし」は、いかにして生み出されたのか?

2020年12月09日10時30分 / 提供:マイナビニュース

伝説のK-1ファイター「鉄人」アンディ・フグが急性前骨髄球性白血病を患い、35歳の若さで他界したのは2000年8月24日のことだった。あれから20年が経つ。刻が流れても忘れ難きアンディの勇姿。彼のファイターとしての足跡を振り返りながら、必殺技「カカト落とし」がいかにして生み出されたかに迫る──。

○■極真『第4回世界大会』での衝撃

圧倒的強さを誇る「無敵のヒーロー」ではなかった。
むしろ大一番で負けることが多々あった。
K-1における通算戦績は47戦37勝(22KO)9敗1分。実績だけを見れば、K-1グランプリを4度制したアーネスト・ホースト、セーム・シュルト、3度制したピーター・アーツには及ばない。

それでも、アンディ・フグは「ミスターK-1」と呼ばれた。観る者にとって感情移入をせずにはいられないファイターだったからだ。彼の敗戦は、常に印象深いものであり、またそこから這い上がる姿にファンは心を熱くし続けたのである。かつてのK-1の絶大な人気は、アンディの存在抜きに語ることはできない。

個性的なファイトスタイルの持ち主でもあった。
代表的な必殺技といえば、「カカト落とし」──。
片足を高く振り上げ、カカトで相手の脳天に落とすダイナミックな技だ。これは、アンディのオリジナルであった。

さて、この「カカト落とし」をアンディは、いつ頃、いかにして生み出したのか?

話は、K-1参戦以前、極真カラテ時代に遡る。10歳でカラテを始め、17歳でスイス王者となったアンディが初来日を果たしたのは、19歳の時だった。 1984年1月、日本武道館において極真会館主催『第3回オープントーナメント世界空手道選手権大会』が開かれている。この大会にアンディはスイス代表として出場したのだ。

当時は「アンディ・フグ」ではなく「ハグ・アンディ」と呼ばれていた。トーナメント3試合を勝ち抜き5回戦に進出。そこで松井章圭(現・極真会館館長)に判定で敗れた。だが、この時はまだ「カカト落とし」を体得してはいなかった。

それから3年10カ月後、再びアンディは日本の土を踏む。4年に一度、日本で開かれる極真カラテの世界大会に再び出場するためだった。1987年11月に開催された『第4世界大会』。この時、アンディは必殺技を身につけており日本の王座死守を脅かす存在に成長していた。
その必殺技こそ「カカト落とし」だったのである。

「あのカカト落としは脅威だ。十分に警戒しなければならない」
すでにヨーロッパ王者にもなっていたアンディを日本勢は徹底マークをする。それでもアンディは強かった。カカト落としを随所で繰り出し周囲を驚かせながら白星を重ね決勝に進出し日本のエース松井章圭と約4年ぶりの再戦。互角の攻防の末、再延長戦で顔面殴打の反則を犯したことで判定負けを喫するも、外国人選手として初のファイナリストとなったのである。
「カカト落とし」とともにアンディの名は一気に世界中に広まった。
○■誰にも真似ができぬ必殺技

スイスの選手たちはヨーロッパにおいても好成績を残せない時代が長く続いた。『第3回世界大会』が終わった後、スイスの選手団はその原因を分析する。さまざまな要因があったが、そのひとつに「身長の低さ」が挙げられた。

オランダを筆頭にヨーロッパ諸国には大柄な選手が多い。だがスイスのファイターたちは比較的、小柄だったのだ。179センチのアンディもヘビー級のファイターたちに混ざると明らかに小さかった。そうなると同じように上段廻し蹴り(ハイキック)を繰り出しても高さで負けてしまう。

「自分にしかない得意技を身につける必要がある」
ヨーロッパ王者になる以前に、アンディはそう考えた。そして彼の発想は既成概念にとらわれないものだった。

既存の技を身につけ精度を上げるのではなく、新たな技を開発しようとしたのだ。そして思いついたのが「カカト落とし」。

当時、アンディはプロのファイターではない。アマチュアのカラテ家である。生活をするためには仕事に就く必要があり精肉店で働いていた。朝から夕方までの時間は拘束されてしまう。練習を始められるのは、その後だ。

仕事を終えると一目散に練習場へ向かい、深夜までトレーニングに励んだ。練習のためには疲れていても睡眠時間を削ることになる。それでも来る日も来る日も足を高く振り上げ続け「カカト落とし」をマスターしたのである。

「納得のいく動きができるようになるまでに3年かかったよ。まだ改良の余地はあるけどね。でも練習中に辛いと思ったことはなかった。絶対にできるようになると信じていたから」『第4回世界大会』を闘い終えた後、アンディはそう話していた。

カカト落としの完成は、彼の努力の結晶である。と同時に下半身の柔軟性を備えていたことも大きかった。少年時代にサッカーに勤しんだことも影響しているのかもしれない、他の誰よりも股関節を柔らかく動かすことができたのだ。

「スイスでテコンドーを学んだのか。あれはネリチャギだ」
当時、そんな風に口にする関係者もいた。確かにカカト落としとネリチャギは、ほぼ同じ技である。

だがアンディは言った。
「テコンドーにそんな技があることを、カカト落としを習得した後に知ったよ。技のヒントとなったのはテコンドーではなくて、カラテの内廻し上段蹴りさ」
カカト落としは、カラテのみならず、キックボクシング(K-1)でも通用することが後に証明される。

そして現在も彼を超えるカカト落としの使い手は現れていない。

文/近藤隆夫、写真/真崎貴夫 SLAM JAM

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